「野の花」20251月発行 

もくじ   今回はマ行の方からとなっています

はじめに

T.Y

あけぼのの光

K.M(愛媛)

聖句

K.M(徳島)

俳句

KM(東京)

中村哲医師の言葉

M/M(滋賀)

賛美

SM(徳島)

感謝しています

K.Y(徳島)

賛美

K.Y(徳島)

嬉しい事

W.Y(山形)

「昼、太陽はあなたを撃つことがなく、 夜、月があなたを撃つことがない。」

K.Y(埼玉)

いつもそばにいるよ・イラスト

T.Y(徳島)

最近感動した賛美歌「恵み」

S.A(神奈川)

「赤毛のアン」 

M.A(徳島)

力づけられる御言葉

M.I(徳島)

畑のこと

J.I(埼玉)

生ききる

M.I(徳島)

生き生きとした希望

E.O(北海道)

試練を受けてその先にあるもの

M.O(北海道)

聖霊の風よ

E.I(徳島)

みことば

K.K(徳島)

聖句

I.K子(東京)

かたく神に頼れ

H.K(徳島)

マリガン

M.K(東京)

信仰によって -ヘブライ人への手紙に思う 

H.K(千葉)

静かな祈りの時

N.K(福岡)

み言葉

Y.S(徳島)

主日礼拝の学びから

K.S(徳島)

野の花とイエス様

S.S(長野)

感動を伝えるためには

H.S(徳島)

詩編一三九編

M.S(長野)

新たに生まれる(Born Again) 

K.T(北海道)

聖書通読(6)

M.T(岡山)

ただ信じて歩む

R.T(徳島)

イエス・キリストを信じる信仰による神の義

Y.T(京都)

使命・イラスト

Y.T(徳島)

祈り

K.T(宮城)

「聖書はどんな書か」 

Y.T(千葉)

「デウロ(さあ)、私に従って来なさい」 

H.T(青森)

パンを分かち合うこと

S.T(千葉)

主われを愛す

Y.T(徳島)

賛美その他の雑感

M.T(千葉)

マルコ福音書より

K.M(徳島)

心に残る讃美「感謝します」  リビングプレイズ131より

E.T(徳島)

神様の愛はあるでないで

K.Y(徳島)

アメージンググレイスの魂

Y.T(徳島)

自分が何をしているのかわからないのです

N.N(東京)

パーキンソン病の重荷を負う中より

T.N(福井)

「愛、深き淵より」 ー力は弱さの中ではたらくー

K.N(大阪)

夏から秋の自然の中で癒されて

M.N(静岡)

ヒルティー「眠れぬ夜のために」 第一部

M.N(東京)

日曜礼拝から

M.N(北海道)

賛美すること

H.H(徳島)

復活の希望

F.F(徳島)

「いのちの水」誌、「一日一生」より

K.F(神奈川)

罪咎を赦され

S.F(徳島)

創世記の学び

S.F(鹿児島)

「五百万円より五百円を」

~今井省吾さんの特別寄付~

M.H(神奈川)

右田先生のこと

Y.H(熊本)

・過去の「野の花」に掲載された文章から 主の導き

M.F(徳島)

大震災に思う

T.Y(東京)

一本のバラの花のために 「星の王子さま」の中から

E.Y(徳島)

おわりに

T.YOSHIMURA

 


 ’本文)

はじめに

 2024年、それは戦争のニュースが常に流れた年であった。

 他者を大量に殺害し合うのが戦争である。 しかし、たった一人の命を奪ったり、重傷を負わせることさえ、本来は、重い犯罪として処罰されることである。にもかかわらず、戦争という名のもとでそれが大規模になされて、多くの人が互いに殺傷したり、重要施設が破壊され、攻撃された側は生きていくことさえ困難になることもある。そしてそのような悲劇を引き起こしたにも関わらず、攻撃側が大いに喜ぶというのが戦争である。

 そのような状況に慣れてしまうと、何が本当に大切なことなのかもわからなくなっていき、こうした風潮は人々をそうした真理に無感覚な状況へと押し流していくことになる。

 しかし、そうした世界的な流れにも抗して、その暗夜の状況にあっても、なお、不動の岩のごとくに流されず、星のように輝き続ける力が存在し、その真理は、いっそう重要となりつつある。

 その不動の岩ともいうべきもの、それこそは数千年も前から、一貫して告げられてきた。

 …どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。

                                               (イザヤ264

 …主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ。

                                           (詩編18の3)

 現代は、かつてないほどにネットが人々をまどわし、真理から引き離そうとする状況がさらに激しくなりつつある。

 しかし、それでもなお、そのような暗雲漂うただなかにあって、真理の光を受ける人達は主によって起こされていく。

この文集の内容もまた、そのような光を受けた方々の歩みの証しとなって、天来の響きを伝えてくださっていることを感謝! (T.YOSHIMURA

あけぼのの光

                      K.M(愛媛)

 闇は色々な形で 突然やってきて心を暗くします。

 今月、祈りの友と会う恵みを頂きました。「祈っています」と言って下さり 慰めと励ましと聖霊に満ちた深いお祈りを頂きました。私の暗かった心が明るくなり 大きな平安が身体中に広がりました。

「高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

                                  (ルカ1の78~79)

 2023年から「祈りの友」にも入れて頂いています。今日も誰かが私の事を祈って下さっている。祈り祈られる恵みを感謝申し上げます。               (松山市)

聖句

                       K.M(徳島)

「神は愛なり」

            第一ヨハネ四章十六節

俳句

                       KM(東京)

  黙す野に種ざわざわと春待ちぬ

  生き抜くと思う夕なり蝶たいら

  朝靄の優しさ淡さみな包む

  身に余る贈り物あり今日暮れる

  日ごと増す光は空の手紙かな

  秋雨が苧環に置く水銀粒

  葉に落ちる雨の指揮者は風らしき

  今朝までのつらき塊秋の来る

  何か身に余るときなり花開く

  思わざるほうへ傾く百日草

  赦し合わん罪なき野原で赦し合わん

                    (東京)

 中村哲医師の言葉

                         M/M(滋賀)

 「最後に言う、主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

 私たちの戦いは血肉を相手にするものではなく、暗闇の世界の支配者、悪の諸霊を相手にするものなのです。だから邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げてしっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エフェソ6の1013より)

 10月6日の主日礼拝で「父からの杯を飲む」というテーマのメッセージの最後に引用されたみ言葉です。このみ言葉がとても心に深く残り、何かとても気になっていました。しばらくして、武器を持たず何か「支配、権威、暗闇の世界の支配者、悪の諸霊」みたいな者と戦っておられたひとりの日本人男性のことを思い出しました。

 数ヶ月前、春たけなわの頃に「中村哲という希望ー日本国憲法を実行した男」という本を読んだ時、この方は何とぶれない強さを持っておられることだろう、と思いながら読み進むほどに驚嘆の連続でした。

 

 2000年頃、アフガニスタンは大干ばつで、飢餓、餓死が深刻な問題になっていました。「外来で列をなして待つ間に、わが子が胸の中で死亡、途方に暮れる母親の姿は珍しくなかった」 「問題は医療以前であって『病気どころではない、まず生きておれ!』という状態だったのである」と言っておられます。

 2001年に、大干ばつの上に国連がアフガニスタンに 経済制裁、9.11同時多発テロ。中村さんは医療どころではないと、水を確保するために 土木作業を続けておられました。そんな中、日本は自衛隊を派遣する「テロ特措法」なるものが審議されていて、中村さんが国会で参考人として発言されました。

 「私は断っておきますが、タリバンの回し者ではありません。それから、イスラム教徒ではありません。キリスト教徒でございます」と前置きして、アフガニスタンの当時の現状を話されました。現地の事情を全く知らずに審議されているのが耐えられなかったに違いありません。

 「現地におりまして、対日感情にいろいろ話しはしませんけれども、日本に対する信頼というのは絶大なものがあるのですね。それが軍事行為に、報復に参加することによってだめになる可能性があります」

 「当地の事情を考えますと(自衛隊派遣は)有害無益でございます。かえって私達のあれを損なうということははっきり言える」「百害あって一利なし」とも言っておられます。

 中村医師が現地代表であるペシャワール会の人々が営々として築いて来られた信頼によって、車に日の丸をつけていると、どこへ行っても安全だったのが、自衛隊が来ることによって、日の丸を消さなければならなくなったとも言っておられます。自衛隊は軍隊でないと思っているのは日本国内だけで、外国では

