| ともしび  ともしび 二〇〇〇年 徳島聖書キリスト集会員(H.N)編集の文集(季刊)   | 
  ともしび編集者コメント
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H.N
     主を讃美します。
    「ともしび」をまたこうして発行させてくださる主に感謝したいと思います。
    神様が起こしてくださったこの小さな「ともしび」の灯を消してはならないと私のような者でも使ってくださる主に感謝します。
    どうかこのみんなの原稿を預かって発行している「ともしび」を今後も主が祝福してくださって、神様の事が伝えられるようにと祈ります。
    私は小さなお手伝いしかできませんが、みんなの信仰を主は祝福してくださると信じます。
    今後とも、主を信じる歩みの1歩でもお寄せ下されば、主がそれを使って下さると思いますので、主にあってよろしくお願いします。 
    
      なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
    
     後ろのものを忘れと言われています。しばしば後ろばかり振り返り前に進めないことがありますが姿勢をイエス様がおられる「前に、」「天に」向け信仰によって歩んで行きたいと願います。
    また、自分の欠点や足りないところばかりを見ていたら、決して前に進めません。私の場合、自分の中には良いものがないのが分かります。良いものは、主から来ます。主だけが頼りです。喜びも感謝も希望も悔い改めも、主が与えてくださいます。主はほむべきかな、ハレルヤです。
     怠け者の私は走ることはできませんが、主にお任せしてノロノロでも目標に向かっていたらいつかは目的地に到達することでしょう。こんな私が編集した「ともしび」をお届けします。
2000年最初の行動、祈祷会に行った。
    暗闇の中をペダルを踏む。
    おはようと声をかければ、
    歩いている人からも、おはようと返って来る。
    見上げれば、月もかすかに微笑む。
    金星も、いってらっしゃいと瞬いていた。
    
    ヨハネの黙示録21章よりのみ言葉
    神様によって新しく造られた新しい天と新しい地。
    私もそこに住む。新しく造り変えられて
    新しい言葉を語ろう。その為に一歩を踏みだそう。
    弱い私は出来なくても、神様が働いて共にいて下さる事を信じて
    
    帰りは時雨雨、
    でも私は身も心も温かい。
    神様が私を新しく造って下さった。
    神様が今年も共にいて下さる。
    私の心は温かい。
    私の心は平安だ。
    讃美をしても、信号無視はダメダメ。
高知 S.H
  
すべて重荷を負うて苦労している者は、
      わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませて
      あげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者で
      あるから、わたしのくびきを負うてわたしに学び
      なさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与
      られるであろう。わたしのくびきは負いやすく、
      わたしの荷は軽いからである。
            (マタイ11の28~30)
    
     すべて
    
      すべての人への招きであります。「重荷を負うて苦労している者は、みんなきなさい。」との招きであります。塚本訳では、「疲れている者、重荷を負うている者」となっています。この世に生きて、物心両面で、何の重荷もない、疲れてもいないという人はいないと思います。内と外の重荷に苦しみ、あえいでいる人たちに対する、救世主の愛の呼び声であります。
    
     わたしのもとに
    
     「わたしのもとにきなさい」とは、現代のわたしたちにとってどういう意味でしょうか。もちろんイエス・キリストへの招きでありますが、二千年前の、過去のイエスの言動を学び、その感化によって救われるということではありません。この招きの言葉は、イエスの在世中に、ガリラヤで語られたものです。しかし、この言葉は現代のわたしたちに向かっても力強く語りかけられているということです。
     イエスは復活の後、ガリラヤにおいて弟子たちと別れる時、
      見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと
      共にいるのである。(マタイ28の20)
     と約束してくださっています。今も、生きて働いて下さっている、霊なるキリストの招きです。永遠の同伴者である子なる神、キリストの呼び声であります。イエス・キリストは、人間として、偉人であり聖人であります。しかしその水準にとどまるものではありません。キリストは今から二千年ほど前、パレスチナの地上を歩まれた歴史的に実在した「人」であります。同時に子なる「神」であります。そうでなければ世界に散らばっている、五十億を越える現代の人々に向かって「すべてきなさい」と招くことはできません。
    
     きなさい
    
     旧約聖書の詩編に
      悩みの日にわたしを呼べ(詩編50の15)とあります。艱難に遭遇した時、主を仰ぎ、主を呼び求める詩人の姿はよく見られます。
     ここでは主ご自身がわたしどもを招いて下さっています。恐れ多いことであります。神は全能でありますが、強権をもって無理強いに引き寄せることはなさいません。ヨハネの黙示録に、
      見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。(黙示録3の20)
     と書かれています。このみ言葉は、主がわたしたちを招いて下さる姿をえがいたものです。実際に、玄関の扉をたたくということではありません。もののたとえです。「食を共にする」とは、聖書においては、親しい霊の交わりを意味しています。主は、ホトホトとわたしたちの心の戸をたたいて、招いて下さっています。心の戸をたたくとは、わたしたちの心に、招きのシグナルを送って下さることです。神様からの合図、信号です。神様は、人生のすべての出来事、外からの学習、内からわく思いなど、いろいろな信号を送って、神よりの呼び声に気付かせようとして下さっています。人がしなければならないことは、戸を開けることです。多くの人々は、かたくなな心を閉ざし、主の招きの合図に応じようとしません。主は強引に押し入ることをせず、人が自主的に扉を開くのを待っておられます。  扉を開いて、主を迎え入れる決断が、人間の責任であります。
    