Japanese Army〟つまり〝軍隊〟と呼ばれているそうです。

 国会でこの「自衛隊派遣は有害無益」発言を取り消せと言われても、「人を殺してはいけない、人殺し部隊を送ってはいけない、軍隊と名前のつくものを送ってはいけない」中村さんが懸命に語り続けられたにもかかわらず 「テロ対策特別措置法」は通過しました。何の為に中村医師を参考人として呼ばれたのでしょう。

 「僕は憲法九条なんて意識したことはなかった。でもね、向こうに行って九条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる。これが我々を守って来てくれたんだなという実感がありますよ。体で感じた思いですよ。言ってみれば憲法九条を具現化して来た国のあり方が信頼の源になっているのです。」まだ間に合う、この事を大切にして、昔どなたかがおっしゃった「小さくてもキラリと光る国、日本であってほしい」と私は願います。

 「百の診療所よりも一本の用水路」という中村さんの言葉が有名だそうです。「干からびた大地を緑に変え、本当に実のある支援を我々は目指す。その大きな挑戦として、用水路を建設して豊かな故郷を取り戻す。議論無用である。一致して協力し復興の範を示すことが我々の使命である。これは武器なき戦いである」

 「武器なき戦い」それはそれは壮絶な戦いでありました。 「診療所の外が騒々しいと思った途端、ビシッ、ビシッと土塀に弾丸がめりこむ音がした。2名が銃弾で殉職した。()

 しかし私は発砲厳禁。人も手配するなと立ちはだかります。不安にかられた彼が 皆殺しになってもか、と不服を述べましたが私は『そうだ、皆殺しになってもだ!』『 よく聞きなさい、私たちは人殺しに来たのではない、人の命を助ける仕事でここにいる』「死んでも撃ち返すな」がペシャワール診療所襲撃事件の教訓 だそうです。

 中村医師の真に迫った言葉がもっともっといろいろ書かれています。枚挙にいとまがありません。最後に極めて簡単に書き加えたいことは、中村さんが「干からびた大地を 緑にするために」江戸時代の工法を一から学び、娘さんの高校のテキストブックでサインコサインを学びなおし、ご自分で設計をして灌漑システムを作られました。

試行錯誤の連続、気の遠くなるような作業だったことでしょう。

 中村さんは聖書のみ言葉を引用されてはいませんが、神様の武具はしっかりと身につけて、真理に立っておられたからかくも強くあられたのでしょう。中村さんは確かに神様が満たされた杯を飲みほされたのです。

  賛美

                      S.M(徳島)

 9月23日、「祈りの友・合同集会」に参加して、復活のことを聞いて、とてもよく分かりました。

 好きな賛美

  

 幸い薄く見ゆる日に 孤独に悩む時に

 わが恵み汝(な)れに足れりと 静かな声を聞きぬ

 さればわれわが目を上げて

 十字架のイエスを仰がん

 主よ汝(な)が愛を思えば われに乏しきことなしと

 愛する者を失いて 望みの消ゆる時に

 われ汝(なんじ)をひとりにせじと 優しき声を聞きぬ

 さればわれ笑みをたたえて

 友なるイエスに応えん 

 主よ汝が愛に生くれば われに乏しきことなしと               アーメン  (「幸い薄く見ゆる日に」新聖歌330番) (徳島)

 感謝しています

                      K.Y(徳島)

 スカイプで毎週、イエス様のことを学べる時間は大切です。

 このごろ特に思うことは、次のようなことです。

・イエス様は、いつも全能のお方です。

・私のように罪深い者のところに、神さまイエス様が来てくださった。

・私たちは、いつも、神さまのもとにつながっている。

・二人、三人がイエス様の名によって集まるところには、イエス様は、その中にいて下さる。

・イエス様の聖霊がいつも来てくださる。

・いつも祈っていることが、私達にできる大切なこと。

 学ぶことができるのは、お世話してくださる方、メッセージしてくださる方のおかげと思 っています。感謝です。(徳島)  

賛美

                          K.Y(徳島)

 家庭集会のときに賛美した「はじめにおられた神のみことば」が良かった。歌詞全体が分かりやすい。くりかえしのところが転調となり、曲の途中で調が変わっていて、良いと思いました。

 

 初めにおられた神のみことば

 

 初めにおられた 神のみことば

 星と月と日を 造られた主よ

 あなたの御声は 全地を保つ

 空と海と地は 喜び歌う

 (くりかえし)

 イェスは救い主 世の造り主

 御声は全地に響く

 

 失われた者 救い出すため

 天の御座を降(お)り 人となられた

 御手を差し伸べて 人を助けた

 けれども十字架は 耐え忍ばれた

 

 墓を打ち破り 死に勝利して

 虜(とりこ)を引き連れ 天に昇った

 父の前に立ち 今もとりなし

 国々の民を 御国へ招く  (教会福音讃美歌46番)          

                                              (農業・徳島)   

嬉しい事

                      W.Y(山形)

 私は子供のときから、単純な「天の御父様信仰」でした。そして、50歳になってもイエス様が分からず、困っていました。

 ところが、祖父から母に譲られていた、金田福一著「臨在のキリスト」を読んで、突然イエス様のことが分かり、実感できました。なおも、無教会の関根義夫先生のパラクレートスを読んで、イエス様は優しい優しいお方なのだと知りました。

 そこで、一昨年の夏から、新改訳2017で新約聖書を毎朝、読み始めました。併せて、母と一緒のディボーションの本も読み、お祈りをしました。

 最近では、内村鑑三著「一日一生」と旧約聖書(母に「神様の厳しい面もね」と言われて)も同時に読むようになりました。

 楽しい時も苦しい時も、神様、イエス様が共にいて下さる人生を、生きられるようになり、感謝です。

                   (主婦)山形県

「昼、太陽はあなたを撃つことがなく、

夜、月があなたを撃つことがない。」

(詩編121編5~6節)

                                     K.Y(埼玉)

 今年、2024年も酷暑の長い夏でした。10月になって、朝夕には自然の涼しい風が送られてきました。神様のお恵みに感謝です。夏の酷暑の中で、詩編121編を思い巡らすことができました。神様の真実と憐みを深く覚えさせられて、天からの慰めと力が与えられました。前記のみことばに続いて、121編7節「主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。」8節「あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。」

 この詩編121編のみことばが、繰り返し私に語り掛けてくるようでした。日々、私達一人一人が経験させられる試練や誘惑の中で、イエス様への信仰に依り頼みながらも尚、肉の思い煩いにふり回されていることに気付かされます。疲れ果ててしまう弱さを思い知らされます。それでも尚、主に目を向けてみことばに聴こうと導かれます。次のみことばは、そんな私に主イエス様が語りかけてくださる愛に満ちた、力強い救いのみことばです。

 マタイによる福音書11章28~30節

「すべて重荷を負って苦労している者はわたしのもとに来なさい。 あなたがたを休ませてあげよう。

私は柔和で心のへりくだった者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。

 そうすればあなたがたの魂に安らぎが得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 また、次の讃美歌、「心にもだえあらば」に出会っています。1888年に作詞作曲されたもので、原文の最初は、Are you

weary? とあり、チューン名(曲名)は、 TELL  IT  TO  JESUS とありました。 

 祈りへの促しとさんびが、私の魂にこだましてくるようです。

心にもだえあらば イエスに話せ イエスに話せ

  悲しみ憂いあらば イエスに話せよ

  (繰り返し)

イエスに話せ 善き友なる イエスに話せよ

  思案せずに 何事をも イエスに話せよ

涙のせき来るとき イエスに話せ イエスに話せ

  隠せる罪を持たば イエスに話せよ

  思案せずに 何事をも イエスに話せよ」

恐れに囲まれなば イエスに話せ イエスに話せ

  明日の日気にかからば イエスに話せよ

死ぬるに安きなくば イエスに話せ イエスに話せ

  まどえるその心を イエスに話せよ

                                  (新聖歌200番)

いつもそばにいるよ 

                       T.Y(徳島)

 2024年10月30日(水)スマートホンの目覚まし音で起きました。神様感謝致します 私の希望を叶えてくれる身体を今日も与えて下さり有難うございます。今日は何があっても野の花誌に載せて頂く文章を書き上げてしまわなくてはならないのです。 ひと月前から書き始めて来客や外出などで書き上げられず、とうとう今日になって仕舞いました。朝10時過ぎに来る廃品回収に出す反古紙やダンボールを纏めていましたら、メモの文字に目が留まりました。