     あなたがたを休ませてあげよう
    
     「休ませる」という言葉は「休息を与える」「慰めを与える」「次への力を与える」という意味が含まれている、と塚本先生は書いています。(著作集第三巻P333)
     この世の戦いに傷つき疲れ、あえいでいる者が、イエスのもとに来ると、真の安息と慰めを与えられ、また、新しく戦う力を与えられるのであります。イザヤ書に
       弱った者には力を与え、
      勢いのない者には強さを増し加えられる。
       年若い者も弱り、かつ疲れ、
      壮年の者も疲れはてて倒れる。
       しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
       わしのように翼をはって、のぼることができる。
       走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
            (イザヤ書 40の29~31) 
     とあります。イエスの招きに応じる者は、具体的な生活の中で、このような恵みを体験し、主の栄光を仰ぐのであります。
     私は中風をわずらって18年になります。また胸部リンパ腺ガンを手術しております。主の御あわれみをいただき死線を越えて生かされております。無力な身体障害者です。しかし、いつも主に休息を与えられ、慰めを与えられ、新たなる力をいただいております。
     わしのように翼をはってのぼることは、とてもできませんが、ペンギンかあひるくらいに活動させていただいています。火事場の馬鹿力という言葉がありますが、主を待ち望むことによって、自分でもびっくりするほどの力をいただくことを体験させていただいています。
    
     わたしのくびきを負って
    
     くびきとは、牛、馬、ろばなどの首につける横木のことです。農具や車を引かせる時に使います。十字型のくびきに二頭つなぐこともあります。
     この場合は、キリストとくびきを共にすることです。一つくびきにつながれるという意味です。
     くびきという言葉は、支配する、束縛するという意味もありますが、この場合は、キリストと一つくびきにつながれることによって休息と慰めと力を与えられるということです。自己の意志で歩むのではなく、キリストに従い、キリストに助けていただくことになります。「わたしに学びなさい」「わたしのくびきは負いやすい」「わたしの荷は軽い」という言葉は、永遠の同伴者であるキリストの助けを意味しています。わたしは重荷を負うて疲れ、うめいています。わたしは弱い、しかし主は測り知れない力をもってわたしを助けて下さいます。パウロは、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」と告白し、おのれの弱さを誇るのであります。(コリント二・12の9~10)
    
     子なる神キリストの招き
    
     冒頭に招いて下さるのは、二千年前の偉人、聖人としてのイエスではないと書きました。今も生きて働いて下さる、霊なるキリストの招きであるということが重要な点であります。
     イエスは、十字架につけられて殺され、三日後に復活し、エルサレムとガリラヤにおいて弟子達に顕現しました。その後40日間、弟子たちに現れ、昇天しました。昇天とは、霊界に移られ弟子たちの前に、復活体をもって現れることはなくなったということです。それ以後は、子なる神として霊界を支配しておられます。聖書は「神の右に座し給う」と表現しています。この世に対しても、聖霊(御霊(みたま)助け主)として働いておられます。
     使徒行伝は、聖霊行伝とも言われています。使徒たちの言行録でありますが、使徒たちを導き助けたのは聖霊である、という認識です。聖霊行伝は現在も進行中です。目に見えない霊の力は、今も個人を、教会を、国を救うておるのであります。
     パウロは、ダマスコ城外で、生ける主より光を受け、み声を聞き、回心し使徒になりました。パウロは、生前のイエスのことはあまり語らず、共にいて下さる霊のキリストのことを重視しています。回心以後のパウロの生涯は子なる神やキリストの霊に導かれ、助けられる生涯でありました。
     マルコによる福音書の末尾に
       
    弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴う、しるしをもって、その確かなことをお示しになった。(マルコ16の20)
     と書かれています。初代教会における、イエス・キリストの霊のはたらきをあかしするものであります。
    