 いつ頃書いたのか覚えが無いのですが、読んでみると今も同じ思いで有ることなのです。神様貴方は優しすぎます。

私は今日も愚かな一日を過ごして仕舞ました。一日を終えるこの時間になって思い返し後悔します。反省してます。イエス様に赦しを願い祈ります。そして又 次の日も愚かな日の繰り返し その様な私でもイエス様はお赦しになります。次の日を与えて下さいました。罰を御与えになりません。

 でも私は思うのです「私の一人よがりですか、神様」。不安になってイエス様に呼びかけます。心の宮を何時も美しく整えなさい そこにわたしは住む、と 主イエス様はおっしゃいました。

こんな汚れた私の心に居てくださるのだろうか…愚かさに気づいて罪のあがないを願いお祈りします。

 高橋みことさんが小学生の頃私に「わたしは、何時もそばにいるよ」と書いたカードをくれました。イエス様がくださった。と思っています。決してお見捨てにならない。集会の度事に信じる心強くして、今日もこの文章を書かせて頂きました。(イラストも 米田武子)

   最近感動した賛美歌「恵み」 

                       S.A(神奈川)

 代々木公園通路チャペルに参加してくださっている方が洗礼式をするというので、その立ち合いにその方が日曜日に通っている東京希望宣教教会の洗礼式に9月15日に参加しました。

 東京希望宣教教会は、多くの生活困窮者、野外生活者の方が参加されています。東京のJR新大久保駅に近いです。

 代々木公園通路チャペルは、土曜日にしていますので、土曜日の早朝は代々木公園通路チャペルに参加して、日曜日の午前は、東京希望宣教教会に参加している方もいます。

 そこで、聴いた曲は以下です。音源を聴きたい方は、ぼくのEメールまで連絡をください。

恵み

    与えられたものすべて 

  過ぎていった時間すべて

  あゆんだすべての道も

  当然でない 主のめぐみ

  かがやき上り沈む日 

  かおる風 秋の実り

  うつりゆく この季節も 

  当然でない 主のめぐみ

  すべては 主の めぐみ 

  めぐみ かぎりない

  あたりまえのことなど何もない 

  すべては 主のみめぐみ

    おさない日から 今日まで

  この世にいのちを受けて

  息をし 夢見ることも 

  当然でない 主のめぐみ

  神の子とされ ささげる

  主への賛美も礼拝も

  福音を伝えることも 

  当然でない 主のめぐみ 

  すべては 主の めぐみ

  めぐみ かぎりない

  あたりまえのことなど何もない 

  すべては 主のみめぐみ

 東京希望宣教教会での洗礼式の日、おそらく10曲以上は、賛美したのですが、この曲のときは、手をあげて、賛美している方がいたりして みんな心をこめて賛美してるように感じました。

 この曲を10月19日の代々木公園通路チャペルの僕の賛美当番の日に、希望宣教教会に通ってる方、また、埼玉の教会に日曜日に通っていて、土曜日は、通路チャペルにも奉仕に来ている方と一緒に賛美しました。みんなで一つになって、賛美をするのは、すばらしいことだなと思いました。

 通路チャペルに参加してる方と、なるべくコミュニケーションを多くとりたいと思い、はやめに会場に行くようにしたり、終わった後も少し残って、聖書の学びや、賛美がしたい人がいたら、一緒にしたりしています。

 いま世の中のニュースを聴いていても、国が国民に対して、投資をすすめたりしてるのを聴いたりします。投資した人は豊かになるのかもしれないですが、大きな視点でみると、持ってる人がどんどん豊かになって、貧富の差が広がるのではないかと考えます。

 神様は、貧しい人や困ってる人を助けなさいと教えています、この教えこそ、ニュースなどでは、ほとんど聴くことできないですが、大切なのではないかと思ったりしています。

   赤毛のアン

                         M.A(徳島)

 私がモンゴメリの『赤毛のアン』と出会ったのは、おそらく中学生の頃であっただろう。今から50年も昔のことである。気が遠くなるほどの歳月を経て、今なお赤毛でソバカスだらけの夢見がちな女の子は私のすぐ近くにいて、生き生きと語りかけてくる。

 しかし、私は『赤毛のアン』をキリスト教文学の作品であるという視点で捉えたことは、今年の夏まで一度もなかった。たまたま聴いたラジオ番組(NHKカルチャーラジオ 日曜カルチャー なぞとき「赤毛のアン」2024年7月21日(3))でモンゴメリの生涯とキリスト教文学の関わりをテーマにした番組があり、そこで初めてそのことを知った。ラジオでは、アンの日常と周囲の登場人物にはキリスト教に根ざした生活があり、アンを巡るエピソードや、アンが語ることば、アンとマリラやマシューの関係性のなかにある隣人愛の精神などが語られ新鮮な驚きであった。

 著者のモンゴメリは、牧師と婚約中に『赤毛のアン』を執筆し、牧師夫人として日曜学校に関わるなど、生涯を教会と共に歩んだそうである。

 本を読み返してみたが百年以上前に出版された物語のなかで、少女アンは生き生きとして魅力的である。ただ、私の今の年齢だからこそ感じることは、歳を重ねたマリラやマシューに対する共感であろうか。

 ギスギスとして地味で厳格な女性であったマリラの人生の悲しみも理解できるし、愛情を注ぐことのできる家族を得た喜びも共感できる。マシューという名はマタイの英語名であるらしいが、マシューは隣人愛のひととして描かれている。アンが初めてグリーンゲイブルズにやって来た日、マリラはアンが男の子ではないことから「あの子をうちに置いて、何の助けになるっていうんです?」とアンを拒絶する。

 それに対してマシューは「わしらのほうがあの子を助けてやれるかもしれん」と言う場面がある。私の心に染み入ってくるとても大好きな気づきのことばである。

 古い西洋文学作品ではごく普通の生活描写のなかにキリスト教世界が描かれている。西洋文学にはキリスト教の精神がその根底に流れているのだろう。秋の夜長に読書を通してその世界観を味わってみたいと思う。             (徳島)

力づけられる御言葉 

                        M.I(徳島)

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。

 神は真実な方です。

 あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」        (Ⅰコリント10の13)

                       団体職員

畑のこと

                      J.I(埼玉)

 今から丁度四半世紀前、まだ現役で仕事をしていた1999年春から近くの農家の畑地を私の住む団地の15人の人達と一緒に借りて始めた100平米程度の畑も今年一杯で遂にやめることにしました。

 我が家から1.5km程度の距離のところにあり、家内と二人で始めたこの畑は私の定年退職後の殆ど唯一といってもよいほどの楽しみでした。

 しかし、ここ1~2年私も家内もからだのあちこちが病気に見舞われ、更には急速に足腰などの体力の低下を感ずるようになり、殊に今年のような猛暑が長期間続くと畑作業ができず、草がボーボーに生い茂ってしまい、周辺の畑にも迷惑をかけてしまいかねず、やめる決心をしました。

 早春の霜柱がまだ残る畑地を耕すことから一年が始まり、種を蒔き、苗を植え付けてその成長を見、そして収穫することの楽しみ、その畑作業は自然の恵み、神様の恵みを感ずるひと時でもありました。

 春にはあちこちから聞こえる小鳥たちの囀り、空高く昇って見えなくなるまで聞こえる「あげ雲雀」の鳴き声、畑に行く途中にある農家の庭に咲き乱れる色々な種類の美しい木々の花、夕方には近くにある森の営巣に帰ってゆく「白鷺」、そのような雰囲気と景色に浸りながらの畑作業、それは本当に心が休まるひと時でした。

 そして畑仕事を終えて、晩秋の西の空に日没寸前の真っ赤な太陽を眺めながら家路につく時、心の底から神の存在を感ずる25年間でした。

 家内共々後ろ髪を引かれる思いで、寂しい限りですが、高齢と病には勝てず、畑をやめることを決心した次第です。

生ききる

                      M.I(徳島)

 「一本の花が命の限り咲く それも使命」と『366のことば』の中で三浦綾子さんが言われています。

 思いがけない災害や災難に遭って前を向いて歩けないと思う程、打ちのめされることに遭うかもしれません。

 それでも絶望することなく、神様の愛や力を信じて、生き抜く事ができればと願っています。

生き生きとした希望

                     E.O(北海道)