     父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊なる神は一体である、という三位一体の教えは、キリスト教の根本教義でであります。イエスの招きは、父なる神の招きでもあり、聖霊の招きでもあります。父なる神は宇宙に満ちる霊でありますから、見ることはできません。子なる神キリストは、この世に顕現して下さった神です。最後最高の神よりの啓示であります。聖霊はこの世に対する神の霊の働きです。新約の聖霊は、イエス・キリストの霊でもあります。キリスト教は目に見えない霊の働きを信じる宗教です。
     主の呼び声は重荷を負って疲れている人に向けられています。心の深い所で、重荷を負うて疲れ果て、あえいでいる人に向けて語りかけられています。このような人こそキリスト教の正客(しょうきゃく)であります。この世的に満ち足り、笑いが止まらないような人。この世の欲望に目がくらみ、疲れもせずに、忙しく走り回っている人の耳にはとどかないでしょう
     ヤコブの手紙に
      神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
      苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
      主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。(ヤコブ4の8~10)
     と書かれています。浅薄な笑いを悲しみに、はかない喜びを憂いに変えることが救いの要件であると教えています。旧約聖書の詩人は
       神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
       わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。(詩編42の1~2)
    と歌っています。乾期の荒野(あらの)において、鹿が命の水を慕いあえぐように神を慕う真情が心に迫ります。このような飢え渇き求める心を起こして下さるのも神様だと思います。
     固く閉ざした扉の外にたたずんで、静かにたたき続け、内より扉の開くのを待って下さっている主を思います。
     へりくだり、悔い改めて、主の招きにこたえるほかに平安はありません。
M.M
 E-mailでこんなみ言葉が送られて来ました。「わたしの 戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように、
  恵みは海の波のようになる。」(イザヤ書48:18)しばらくこ の美しいみ言葉の響きに耳を澄まし、目を閉じていました。
    神様からの恵みが押し寄せて来ていると初めて感じることの出来た頃のことを思い出していたのです。
     日曜日に友達からの誘いがあれば教会よりもむしろ、そちらを選ぶことの多かった頃の私には、「救われた」感とか 「恵まれた」感は微塵もありませんでした。どんな誘いより、
  迷わず、礼拝に出たい、み言葉を聞きたい、兄弟姉妹との 交わりを持ちたいと思うようになった頃から、どんなに多く の魂の糧となるみ言葉に出会い、素晴らしい数々の本を
  紹介されて来たことでしょう。また、暇なときに、電話して四 方山話でもしょうかなぁと思うような数多くの友達がものの 見事に姿を消し、兄弟姉妹がどんどん増えて行きました。
    E-mailアドレスもあっと言う間に30個になりましたが、ほと んどがクリスチャンです。ある人達にとっては、はなはだ
  みすぼらしく見える事かも知れませんが、これらのことは、 私にとって言葉で言い尽くせないほどの恵みと喜びの連続 なのです。
     素晴らしい本と言えば、「幸福論」を勧められ、1行1行感 動しながら読み進んでいた時のことです。ある日、みぞおち の辺りに圧迫感と共にぐりぐりする物に気付いたのです。
    かかりつけの病院へ行きますと、内科医の表情が険しくな り、即座にいろんな検査の予約をされ、その週は検査攻め でした。次の週、その医師はほっとした表情で、内科的には
  何の異常もないので、外科に行くようにと言われました。外 科医がもう1度自分でエコーをして出された結論は、みぞお ちの辺りにかなり大きな腫瘍が出来ていると言うことでした。
    それを聞いた時、自分でも不思議な位、頭の中がシンと静か で、落ち着いていましたし、落ち込みもしなかったのは、この 「幸福論」の中の「自由に至る道は、われわれの力の及ばな
  い物をすべて軽視する事にある」という1行が深く私の心に 作用していたからです。腫瘍が良性であれ、悪性であれ、これは私の力の及ばない事の最たるものだ。私に命を与えて
  くださったのも、また、取り上げられるのも神様なのだから、 神様にお任せしよう。1週間後に入院する病院を知らせてく ださるとのことでしたので、スーパーマーケットで、入院の為
  の細々とした物を、1つ1つ選んだり、もって行く本やカセット テープを揃え、バッグに詰めながら、「この世に絶対なんても のはない。絶対に母より長生きしなければと思っていたのに、
  あっけなく私が先に逝く事になるかも知れない。お金も絶対 ではない。何億積んだところで、病気がなくなるわけではない。
    神様以外に絶対はない。この世の物なんて、何の価値もな い」などと断続的に考え続けていたのです。その1年位前か ら、それまで大切だと思っていたものの価値が徐々に薄れて来てはいたのですが、この時、はっきりそう知らされました。
     入院するべき病院に行って誤診だと分かるまでの1週間、何人かの人々が祈ってくださっていることは知っていました。
    それにとても嬉しかったのは、ある人は毎日のようにお電話をくださり、ある人はたびたびE-mailメッセージを送ってくださ
  ったことです。そのお電話にも、E-mailにも、根拠のない慰めや励ましの言葉はなく、ただみ言葉だけが私に届きました。
    その度に、聖書を開き、その周辺を読み、どんなに大きな力を得ることが出来たか知れません。聖書は本当に不思議な 驚くべき書物です。人が抱える問題の種類も大きさも様々
  すがそれぞれの人に適切な答えが用意され、勇気を与えられるのですから。私はそれまで、み言葉によってこんなにきな力を与えられたという経験をしたことがなかったような
  がします。
     誤診と分かった時、神様に全てをお任せしたはずの私ですのに、それでもやっぱり、手術しなくて済んで良かったと思い ました。ある人がこう言われました。「Tさんが手術しなくて済んで良かったのではなく、Tさんが変えられたことが
  かった」のだと。このような事に気付かせてくださったり、み言葉で導いてくださる多くの人々、折に触れてE-mailで私の信
  仰を支えてくださる兄弟姉妹を送ってくださっている神様の恵 みにどれほど感謝していることでしょう。
     その頃のメモに、こんな事を走り書きしています。マルコの福音書6:14~29を学んだ日の事です。「・・・もう一つ此処で 言われている事は、どんな事でも背後には、神様の支配が あると言うこと。ヨハネは正しい人であった。『女から生まれた者の中で、ヨハネより偉大な者はいなかった』とイエス様
  が評価されたほどの人物であるヨハネでさえ神様は召さ るのだ。私達にどんな事が起こってもその背後に神様の支配 がある!これはまさに、先日「幸福論」の中で発見し、痛く感
  動した『われわれの力の及ばないものに対して嫌悪のこころをいだいてはならない』だ。私の力の及ばない、医者の力の 及ばないかも知れない病気を恐れたり、不安になっても仕方
  がない。それは神様のみ心なのだから、1日1日を喜んで生 きましょう。」ぐりぐりと圧迫感はそのままみぞおちに、入院の為に詰め込んだバッグもそのまま部屋に置いたままもうすぐ一年になろうとしています。今、私は神様の恵みが追いかけて来なくなる事を恐れます。「わたしの戒めに耳を傾けるなら
  あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる」 と言うみ言葉は神様のみ言葉に耳を傾け続けるための私へ の応援歌です。
M.I
 1999年は私にとって大きな事が三つありました。
     私の履歴書を見ると3~4年ごとに仕事を変わっています。イエス様を伝えたいという思いと、子供の成長に合わせて職場を変えています。子供第一にしたいのでそういう形態になってしまいました。 
     今年は親とか兄弟とか、一度に三人が入院して二人退院しました。まだ一人母が入院していますが、これも、家族それぞれが信仰を持ってお見舞いに行くと、いつも私は励まされて帰ってきました。
     もう一つは、今保育園の保母ですが、市民クリスマスに手話讃美に出るとき 皆は残業しているのですが、「頑張ってらっしゃい」という事で、見送られて出かけることになりました。当日、同僚の保母さんを誘ったのですが、二人の職員の方が参加してくれて「手話讃美があんなに美しいと知らなくて感動した」と言ってくれました。イエス様が色んな形で伝えられ、広まっていくのは素晴らしいと思います。
     「人にはできないが、神にはできる」という聖書の言葉がありますが、「駄目だなあ、どうしよう」とか思う時もありましたが、今はすごく元気で仕事に行っています。私は丈夫な方ではないのですが、歩けないような赤ちゃんばかり担当ですが、腰痛も起こさず毎日仕事を楽しんでいます。
     一番嬉しかったのは、息子の真実がイエス様と出会ったという体験です。その時息子は喜んで泣きながら帰ってきました。若い子の救われた感動の姿に胸打たれました。私も17歳の時に救いにあずかる体験をしましたが、これからも息子に負けないように頑張りたいと思います。
E.T
 治療に来ていたTさんが、疲れがひどいので検診を勧めたら、慢性白血病と診断され、入院し治療を受けることになりました。
     電話をもらって、どうしてもお見舞いに行きたいと思いました。
    
     ご主人を亡くしてまだ間がないし、お誕生をむかえたばかりのお孫さんも病気がちで世話をする人もありません。
     そのほかの周りの状況もあまりにもたいへんに思いました。
     神社につながる家なので、今までキリスト教の話はそう届きませんでした。
    
     でも今のこのたいへんな時期に、少しでも神様、イエス様の光に触れてほしいと思いました。そして心に平安を与えられたら、との願いが強くなりました。
    それで集会のNさんに頼んで、そんな私の思いにぴったりの本を数冊選んでもらって一緒にうかがいました。
     自然が清らかに描かれた写真集やマザーテレサのことばなど。
     彼女は私が思ったよりずっと元気でした。治療は注射1本だけ、後は何もなくて時間を持て余しているとのことでした。
    
     普段はたぶん手にしないかもしれないと思う本を受けとってくださり、喜んで読んでくださいました。
       
     娘さんはコーラスが好きだけど、讃美歌は好きではないと言っていました。
    でもそれでもいいんです。
    彼女が置かれた今のこの時、主が私の背中をおしてくださいました。小さな種をまきなさいと言われて。
     
     今は退院して、また私のところにも来られるようになりました。
     そして、あの本はとても心が安らぎ慰められましたと言われます。
    
     これからもいろいろな困難が起きるかも知れません。何かのおり、どんな形でかはわかりませんが、まかれた種が芽を出し、思いがけない人をも、起こされるかも知れません。
     主が生きて働いてくださることを信じ、祈って待ちます。
    
    わたし(パウロ)は植え、アポロは水を注いだ。
      しかし成長させてくださるのは神である。                              (1コリント3;6)
  荒野の試み
  広島県   T.O
 イエスが公の人として世に自分を示すのにまず、洗礼者ヨハネの噂を聞かれ ヨルダン川に来られた。イエスにこの時「霊が鳩のごとく下った。」と書かれている。イエスは聖霊を受けられた。そして、イエスは荒野に出向かれた。ヨルダン川の水を飲み込む、死海に向かわれた。エリコとエルサレムの中どころ、石灰地帯である。他にも修行者がいたのではと思われる。40日40夜の試み、荒野での空腹はサタンのことばが聞こえてきそうである。イエスは日夜聖書の御言葉を思い、映画のスクリ-ンのように、神との交わりに日時のたつのを忘れておられた。
     そこにはアブラハムの信仰、モ-セの信仰、ダビデ、イザヤすべての預言者の言葉が広がっていっていた。神の前ではアダムからカイン、ヤコブ、サウロ、すべての人類の罪、イスラエル民族の代弁者となり、とりなしの祈りが日夜続いた。イエスが目にされたのは、宮での祭司、教師、宮守、聖職者が神の御心にかなっているか、政治は民を守っているか。30歳まで見てきた事をふりかえり公の人となって神との約束は「神を試みてはならない」「主なる神にのみ従う」いずれも申命記に示されている言葉である。6章、8章には「人はパンのみで生きるのではない」が記されている。この時イエスの心に申命記がしっかりとあったのであろう。
     モ-セの率いるイスラエルの民も荒野での40年間今まで食べたこともない食物マナに出会う。イスラエル人の戦いは行く先々に他部族との戦いが待ちかまえている。神の力が加わり少数者での戦いでも勝つ事ができた。時には負ける事もあり異国の王に数年間も従う事もあった。ロトの子孫やエリウの子孫との戦いはモ-セは「避けるように」言うのに山に登り負けて身を谷間に置き、時には民は他国の女に情欲を燃やし偶像礼拝に走り、神の怒りに触れた。モ-セは昼も夜も取りなしの祈りに明け暮れていた。ついに、モ-セは良地カナンに行けなくて120歳で死にヨシアに託してこの世を去った。(申命記より)
  人はこのサタンの言葉を聞いて快いと思う。もしこの地の荒野が良き畑となり、パンが焼けるなら世界の救いはたやすいと・・・人類は今日に至るまで荒れ地からパンを作ってきたのです。人々は日夜このパンを求め戦い生きてきました。
     人はサタンと取り引きし神の言葉なき社会を築き続けているのです。人類は 益々言葉を失っています。石をパンにしようとした石の文化と、石の上にさらに石を置き、明日のない文明を築きつつある。イエスの戦いは石との戦いでした。イエスは十字架につけられるまで戦いをやめる事をしなかった。今でもこのイエスの戦いは続いている。闇は光に勝てなかった。荒野でのイエスは光であった。彼の心の中に光があった。十字架への道である。サタンもどうする事もできず、「しばらく遠のいた」と書いてあるが主の再臨の時までこの戦いは続く。このイエス・キリストを信じる私たちは新たな心構えに立ちたいものです。
     春は近い。「神の国は近づいた。」
  詩
  K.K
 わたしの目よ
     