 私は、スマートフォンだけしか持っていないのですが、札幌の大塚正子姉の御愛労と、徳島聖書キリスト集会の兄弟姉妹の皆様に、優しく接していただきながら、主日礼拝に参加しております。

 二〇二四年五月より、社会福祉法人ケアハウス青葉という所に、夫と入居しました。

 九十人の大世帯に入れていただき、最初は戸惑う事ばかりでした。ケアハウスとの約束事を忘れてしまったり、周りの方達の、お顔を忘れたり、お世話をしてくださる、ヘルパーさんの名前など何度聞いても、覚えられずにいます。そのように不安の日もありましたが、少しづつ生活に慣れて来ました。

 そんな時に、夫が腰を圧迫骨折しており、自分で寝たり起きたりができない状態になり、私の手助けが必要になりました。週二回通っていたデイサービスを休み付き添いました。時間をかけての介護は、私の不自由な身体には、かなりの負担になりました。身体も心も悲鳴をあげそうな時でした。

 「いのちの水」誌九月号のみ言葉をいただきました。「神は豊かな憐れみによって私たちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活により、生き生きとした希望を与え、天に貯えられている朽ちることなき財産を受け継ぐ者として下さった。」(ペテロ書1の3?4)ありがとうございました。

 皆様のお祈りをいただき回復に向っています。

 二〇二四年十月二十三日           (北海道)

試練を受けてその先にあるもの

                      M.O(北海道)

 夫と二人三脚で走り続けた私、夫を天に送り二年ようやくこれから一歩踏み出そうと心に決めた矢先、これまで守られてきた私の身体は、突然に悲鳴をあげ、右半身に激痛が走り動けなくなった。これまで休むことなく動けていたので、体力に自信を持っていた私に初めての試練でした。

 これから私は一人になってどう生活を続けるのか、私の残された命をどう全うするのか……悶々と過ごし、夜明けを待つ日々。少し落ち着いた時にようやく、これまで朝一番にかけていた讃美歌『必ず朝が来る』北田康広さんの歌声が私の心に戻ってきて我に返った。

 これまで夫が緊急入院し、すぐに失明して後「目に見えるものによらず信仰による……」(2コリント5の7)

 み言葉で心を決めたと証ししたこと、また環境が変わって聖書すら手元に持てない時が来るからみ言葉はこの身に蓄えておかなければならないと思っていた。(私自身の課題である…)

 これからの第一歩のつもりだった私に神様は大きな試練を下し、どこを向いて歩くのかと呼びかけておられる。ようやく復調に向かいつつある今、「混沌の中から光あれ」天地創造の主なる神、聖書をより深く読み、復活の主に守られて歩くことが私のこれからの道であると確信した。

 「私は世の光 わたしに従う者は闇の中を歩まず命の光をもつ」

                                 (ヨハネ8の12)

 「堅く立って動かされず いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。」

                    (1コリント15の58)

 「あなたに委ねられている良いものを 私たちのうちに住まわれる聖霊によって

 守りなさい」   (2テモテ1の4) 

 「見よ 私は世の終わりまで いつもあなた方と共にいます」

              (マタイ28の20)     (北海道)

 聖霊の風よ

                      E.I(徳島)

 風よ 聖霊の風よ

 きてください ここに

 春の そよ風が吹くように

 枯れた心を 包んでください

 どこから どこへ吹くのかわからないけれど

 主 あなたは確かに ここにおられる

 やさしい風の中に

 風よ 聖霊の風よ

 きてください ここに

 夏のあとの 秋風のように

 さわやかな喜びを 与えてください

 どこから どこへ吹くのかわからないけれど

 主 あなたは確かに 働かれます 思いのままに

 やさしい風の中に

 どこから どこへ吹くのかわからないけれど

 主 あなたは確かに 働かれます 思いのままに

 やさしい風の中に

 やさしい風の中に

 この賛美はインターネットで見つけた賛美です。

 「祈りと賛美」ができるわかりやすい歌詞で心に残っています。

 聖霊の風は私たちの気づかない所でもそばにいてくださって 働いてくださっていることを思い常に感謝していたいです。

                     (中途失聴)

みことば

                     K.K(徳島)

「わたしの愛にとどまりなさい」ヨハネ十五章九節

「渇いている者は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」ヨハネ七章三十七節

 イエス様のうちにとどまり続け、イエス様からいのちを受け続けることができますように。     (徳島)

聖句

                         I.K(東京)

「イエス・キリストは昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブル書第18章3節)

かたく神に頼れ

                       H.K(徳島)

眠られぬ夜のために(第二部)ヒルティ著

11月28日 すべてを神に

 ときおり勇気がくじけようとも、かたく、かたく神に頼れ、わが心よ、自分の勇気でなしとげられたものは何一つない、おのが勇気をたのむな。

 そうすればあなたの一生の道は転じて、み恵みが注ぎはじめる。そうすれば、主の力はいやまさり、もはや古きあなたでない。

あなたの姿の中で、主がはたらかれ、闇と光、

人間とキリストとが、ぶつかり合うことはない。

このヒルティの本に出会ったのは高校のときでした。聖書と共に読んで力と慰めを与えられています。

「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者はひらかれる。」                     (ルカ11章10節)

「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11章13節) お祈り有難うございます。宮田咲子様、毎月の福音有難うございます。

「わたしたちを試みにあわせず、悪からお救いください。」(マタイ6章13節)私もこのことを強く思っていたときでした。

有難うございました。

 今年もスカイプで参加されておられるかた、集会場に集められた方たちと共にみ言葉を聞き 賛美礼拝できたこと感謝でした。でも何かあると心は揺れ動きます。かたく神に頼り、聖霊が与えられて祈っていきたいと思います。      (徳島)

「マリガン」 ―やり直しの力― The Mulligan 

                       M.K(東京)

 「祈りの力」・「赦しの力」という映画に続いて造られたマリガン(やり直しの力)。マリガンとは、ゴルフで朝一番のティーショットをミスしても、もう一度打てる特別ルール。

 主人公のポールは、ビジネス一筋で取引先を海外にまで伸ばし、大きな成功を収めていた。

 しかし、家族関係は破綻し、妻と一人息子ジェイクとは別居中。彼はゴルフの腕も一流だが、人との付き合いを大切にせず、スコアばかり気にしているため、大きな壁にぶち当たっている。一緒にプレイしたプロゴルファーが、そんな彼を心配して、オールドプロ(老年のプロゴルファー)(パット・ブーンが演じている)を紹介した。オールドプロとポールとの月1回の個人レッスンが始まる。それは通常のゴルフの練習とは違ったものだった。

 聖書の御言葉を基に生活態度を少しずつ改めていくというものであった。

 マリガンとはキリスト教では「赦す」という言葉に似ている。厳密には、朝一番のティーショットをミスしても、もう一度打ち直しができるというもの。パット・ブーン演じるオールドプロは、聖書の御言葉を基に、ポールのゴルフプレイの色々な箇所にマリガン「やり直し」を適用して、ゴルフはスコアばかりを気にすることなく、もっと楽しくプレイできるスポーツだということを教えていく。それと同時に彼の妻や息子との関係の「やり直し」も徐々に進んでいく。

 聖書の御言葉と友人達の祈りによって、人とその人間関係が変わっていく模様を描いていて、とてもいいクリスチャン映画だと思います。          (コンビニ店員)

信仰によってーヘブライ人への手紙に思う 

                       H.K(千葉)

 「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(へブル11の1)

 このみ言葉は若いころに初めて訪れた教会の礼拝所に墨蹟麗しく掲げられていました。その意味も聖書の個所もわかりませんでしたが強く心に残りました。今頃になって徳島聖書キリスト集会の主日礼拝(オンライン参加)で旧約聖書の大切さを学んで聖書をよみ、ここで言われていることが以前よりは分かるようになってきました。

 続く2~3節では「昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によってわたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され,従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことがわかるのです」とあります。

 4節以降「信仰によって…」「信仰によって…」と実に多数の「昔のひとたち」すなわち旧約の信仰の英雄たちの信仰の実例が引用されていますが、その信仰のあり方が現代に生きる我々にとってあかしとなって信仰のあり方を問われていて惹きつけられます。

 目に見えるものがすべてではなく、目に見えないものこそが真であり、信ずるに値するものである。39節「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした」40節「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです」