     わたしの目よ、悲しみを見よ
     わたしの耳よ、苦しみを聴け
     わたしの手よ、痛みに触れよ
     主イエスの愛が伝わるために
     わたしの足よ、涙を訪ねよ。
    
    
    白いキャンパス
    
     朝、
     神様からいただく白いキャンパス
     一日の始まりに
     新しい絵筆をとる
     祈りつつ
     祈りつつ
     今日という時を色づける
     一日の終わりに絵筆をおいて
     神様に捧げる一枚の絵
  証し 北島集会に導かれて
  H.K
 私は日曜日はなかなか礼拝に参加することができなかったので、北島のTさんの集会に参加させていただいています。
     仕事が終わって自転車に乗って、また汽車に乗って、乗り継いで行くという事は、雨が降ったり、風が吹いたり寒いときとかは行くのがおっくうだなあと
    思うときもあります。でも皆様の祈りとか色んな支えがあって、水曜日に参加して、その中で本当に沢山のお恵みをいただいて来れたという事を、感謝したいと思います。
     その中で、心に残ったことは、ヨハネの手紙1の2章4節の所で「神を知っていると言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者でその人の内には、真理はありません。5節「しかし神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現します。」17節「世も世にある欲も過ぎ去っていきます。しかし神の御心を行う人は、永遠に生き続けます。」
     この御言葉が、この1年の間で特に心に残りました。そして神様の御心を行う人になりたいと切に思いました。
     この1年、色んな事がありましたが「恵まれた」という事を感謝したいと思います。
     皆様の祈りのお陰で、苦しい時を越すことが出来たことを、感謝したいと思います。私は17歳の時に信仰を与えられて、今まで来ましたが、その時の感動「求めよ、さらば与えられん」という御言葉が、今もずっと生き続けているという事を思わされます。
  証し 互いに重荷を担うこと
  Y.O
 私は四国集会のテ-マであった、ガラテア書6章2節の
    ところが心に残りました。「6:2 
    互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」という御言葉です。私達が思っている重荷と違って、最大の重荷が罪であり、その最大の重荷を神様が担って下さると教えられたのが心にずっと残っています。
     誰でも、自分の重荷を担っていて、どうにもならないのに、他人の重荷を担う事は、不可能であると思います。でも、神様のもとに行って自分の重荷を告白し、委ねて真剣に祈ると、神様が自分の重荷を担って下さる。そしたら、自分の重荷が軽くなって、他人の重荷が担える。自分が他の人の重荷を担う事で、他の人も重荷が軽くなり、こうして、祈りによってお互いに重荷を担い合うことが出来るのを思いました。
     キリストの律法は、愛の律法だと教えられた事も心に残りました。
     祈りについては、自分一人だけでは弱い祈りになるし、真剣に祈る事ができないので、神様に届かないと思います。それで、キリストを信じる人の集まるこの集会や、2~3人、神様のみ名によって集まる所の集会へ、参加して祈りを共に合わせる事が、大事であると思いました。
     私は分かっていてもなかなかできないので、心苦しいのですが、この集会からは離れず、ぶとうの木であるイエス様につながっていきたいと思います。
  信じる者に伴うしるし
  主日礼拝から・マルコによる福音書16~17
  K.K
信じる者には、次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊をおいだし、新しいことばを語る。手でヘビをつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手をおけば治る。
    
    マルコによる福音書のなかで、イエス様が弟子たちに最後に語られたことば。そのまま読むと、まさか!と思ってしまいそうなところだけれど、この、深い意味を学んだとき、主よ、どうかわたしと共にいて、信じる人にしてください、と、祈らずにいられない。
    「信じる者には」とあるので、これは、わたしたちにも語られている。信じる者には、こんな力が与えられるようになるというのだ。
     キリストを信じる者は、イエス様のお名前によって悪霊を追い出すことができる。
    そんなことが、本当におこってくる。イエス様は、すでに、悪の力に勝っていて下さるから、わたしたちは、太刀打ちできないような出来事のただ中に来てくださり、悪を追い出してくださる。この悪霊は、いかにも悪魔のような人ばかりのことではない。悪霊は、色を変え、姿を変えて、あたりにあふれる。新聞をにぎわす、恐ろしい事件の中にもいれば、身近なさりげない出来事の中にも働く。人の心を住みかとして、悪霊は宿り、その人を支配して思うがままに働く。自分で自分がどうにもできない罪の力。しかし、イエス様の名前はその悪霊を追い出してくださり、清めてくださる力がある。そして、真の主にある平安、喜び、赦しを知ったものは、その事を語らずに入られない。悪霊によって、ついつい人の悪口を言っていたものが、暖かい言葉をかけるようになり、不平ばかり言っていたものが感謝の人に変えられる。イエス様は、人に新しいことばを語らせてくださるのだ。
     そして、信じる者は、手で蛇をつかんでも、毒を飲んでも害を受けない。これは、使徒行伝におけるパウロのように実際に蛇をつかんでも死ななかった、という意味もあると思われるが、この意味するところは、毒と同様、本当の深い意味がある。信仰を持てば毒を実際に飲んでも死なない、と言う意味ではない。蛇と毒。蛇は悪の象徴であり、それをつかまされるような出来事も起こりうる。また、毒を無理矢理飲まされるような出来事も起こってくる。キリストを信じて生きていこうとするとき、必ず悪の力が働いてそれを妨げようとする。昔、迫害の時代を生きた信仰者は恐ろしい蛇や毒を浴びせられた。しかし、どのようなことがあっても、「信じる者は」その恐ろしい害から守られる。実際には苦しみのただ中におかれたままであったり、また、殺されたりもして、どこが守られているのか、と思わされる。しかし、その魂は守られて、害を受けなかった。今の時代のわたしたちの日常においても、蛇をつかむような出来事や、毒を飲まされるような苦しみは起こってくる。事故、人間関係、病気、さまざまな困難。悪意に満ちた罵りのことばなどは、心に刺さって痛い。思わず、相手を憎んでしまうこともある。しかし、静まって、主に心を注ぐとき、わたしたちは、そのような悪の支配を受けない。「決して害を受けず」とあるように、心は守られ、平安が与えられる。
    病んでいる者に対しても、イエス様の名前によって手をおけば、癒される。実際の病気が癒されなくても、心は主にあって、平和で健全となり、魂は健康な者となる。
    信じる者に与えてくださる、イエス様の力。わたしたちは、思い切って信じていこう。
    主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい。      (エフェソ人への手紙6-10)
  証し 神様に愛されている
  S.T
 証しをします。イエス様と初めてお会いしたのは、私が小学校の5年生の時でした。その時聾学校の先輩に、とてもキリストの宣伝が強い人がいました。
    みんなに「あなたはイエス様を信じなさい」と強く勧めていました。私も勧められ、「ああ、おもしろそうだな」と思い、いつも勧められていたので、いつの間にかイエス様が私の中に入っていました。その時私は「イエス様が好きです。信じます。」と素直な心で受けました。それが初めてのイエス様の出会いです。
     けれども、学校を卒業してからは、神様が居るという事を忘れて、心が神様から離れて「遊びたい」若いから「遊びたい」とサ-フィンに夢中になっていきました。その時、顔は日焼けして真っ黒、髪の毛も金髪になっていました。 日曜日も礼拝に行かず、毎日毎日サ-フィンに夢中でした。
     その後、色々な問題にぶつかって「ああ神様の所へ帰ろう」と思いました。「イエス様、今までの事をお許しください。悔い改めます。」と言いました。ある日曜日、サ-フィンの友達から「サ-フィン大会があるよ」と誘われ、「1日だけ休みサ-フィン大会に行こう、それなら大丈夫だろう」って思ったのです。これは大きな間違いでした。礼拝を休み、サ-フィン大会に参加し、優勝してしまったのです。その時また元のようになって「サ-フィンがしたい、したい。」と思うようになりました。神様の事もまた忘れてサ-フィン、サ-フィンと思うようになりました。その時には「もうプロになろう」って思ったのです。何回も賞はいっぱいとるし、健常者の友達もほめてくれるし、「私はプロになる、プロになる。」と思いました。
     6年間くらい後、また色々問題にぶつかって「もう限界」という感じで、サ-フィンをしても空しい気持ちになり、その時久しぶりにクリスチャンの友達と逢った時に「教会へおいで」と言ってくれました。でも私は「イエス様を捨てた、それでもう行けない。」って言ったのですが、それから3日間眠れません。イエス様の事を思って苦しい、目が覚めてもイエス様、仕事をしていてもイエス様、苦しくて、とうとう教会に行きました。その時牧師先生がびっくりしました。随分久しぶりに参加したからです。6年たってやっと帰ることができました。その時私はイエス様を捨てた事を話ししました。でも先生は「あなたはイエス様を捨ててはいません。あなたを愛して待っていて下さったのですよ」と言って下さいました。そのお話を聞いて「ああそうか、そのお心がうれしい」と思いその結果「イエス様、私はもうこれからは、イエス様を離れません。頑張ってイエス様を友達にも知らせます。イエス様は本当に素晴らしい。このような私でも愛して下さっている。」ともう嬉しくて嬉しくて友達にも今はイエス様を伝えています。