 今まさに行われているイスラエルとハマスの戦争、ウクライナとロシアの戦争はアメリカ、ヨーロッパの国々、また北朝鮮までをも巻き込んだ現代の世界各地の戦争は、旧約の時代の争いや侵略と違って多くの科学兵器、核兵器までお互いに保有しているだけに、その恐ろしさ、不安は広がるばかりです。莫大な数の老若男女の人々が犠牲になっておられる有様を知っても、ただ驚き恐れ祈ることしかできません。

 12章の「主による鍛錬」「キリスト者にふさわしい生活の勧告」も改めて拝読し愛の神様は峻厳な神様でもあると覚えました。

 神様は誰の味方もなさらず、第二ペテロ3の9「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、忍耐しておられる」ことを信じます。

 ただこの世の平和を願って祈るだけでは不安は解決が出来ないし、目に見えないけれど絶対の真実である神様、ご聖霊を信じ,神様に心の底からお従いしなければまことの主の平和はいただけないと、自分の信仰、祈りの在り方を問われたことでした。                  (無職)

   静かな祈りの時

                       N.K(福岡)

 「イエスは彼らを連れて、ベッサイダという町へひそかに退かれた」(ルカ9の10)

 「恵みに成長するために、わたしたちはしばしば、ただひとり居らねばならぬ。魂が力強くなるのは社交によってではない。

 幾日も他の人達とともにいるよりは、ただひと時の静かな祈りの時が、更に多くの進歩をわたしたちに与える。

 露が最も新鮮に下り、空気が清くなるのは淋しい所である。」

                            (アンドリュー・ボーナー)

 なんじら人を離れてしばらく休め 群衆に押し悩まされてうみ疲れたれば ながひたいより労苦の汗とほこりを拭い去れ かくてわが静穏の中にて力は再び帰り来たらん

 すべて世人の愛するものより離れ 世人の知らざる語らいのために来たれ ただわれと共に またわが父と共にあれ われはわが父と共にあればひとりならず

 来たりて汝が語り またなせしことをわれにつげよ なが勝利と敗北 またなが望みと恐れをも われ知る 魂を獲るはいかに難きかを わが最上の冠はつねに涙にて編まる

 なんじら来たりて休め 旅路はあまりにけわし しかせずば 路のかたえに気落ちして沈まん 生命のかてはここに ながために備えらる またなが飲むべき愛のぶどう酒あり

 主との語らいによりて新鮮さは帰り来たらん かくて光薄らぐ日没まで働くを得ん 失われしごとく見ゆる時こそ 主と天なる安息につきて学びし時なれ

  

 この文章はレティー・B・カウマン著「荒野の泉」の十月二日の文章です。最近この本との出会いを与えられ、毎朝読んでいます。一人でいても一人ではない、この大きな恵みに感謝が溢れます。

み言葉

                       Y.S(徳島)

「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。なにごとにつけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」

「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

                 (フィリピ四・6~7)

主日礼拝の学びから

  (ヨハネによる福音書18章1節~27節) 

                      K.S(徳島)

 17章までは、イエス様の祈りで区切られており、イエス様がその「イエス様」とともに「信じる者がみんなが一緒にいることができるように。」してくださるという御心を実現してくださったことを知らせて下さいました。

 18章ではまず「キトロンの谷の向こうの園。私にはエデンの園を連想させます。」

 ユダもその場所を知っていた。というのがこの世の人含め、個人的にも深く思い知らされる思いです。「真理、正義」というものは「愛」という神様から出たもの、与えられたものでなければそれを知ることも、持つこともできないものだと思い知らされました。

 イエス様という「愛=アガペー」がすべての根源であり創造主が初めから、今も、これからもすべてを担って進めてくださるのだと思いました。イエス様のように…。

一つ一つのイエス様のみ言葉で、イエス様のように変えられていくことを感謝です。アーメン。

職業:鍼灸師  徳島

 

 野の花とイエス様 

                            S.S(長野)

 家の近くには小さな山があり標高は540mだ。徒歩で15分から20分ほどで頂上の「見晴らしの丘」に着く。この山の周辺には多くの山野草や雑木林がある。

 蒲(ガマ)、桑の木、漆(ウルシ)、どんぐりの木、カエデ、ヤマボウシ、松、欅(ケヤキ)、桜、錦木、セリ、クレソン、ヨモギ、イヌタデ、ヤブガラシ、ノブドウ、アメリカフウロ、オオイヌノフグリ、ナズナ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、カタバミ、セイタカアワダチソウ、ジシバリ、ハハコグサ。

 近所を歩きながら足元を見るとスミレ、ヨモギ、マツヨイグサ、ビロードモズウカ、ススキ、ヒルガオ……アスファルトやコンクリートの隙間に根を張り、きちんと育っている。

 イエス様はこれらの野の花ー野草たちの育ち方を見よと言われた。

 私も主がくださる命を一身にうけて、育ちたいと思う。

感動を伝えるためには

                      H.S(徳島)

「わたしの戒めに耳を傾けるなら、

あなたの平和は川のように、

正義は海の波のようになる。」(イザヤ書48の18 新共同訳)

 散歩コースに海辺や川辺を選んでおられる方も多いかもしれない。でも、常に洪水や川の氾濫、また津波などを連想したり、そうでなくても波の音を聞いたり波を見るだけで海は怖いと言われる人にも会ったことがある。

 でも、川辺や海辺を散歩するごとに主の平和は川のよう、主の正義は海の波のようだと主のメッセージを受け取れたら、それはどんなに力強く幸いなことだろう。

 自分が受けた感動を誰かに伝えたいと思うとき、言葉で伝える方法もあれば、それが、素晴らしい美しい景色や花ならば写真に撮ったり絵にかいて伝える仕方もある。

 そしてまた、感動を受けた自分がそのことによって変わっていくことによって伝える方法もあると何かの本で読んだ。

 主イエス様と共に歩む人生は苦しみが沢山あってもいつも感動的な人生。

 感動をいっぱい受けながら常により良く変わっていけたらと願っている。                    (徳島)

  詩編一三九篇

                     M.S(長野)

主よ。あなたは私を探り、

私を知っておられます。

あなたこそは私のすわるのも、

立つのも知っておられ、

私の思いを遠くから読み取られます。

あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、

私の道をことごとく知っておられます。

 (詩編一三九の1~3 新改訳)

あなたは、わたしの内臓を造り

母の胎内にわたしを組み立ててくださった。

わたしはあなたに感謝をささげる。

わたしは恐ろしい力によって

驚くべきものに造り上げられている。

御業がどんなに驚くべきものか

わたしの魂はよく知っている。

秘められたところでわたしは造られ

深い地の底で織りなされた。

あなたには、わたしの骨もかくされてはいない。

胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。

わたしの日々はあなたの書にすべて記されている

まだその一日も造られないうちから。

 (詩編一三九の13~16 新共同訳)

全知全能の神よ。

あなたの御思いを知ることは何と難しいことでしょう。

しかし、わたしの全てを最善に導いてくださると信じます。

あなたの奇しき愛に応えることは何と難しいことでしょう。

だから、わたしを変えてください。

あなたと隣人とを愛せる者に変えてください。

イエス・キリストの御名によって祈り、願います。

                        アーメン。

新たに生まれる(Born Again) 

                      K.T(北海道)

 ヨハネ福音書を毎週日曜日朝学び、今振り返って心に迫ってくるのは「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ福音書3の3)です。

 私たちは夜になると疲れて眠り、朝になると目覚めます。夜眠ってしまうことは死を意味して、朝目覚めることは新たな命に生きることだとよくいわれます。しかし朝目覚めても「生きている意味は何だろう、毎日毎日同じことの繰り返しで早く死んでしまいたい。」という声も聞きます。

 「私自身はどうだろう」と問う時、やはり「生きている意味は、これだ。」という確信がないことに気づきます。ヨハネ福音書3の2でニコデモさんは、「神がともにおられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしは誰も行うことはできないからです。」と言っています。それに対してイエス様は「新たに生まれる」という突拍子もないことを言われ、ニコデモさんは???ととんちんかんな答えをします。それに対してイエス様はさらに「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」「風は思いのままに吹く。」「霊から生まれた者も皆そのとおりである。」といわれたのでニコデモさんは「どうしてそんなことがありえましょうか。」とついついイエス様のことばを否定してしまいます。自分の経験と照らし合わせて「そんなことあるはずない。」と思ってしまったのでしょうか。

 さて 霊(the Spirit)という言葉は私たちにとっては日常生活ではなじみのない言葉です。わたしがスピリチュアル ペイン(Spiritual pain) という言葉にであったのはホスピスの働きを通してでした。近代ホスピス運動はイギリスのロンドン郊外に、1967年、シシリー・ソンダースさんによってセント・クリストファーホスピスが建てられたのが始まりだと言われています。 ホスピスという言葉は「旅行者、聖地巡礼の人々が休む場所」という意味を持っており、ホスピスでは病院としての機能、もてなしのホスピタリティ、そして家庭のあたたかさをもった場所をめざしています。

 日本にも1980年代には浜松に聖隷ホスピス、大阪に淀川キリスト教病院ホスピスなどが熱心なクリスチャン医療者らによってはじまり、全国に広がっていきました。

 もともとキリスト教の精神に基づいてスピリチュアル ペイン・スピリチュアル ケアが日本に伝えられたのですが日本人の医師はキリスト教に接したことのない人が多く、ホスピスのこころを伝えることにクリスチャン医師たちは心を砕きました。

 スピリチュアルペインを何と訳したらよいのかと皆さん悩んだようです。身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛とも違うのです。スピリチュアルペインは、霊的苦痛、その人の最も深いところにある苦痛と訳されたこともあります。

 私たちクリスチャンは聖書、とくにヨハネ福音書ではっきりと肉と霊のちがいについて知らされています。肉によらず霊によって生きるということは Born Again、新しく生まれるということだというのです。

 主イエス・キリストの十字架の苦しみ、復活がなければ私たちは新しく生まれることはできないのです。主イエスによる十字架のあがない、そして新しく生まれる Born again ということを信じて、日々新しく生まれさせていただきこの世の歩みを続けていきたいです。             (医師・北海道)

聖書通読(6)

                         M.T(岡山)

 今は『箴言』を読み進めています。後半は、古代エジプトの「箴言」に近いものが書かれているようですが、日本の「箴言」は何かと考えたすえ、日本国憲法を1日1条(103条あります)読んでいます。 大切な事がていねいに書かれています。 

 今頃になって気づいています。        (岡山)

 ただ信じて歩む

                        R.T(徳島)

 子どもに立ち直れないかも知れないほどの苦しみを故意に与えるという親は殆どいないと思います。しかし神様は大いなるご計画の中でとてつもない苦しみを与えられ、その人に神様を通して乗り越えられるように脱出の道を与えられる時があります。信仰の学びにあり、心に残っています。

 私はその学びを与えられてから、ただ信じて人生を歩んでいると言うべきかも知れません。どんな時でもイエスさまは「あなたには私が与えた使命がある」と言われていて、神様のために生きることを望まれていることを思います。様々な苦しい思いがけない事もありますが、これからもただ信じることを続けていけるように願っています。また、大きな苦しみの中にいる方

々がイエスさまの御手に救われますようにと祈ります。   (徳島県)

  イエス・キリストを信じる信仰による神の義

                       Y.T(京都)

 北白川教会2024年9月29日の下村喜八氏の説教で次の言葉がわたしの琴線に触れました。その言葉は『共助』2021年第2号21頁、青山章行氏のものでした。

 「人はもはや信仰を救いの条件としたり、自分や他人との比較において信仰を強い弱いとか、良い悪いとか評することは出来なくなります。他方、神は罪を放置された訳ではなく、罪の処分を厳正に行われますが、人間の罪をご自身の御子に負わせて神の義を貫かれました。この理解に立つ限り、人間の作り上げたあらゆる宗教的差別は克服され、すべての教会と一つに結ばれる道が切り拓かれます。そればかりでなく、信者・不信者の別なくあらゆる人をキリストの救いに招かれている者と見て、寛容な世界が展開すると考えられます。」

 

 わたしがどうしてこの言葉に心ひかれたかと申しますと、聖書をことあるごとに開き、御言を身にたくわえられている方々を前にし、臆する自分を感じているからです。日々、御言をいただいても、それを聖書を引いて確認もできず、ただ、書き写すだけの自分に「これでいいのか」という自問をしつつ、見えないこと、忙しいことなどいくつも理由をあげて自分を甘やかしてしまっています。そんなわたしにこの言葉は「それでいいよ。精一杯やってるんだろう。それでいい」と慰め、認めてくれたからです。

 この理解に至るまでの聖書の箇所を以下に抜き書きいたしました。(点字聖書ー口語訳 を書き写したものです)

 ローマ3の22~26「それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。

 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰を持って受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。

 すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった。 こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。」……28節「わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。」

 4の3~5「なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。」

 13節「なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。」

 16~18節「このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。……彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。」

 20~25節「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。だから、彼は義と認められたのである。 しかし、「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。主はわたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」

 5の1~2「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。」

 

 6の6「わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。」

 11節「このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。」

 14の8「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。」

 

 15の5~7「どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、こうして、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。」

 13節「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」

 エフェソ3の12「この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。」          (京都)

 使命

                          Y.T(徳島)

 「私達人間は、神様からの使命を果たすために生まれてきたのだ」というのはマザー・テレサのお母さんの言葉だそうです。小学校の頃にマザー・テレサの本で読んだことがあり、とても印象に残っています。

 今の僕にはこの「使命」がどういうものなのか、はっきりとはつかめませんが、この「使命」というものに向かって僕達は生きていかなくてはいけないのだと感じています。

 この言葉を胸に刻み、辛いことがあっても乗り越えていきたいです。                   (徳島県)

祈り

                             K.T(宮城)

 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」詩編119の105

 いつくしみ深い天のお父様、今日も私たち一人一人を助け、この一日、一日をどうぞお支えお導きください。しっかりと手を握っていてください。主の愛の内に居させてください、お守りください。アーメン。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。

 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」                            (Ⅱコリント1の3~4)

 聖霊様はくずおれた者には、讃美の衣を着せてくださる。

 聖霊様は、私たちが「主イエスさま」と理屈ではわからない、どう祈ったらいいのかわからない祈りでも、ロマ書8の26のように、その祈りを聞いてくださって、私の罪を赦してください。と祈ることができるようにその時私の心を引き立てて神様の助けを祈り求めさせてくれる。神の愛のささやき、深い慰めを持って教えてくださること、感謝致します。

 私の罪を赦してくださって、愛の足りない私の祈りでも、その中の良いことを聞いてくださって背後で主が働いてくださっていることを感謝致します。

 また、共に、主にある祈りの友が祈ってくださっていることも心から感謝致します。ありがとうございます。聖霊は必ず慰め、力を与えてくださり、ついには嘆きの闇の中から救い助け出してくださっていることを信じて、主の前にへりくだりつつ、主のみことばを感謝して、いつも主を信頼して、歩ませていただきたいと願っています。

希望の詩より

人生で理解できないことが、

わかる日がきます。

だからばらばらにしか見えないことを

神様は一つにされると信じなさい。

どんなにわからないことがあっても

神様が居てくださると信じましょう。

希望は幸福より大切なもの。 (ケィティ・ウィーブ)

あわれみを求めて

希望を失いかけた時、

前に読んだ言葉が心に浮かびました。

「苦しみにあっても、あせらないよう。その中で、神様のすばらしい恵みを見つけなさい。」

このことばが、私の生きる力となったのです。

                (メアリー・クレイグ)

 主のみことばを日々求めて、永遠の御腕にしっかりとすがるようにさせてください。いつも主の愛の内に居させてください。

 お一人お一人の上に、いつも神様が愛の御手をもって働いてくださっていることを信じます。「どのような時にも、〝霊〟に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために絶えず目を覚まして根気良く祈り続けなさい。」(エペソ6の18)

感謝致します。

平和の祈り

主よ私を

平和の器にしてください

憎しみのあるところには愛を

傷つけ合うところには赦しを

疑いのあるところには信仰を

絶望のあるところには光を

悲しみのあるところには喜びを

ああ 主なる神よ

私が慰められるよりも慰めることを

理解されるよりも理解することを

愛されるよりも愛することを

求めるようにさせてください

なぜなら与えることで

私たちは豊かに受け取り

赦すことで赦され

死ぬことで永遠のいのちに

よみがえるからです

聖書はどんな書か

                        Y.T(千葉)

 この10月に東京聖書集会の日曜礼拝で、私は聖書最後のヨハネの黙示録の講義を終えました。そこで聖書とはどんな書だったかを振り返ってみました。

 旧約聖書の初めの創世記に神は天地自然を、そして人間も創造され、それらはすべて良く出来たので、神は大いに満足されたとあります。

 頭初、人は地上の楽園で何不自由なく暮らしていましたが、サタンの誘惑に負け、食べると死ぬとして神から禁じられていた木の実を食べてしまいました。その神に背いた罪意識から人は神から隠れようとし、心が離れるという更なる罪を犯しました。