  証し
矢内原忠雄の思い出
  M.F
 この集会に最近は若い方がとても多くなりました。若い方たちを見るたびに
    私も若い時があったナって懐かしく思い出しております。
     吉村さんは矢内原忠雄の1冊の本を通して信仰に進まれたと聞いていますが私も矢内原忠雄について忘れられない思い出があります。今から43年も前の話しなのですが、徳島で学長会議っていうのがありました。当時東大総長であった矢内原忠雄がその学長会議に出席するために徳島へ来られた時があります。矢内原忠雄は「嘉信」という福音伝道誌の主宰でもありましたので嘉信の読者会をしようかという事になりました。学長会の後、そういう会を持つことになり、私は嘉信の読者ではなかったのですが無教会の一員としてお声をかけていただきました。その時は1956年の4月19日の夜でした。丁度朝から風雨が強くなって春の嵐のような一日でしたけれども療養所にたくさん居た嘉信の読者の中で特にその日は主治医に外出許可をもらって出席なさった方や杣友豊市さんを始め多くの方が集まって30名ほどになりました。
     その時、矢内原忠雄が学長会議の後でとても疲れていると思ったのに「私は皆さんにお会いできてとても嬉しい。こういう時を持つのが一番嬉しい」という意味のお話があり本当に嬉しいとおっしゃってくださいましたのでそれまで緊張していた気持ちがなごやかになったのを覚えています。その時詩編第23編を力強く朗読してくださいました。その頃若い姉妹と共に競って詩編を暗誦したのを思います。当時は文語訳で覚えやすかったのだと思います。その時のお話で心に残ったことは、「いつも今を大切にして伝道するという事を第一にしているという事でした。お体が丈夫ではないようで、「健康になってから伝道しようと思ったらそれはいつの事になるか分からないから、少々体調が悪くても神様のご用第一にしているというお話でした。またご家庭の事も話して下さり、矢内原忠雄も早くに奥様に先立たれ、再婚されていました。先の奥様の子供と新しい奥さんの事など ざっくばらんにお話下さいました。悩みを持っておられる事など分け隔てなく普通の言葉でお話下さりびっくりし感動しました。大きな悩みを持ちながら神様の事を第一にして社会的にも大きな信仰を持って貢献している姿をまのあたりのしてその後ろにある神様の大きなお力を実感させられました。
     それから後も無教会の政池仁、黒崎幸吉などが来て下さりそのたびに講演会が開かれ、また家庭集会が持たれこの徳島の小さな集まりがどんなに神様に祝福された集会であるかという事を今まで身を持って体験した事を皆様の前でお証しします。
  証し 病院での導き 
  S.I
 まず、この1年間主からいただいた愛と恵みと光と力を感謝致します。私は1月に風邪をひいて食欲も減退し体力がなくなり4月には歩けないような状態になってしまいました。そして友人に相談して「どの病院に行ったら良いか」と思ったのですが、私は心臓の血管に金属を入れています。3年前に手術をし、それから毎月日赤にかかっています。今回は風邪なのでどこにしたら良いか迷いました。空気のよい所にしようと思い、神様がそちらにいらっしゃいと招いてくださっているような感じを受けたので決めました。その病院で、私は73歳ですが、私より8歳年上の方が入院していました。足腰が駄目でほとんど寝たきりの状態の方でした。私も母を20年間看て色んな経験をさせてもらっていたので、その方の思いや、言葉に出せない気持ちもすぐ分かるので、お手伝いさせていただいていました。私の所へある日不思議と鷲敷教会の牧師さんがお見舞いに来て下さいました。その方に、自己紹介のように紹介すると、「えっ」と言って驚かれました。その方は、警察の署長さんの奥さんで当時鷲敷に転勤したけれど宿舎がなくて、前、教会に使っていた所を急きょ空けてくださってそこに住む事になりそこで長男を出産されたとのこと。神様の色んな摂理の中で大きな出会いをいただいているんだなという事を感じました。
     そのような出来事もあって、導かれそれから老人会の集会を持つようになりました。皆様、心の中で本当に喜びと感謝を持つようになりました。
  証し 主のお恵みの中で
  S.U 
 この1年間、聖書を学ばせていただいて、最も強く残っているものとして、タラントのたとえの話しがあります。今、一つは私にとって最大の恵みは聖霊の働きを身をもって信じることの出来た事です。
     神は公正であって決して人を片寄り見られません。私達はそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントいただいています。この世的な量目に心奪われて、色々考えたり、図ったりしますが、神様から、みなその人にふさわしいタラントをいただいていることを忘れてはならないという事です。そして、感謝して与えられたタラントを使っていこうとする時、神様も助けて下さると思います。また、聖霊も常に私達と共に働いて下さるという事も思います。聖霊は世の流れに抗し、耐えて、御言葉に生きる所に必ず共に働いて助けて下さいます。
  雪の乗鞍岳
  S.M
 「さあ、行こうか」。そんな夫のかけ声で、日曜以外の休日はだいたい山行きとなる。まだ、あれもこれもしなければいけないのにと思いつつ、休みの日くらい自然の中でリフレッシュしたいという夫の意向を尊重して、文句を言いながらもついていく。
     「どこに行くの」と聞けば「乗鞍岳」。夏に信州の乗鞍岳に登り、お花畑の美しさを満喫したが、奈良の大塔村近くにも乗鞍岳があるのを発見したという。993メートルで、それほど高くはないけれど、ここ数日冷え込んだからきっと雪が積もっているに違いないと、リュックに防寒着などを詰め込んで、さあ出発。