 それで神は人を楽園から追放し、人は労苦して生きなければならない人生を歩むこととなりました。 それから後、人はますます神から離れ悪事を働き、互いに競い争って殺人までするようになってしまいました。

 そこで神は「十戒」(出エジプト記20章1~18節)を人間に与え、人間がこの世を正しく生きるように、唯一の真の神を信じ、人間が守るべきこと、してはならないことを具体的に教え、導こうとされました。その中で最も重要な戒めは一戒の「あなたの神の他に神があってはならない。」と、六戒の「殺してはならない。」です。

 しかし多くの民はその戒めを守らず、神から離れ、背き、偶像を拝し、戦争をし、富を求め、心は退廃し、世の中は暗黒化して行きました。それで神は度々預言者を通して「神に帰れ」と民に呼びかけましたが、民はそれに従わないので、神は自然災害や戦争、疫病などの罰を下し、人々が悔い改めるのを待ちましたが、多くの人々は悔い改めず、神に帰りませんでした。

 これは新約聖書でも繰り返されます。新約聖書では神は御子イエスをこの世に遣わされ、イエスは人間が神の前に正しく歩むよう教え導かれました。御子イエスはマタイによる福音書の山上の説教(マタイによる福音書5章)などに示されているように、人間のこの世での生き方、神の民としての生き方を具体的に教えられ、そして最も重要な戒めとして「心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。」という簡潔な戒めを与え、守るようにと命じられましたが、人々の多くはそれにも従いませんでした。

 この人々の態度は今日も変わらず続き、世界の人々は今日、残虐な戦争を止められず、また温暖化による気候変動で自然災害が激しく、且つ大きくなり、多発しているのも止められず、地球は人間によって陸も海も大気も汚染するままになっているのにこれも止めることができないで、地球は滅亡の危機に瀕しています。

 尚且つ近年コロナの疫病が世界中に蔓延しましたが、人々はそれは人間全体の罪の行いに対する神の罰であったと受け留めないので、人々は人間の罪を悔い改めようとしません。こうした神と人間の関係は旧新訳聖書最後のヨハネの黙示録でも同じことが繰り返して記されていると思います。

 ヨハネが見た幻、それは神に背く世界の民に神は神の怒りが込められた災いを三度、戦争、疫病、地震や洪水、干害といった罰を与えられました。一回一回の災害を下す都度、神は人々が悔い改めるのを待たれましたけれども、それでも多くの世界の民は悔い改めませんでした。

 最後に神は悪の元凶であるサタンとサタンに従う獣(諸国の王)、偽預言者などを火と硫黄の池に投げ入れられ(黙示録20章10節)、悪をすべて滅ぼされました。

そして旧い世界は巻き去られ、最初のものは過ぎ去り、新天新地が神によって天から地上に降されました。神はその神の国である美しい新天新地に信徒たちを復活させ、人の目から涙をことごとくぬぐい取り、もはや死もなく、悲しみも、労苦もないようにされました。(黙示録21章1~5節)そして神もイエスも民の間に住み平安に暮らすという壮大な幻を神はヨハネに見せ、今に至る教会や集会への回覧文書として記させられました。ですから聖書は初めから終わりまで神が、イエスが人間を正しく歩むように戒めを与え、義と愛に満ちる神の元へ、平安平和な神の国へ導かれる愛の書であると思います。          (千葉県)

 

デウロ(さあ)、私に従いなさい

                       H.T(青森)

  マルコ10の17からの、永遠の命を求める「金持ちの男」、マタイでは「青年」となっている。印象的な話で実際に有ったことなのだろう。しかし、それゆえに、「顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った」という結末には心を刺されるものがある。

 ユダヤ教においては富は神からの賜物であり、宗教的篤信の報酬だった。それゆえ立ち去った青年はイエスの言葉に不意を打たれたのだろう、しかし同時にその言葉の真実性に触れた。けれども「とても出来ない」とうなだれつつ立ち去らざるをえなかった。

 「あなたに欠けているものが一つある」とイエスは青年に言った。イエスに従うことなのだ。そしてそれを妨げているのが「たくさんの財産」であった。青年の場合は「財産」であったが、他の人々にはまたそれぞれなのだ。それゆえに「それでは、誰が救われることができるのだろうか」との弟子達の驚きは、嘆き、呻きとしてわれわれの叫びともなる。「どうして、それを捨てられるだろうか。それらから解き放たれるだろうか。」

 「そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、私に従いなさい」とイエスは言われる。「それから」と訳されている箇所は、原文では「カイ デウロ」(ギリシア語)であって、原文に忠実に訳せば、「それから、さあ」(私に従ってきなさい)となる。ここにはイエスの青年への呼びかけがハッキリと表明されているのだ。「とても出来ないと立ち止まってしまった青年」に対して、イエスは、「さあ、私に従いなさい」と呼びかけられたのだ。

 「デウロ」とその複数形「デウテ」はここでは感嘆文を構成し、呼びかけとなっている。青年にたいする単なる命令(それも呼びかけではある)ではなく「さあ、私に従ってきなさい」とハッキリとした愛の呼びかけなのだ。些細なこと、無視してさしつかえないもの、ではないのだ。殊に、打ちひしがれた人たちにとってはそうなのだ。

 危急の場合にはイエスは取税人マタイにたいして「私に従いなさい」(ここにはデウロはない)と言った。マタイの置かれている状況は危険なものだったからだろう。他方ペテロとアンデレには「デウテ 私の後に」(さあ、私の後に)、そしてヤコブとヨハネを「お呼びになった」。マタイ11の28「重荷を負わされて労苦している人たち」に、イエスは「デウテ 私のもとに」(来なさい)と言われる。ここは、「私のもとに来なさい」(聖書協会訳)と命令文なのだが、「さあ私のところに来なさい」(岩隈訳)と訳されるべきなのだ。

 イエスによる「神の国の福音」は「罪人と取税人」に、「貧しい人たち、こころの、霊の貧しい人たち」への呼びかけであった。「飼い主のいない、弱りはて、打ちひしがれた人々」への呼びかけであった。それゆえ、時が満ちた今、「さあ、来なさい」とイエスは呼びかけられるのだ。

 健康な人にはなんでもないことなのだろうが、否、健康な人でも、神の国への入り口で、逡巡して立ち止まってしまいがちなのだから、「さあ、来なさい」とのハッキリとした愛の呼びかけは必要なのだ。

 さまざまな形での呼びかけがある。ガリラヤを歩まれたイエスは限りなく「柔和で心の遜った者」(マタイ11の29)であった。その方が呼びかけられる。

 その昔、サマリヤの女もまた同胞サマリヤ人に呼びかけた。ヨハネ4の29「デウテ(さあ)、見に来てください。私のしたことをすべて言い当てた人(イエス)がいます。もしかしたらこの方がメシアかもしれません」と。

           (冬場だけ暖房用ボイラー運転)

  パンを分かち合うこと

                 S.T(千葉)

「イエスはパンを取り賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かった。」

              (ルカ24の30~31)

1、はじめに

 小さい頃、よその家に柿がなっていると、私は食べたくなってしまいました。そんな思いがあるので、自分の家に柿の木を植えました。その柿も数年経ち沢山実がなるようになり、毎年10月には赤く熟し、美味しそうになります。その柿を隣の家の人は毎日見守って下さっていて、「早く獲らないとみんな鳥に食べられてしまうよ」と教えてくれます。小さい頃の柿が食べたかった私は、柿を収穫すると、お分けするようにしています。柿を持っていくとその人はとても喜んで下さるので、私も嬉しい気持ちになります。そして、「分かち合う」ことの喜びを感じていると、聖書にあるイエス様がパンを割いて分かち合ったことを思い出しました。「5000人のパン」(マタイ14の13~等)や「最後の晩餐」(マタイ26の26~等)、そして「エマオへの道」(ルカ24の13~)の話が書かれています。

2、エマオへの道

 「パンを分かち合う」これらの聖書の言葉の中で、一番印象に残った箇所はエマオへの道でのイエス様と弟子たちの食事の時の様子です。「イエスはパンを取り賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かった。」とあるからです。 