     右に金剛山、左に大和葛城を仰ぐ水越峠を越えれば奈良に入り、車で約1時間半。星のくにとして知られる大塔村に着いたが、地図では山の近くまで車で行けるはずなのに、予想どうりの雪で車をおいて歩くより仕方がない。雪を踏みしめながら林道を歩いていくと、地の人らしい男の人がやって来た。「乗鞍岳はこの道でいいですか」と聞くと「ええ、それはそうですが・・・雪ですよ」と言いながら夫の重そうなカメラを見て、「まあ、乗鞍に行く道は確かに見晴らしはいいし、雪だから来たんでしょうから・・・」と心配そうな顔で丁寧に道を教えてくれた。
     そのあたりから、人の足跡は全くないのに動物の足跡だけが所々交錯していた。白く輝く大峰山脈に目を奪われながら歩き続けるとついに登山口。「ええっ!」と立ち止まってしまった。地の人が心配するのも無理はない、人一人やっと歩けるほどの急な坂道。それも、雪に覆われてよく分からない。雪山なんて登ったこともないのに、こんな、人一人いない山に登るのはあまりにも無謀だと思いつつ、でもここまで来たのだからともかく少しだけでもと、新雪を踏みしめて登って行った。
     そこにもくっきりとあざやかに動物の足跡。鹿かイノシシか、まさか熊ではないだろうと不安だったが、まるで道案内のようにずっと続いていた。あの平らになった所まで、あの熊笹の所で引っ返そうと言いながら、そこに来るともう少し登れそうな気がして、もう少し、もう少しと、ついに「乗鞍岳あと20分」という立て札の所まで来た。この分かれ道、右か左かと見渡せば、その足跡は左に向かっている。立て札の矢印も左。ますます不安になりながら、尾根づたいのなだらかな道を歩いていくと、ついに頂上。こんな雪の中をよくも登ったものだと、なんだか信じられない気持ちだった。動物の足跡は頂上を越えても続いているのを見て、ともかくこのあたりにはいないだろうと、一安心。ほっとして改めて雪山の美しさに見入った。
     夫は写真撮影に余念がないので、私は一人祈ったり讃美したり。いつしか、「神様、あなただけ、あなただけ。もう他には何もいりません」と込み上げてくる喜びは、もう天国にいる気分。こんなに贅沢な喜びがどこにあるだろう!と思いつつ、山どころか歩くこともできない人たち、様々な重荷を負って悩んでいる人たちに、せめて心を込めて仕えさせてくださいと祈る。
     帰り道は大変だった。アイゼンも付けていない登山靴は滑ること滑ること。特に夫は、無事に帰り着くだろうかと思うほどスッテンと見事に転ぶ。杖を見つけてどうにか林道にたどり着いたときは、その苦労故に、雪の中をめげないで頂上まで登ったことに、新たな感動が溢れてきた。
     ともかく、文句を言いながらついていった雪山登山は私の中で忘れられない1ページとなった。
  不思議な体験
  Y.K
 不思議な体験をしました。それは臨死体験です。
     この一月の初めに、胆のうの摘出手術を受けましたが、術後CCU(集中治療室)に入った直後のことです。突然に心停止が起こったのです。心電図に残っている記録では15秒くらいの間だったのですが、意識を失っている時の出来事です。目の前一面がオレンジ色の光におおわれて、フワフワの雲の上に乗っているようで非常に気持ちがいいのです。体も自由自在に動いて、リラックスしていて楽なのです。そしてとても強い幸福感があって、なぜか嬉しくて嬉しくてしょうがないのです。まさにそこはパラダイスに感じました。今までこの世で味わったことのない喜ばしさでした。
     表現がへたでうまく言い表せませんが、私が憶えているのはこれが全てです。その体験が面白いことに二日続いたのです。それが二日とも同じ情景でした。もっともっと長くその場所にいたいと思いました。こちらに戻ってくるのが勿体ないような気分でした。しかし心停止が一分二分と続いていれば、死に至っていたでしょう。そこまでいかなくても、脳の破壊が起こっていたかもしれません。その後も心停止が何回か起こったので、これは危険だということで心臓ペースメーカを植え込む手術をする羽目になってしまいましたが、そのデメリットに比べても惜しくない経験でした。
     臨死体験を扱った本はたくさん出版されていますが、私は正直なところその体験談の多くは眉唾ものだろうと高をくくっていました。でも今回のことで、臨死体験は本当にあって、また死で全てが終わるのではないということが良く分かりました。その啓示するところが何かはまだ分かりませんが、イエスさまが一足先に神の御国を見せて下さったのだと信じています。御国は素晴らしいところでした。
     こんな経験が度々あってはいけませんが、また体験してみたいような気もします。常日頃私の役目が済んだ時には速やかに命を取り去って下さいと祈っていますが、あんな素晴らしいところならいつでもいいと思います。
  短歌
  A.M 
☆ 寒き朝遊歩道を訪れて
          春の予感の寒椿咲く
     ☆ 寒風の中に古木は黙し立つ
          主に委ねしか堂々として
    
            M.I
     ☆ 吾れは吾れあなたはあなたそれぞれに
           主が違う人創り給えり
     
     ☆ 曇り空必ず晴れるその日まで
           主の計画に委ねて待ちぬ
     
     ☆ 建て前の多きこの世に添えずして
           部屋にこもりて聖書を開く
    
     ☆ 讃美歌を作りし姉妹タラントを
           主のため使い仕えて歩む
     
     ☆ 全身で満たす喜び表して
         愛犬胸に飛び込みてくる
     
     ☆ ゆったりと湯船につかる安らぎは
          主に依り頼む時に似ている  
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  最終更新日 : 2000.04.05