 イエス様が復活されたことに疑心暗鬼だった二人の弟子の前に復活のイエス様が現れましたが、二人は「目がさえぎられて」イエス様であるとは分かりませんでした。そして、イエス様から、心が燃えるほどの話を聞いてもイエス様だと分からなかったのです。しかし、イエス様からパンを割いて渡された時に、イエス様だと分かったという不思議な話です。

3 パンを分かち合うことは

 不思議さを思って過ごしているうちに、「パンを分かち合う」ことは神様の「愛」を表すと私は示されました。

 「5000人のパン」では、人里離れたところで夕暮れとなり、お腹を空かせた人々を憐れに思い、イエス様が五つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを割いて弟子たちに渡して配らせると、すべての人が満腹になるほどに豊かに増え、みんなで分かち合ったというのです

  「最後の晩餐」では、賛美の祈りを唱えてパンを裂き、弟子たちに与えながら「取って食べなさい。これは私の体である。」と言われました。それは、すべての罪人の身代わりとなって、これから十字架に掛けられて死ぬことが分かっていて言われた言葉でした。これらの「パンを裂いて分かち合う」イエス様の行為には、イエス様の愛がにじみ出し、あふれ出しているように思われます。パンを食べた人々は、イエス様が裂いて下さったパンをいただいてみんなの心は、イエス様の愛で豊かに満たされたのだと思います。イエス様から「パンを裂いて分かち合う」という愛を何度も体験していた二人の弟子たちは、エマオでも「イエスはパンを取り賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。」という愛の行為を通して、「二人の目が開け、イエスだと分かった。」のだと思いました。

 弱肉強食を良しとし、差別と格差がさらに広がっているこの世は、食べ物を奪い合うので、多くの飢えている人がいるのに、贅沢な食べ物を食べきれないほどに沢山食べている人もいます。悪魔が支配するこの世は、愛の正反対であると言えます。

4 終わりに

 イエス様からパンを割いて分かち合うことを通して、いつも私たちが頂いている食べ物は、愛である神様が与えてくださった物であると示されました。食べ物は神様の愛の結晶であるとも言えます。イエス様がパンを割いて弟子たちと分かち合ったように、神様からいただいた食べ物を互いに分かち合って私は生きていきたいと思います。それが互いに愛し合うことのはじめの一歩であり、ここが神の国となる一歩であると思うからです。

 また、食前の感謝の祈りの時、罪人の私の身代わりとなって十字架で死なれたイエス様を思い、その愛に真心から感謝し祈っていきたいと思います。          (無職)

主われを愛す

                      Y.T(徳島)

 7年あまり前のことです。義弟が亡くなって数日後、北島集会へ参加しました。集会は終わっていましたが、「来ることできたのですね。何か賛美しましょう。」と言ってくださり、この曲を共に手話賛美しました。

 いつまでも心にその時の光景が、感謝と共に思い出されます。

  主われを愛す

 主われを愛す 主は強ければ 

 われ弱くとも 恐れはあらじ

 わが主イエス わが主イエス

 わが主イエス われを愛す

 わが罪のため 栄えを捨てて 

 天(あめ)より降(くだ)り 十字架につけり

 わが主イエス わが主イエス

 わが主イエス われを愛す         

 御国の門(かど)を 開きてわれを 

 招き給えり 勇みて昇らん

 わが主イエス わが主イエス

 わが主イエス われを愛す

 わが君イエスよ われをきよめて 

 良き働きを なさしめ給え

 わが主イエス わが主イエス

 わが主イエス われを愛す

 アーメン  (新聖歌505番)       (徳島)

   心に流れてきた賛美、聖句

                      M.T(千葉)

 私は毎月一回、歌う事が好きなクリスチャン達と賛美の会を持っています。そこには様々な宗派の方たちが集っていますから、普段使わない賛美集も歌うので沢山の讃美歌を知りました。

 10月の賛美の会である人が「私は、今朝、目が覚めた時に讃美歌の一節がぐるぐるぐるぐる頭の中に浮かんできていつまでも消えなかった。お父さんが病気の時に一緒に歌っていた讃美歌の一節だった」という話をした。私はそれを聞いた時に羨ましいことだなぁ、と思った。朝、目覚めた時から神様の事だけが浮かんでくるなんて、とても幸せだと思った。その頃の私はコーラスサークルの発表会が近くに迫っていて頭の中はいつもそこで歌う曲の事ばかりだった。

 発表会も終った数日後、目覚めた時に「イエス君、イエス君」(讃美歌524番)が心に流れてきた。なぜその曲が浮かんだのかは全くわからない。でも524番の「イエス様、御救いに私も洩らさず入れて下さい」との切なる願いは自分の心境にぴったりだった。新聖歌40番の「ガリラヤの風かおる丘で」の中に歌われている「み言葉を私にも下さい」の歌詞は、イエス様が働かれていた時間と空間の中に私は居ないけれど、その場にいた人たちが受けた感動、恵みと同じものを「私にも下さい」との切なる願いが私の心境にぴったりする。

 長血を患っていた女性が「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」(マタイ9の21)と自分の置かれた立場をも顧みず群衆に交じってイエス様に近づいて行ったように、私もイエス様に近づいて行きたい。

 パウロがピリピ3の11で「何とかして死者の中からの復活に達したいのです」と言ったように、私は「何とかして神様とイエス様と共に歩んでいきたいのです」と思うのです。このパウロの「何とかして」との切なる願いをいつまでも持っていたい。

               2024年10月31日

 マルコ福音書より 

                       K.M(徳島)

 マルコによる福音書を通信講座により読んでおります。

 「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」                  (マルコ10の45)

 「少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14の35~36)

 

「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16の15)         (徳島)

心に残る讃美「感謝します」 リビングプレイズ131

                      E.T(徳島)

感謝します こころみにあわせ

きたえたもう主の みちびきを

感謝します 苦しみの中に

そだてたもう主の みこころを

しかし願う道が 閉ざされたときは

目の前が暗くなりました

どんなときでも あなたの約束を

忘れないものとしてください

感謝します 悲しみの時に

ともに泣きたもう 主の愛を

感謝します こぼれる涙を

ぬぐいたもう主の あわれみを

しかし願う道が 閉ざされたときは

目の前が暗くなりました

どんなときでも あなたの約束を

忘れないものとしてください

感謝します こころみにたえる

力をくださる みめぐみを

感謝します すべてのことを

最善となしたもう みこころを

 私はこの「感謝します」の讃美の歌詞にかつての自分の日々のことを思い起して感謝し、またこれからもいろんな試練や苦しみが迫ってくるなかにあっても、主の愛とあわれみがあると信じ、主に感謝していけますようにと願い祈ります。

                (鍼治療院 天宝堂)

 

  神様の愛はあるでないで

                      K.Y(徳島)

 朝の爽快な目覚めから始まる一日、少ない一日の予定を思い短いお祈り。

私が神様を知らなかった時に出会った人が私に「今までの楽しみ喜びよりもっと大きな喜びがあり、それをあなたも体験出来る」と言った人がいた。夫が交通事故後、集中治療室の前で出会った人が私に言った。夫は二度と一人では歩けないし自分の事は何一つ出来なくなったのに、もう決して笑う事などないと思ってた私にそう言った。あれから40年余りが過ぎた。あの時出会った牧師さんとは一度もお会いした事はないけれど、神様が私にして下さった事を聞いて欲しい。

 神様の愛はいつもいつも私たちの周りに注がれている。困っている時に助け手が与えられたり、必要な時に必要な人との出会い、必要な物も与えられて来た。数えきれない。今もそれは続いている。神様の愛は自然の中にもふんだんに置かれている。朝の出たばかりの太陽。夕方の名残惜しく沈んで行く太陽。星のきらめき。全て神様の御業。悲しい事に出会っても、死ぬほどに苦しい思いに出会っても神様は見捨てられてはいない。より大きな神様の愛がある。[悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」

                                  (マタイ五・4)

神様の愛は沁みとおる。日の光のように。ここにもそこにも神様の愛はあるでないで。(「あるでないで」は阿波弁で「あります」と言う意味です)

アメイジング グレイスの魂 

                         Y.T(徳島)

 これは2002年NHK、BSプレミアムカフェ「地球に好奇心」で放送されたものです。是非皆様にご紹介したいと思ってまとめました。

 時代と民族を超えて歌いつがれてきた讃美歌。約200年前に作られました。心をいやし抵抗のシンボルだった歌。

 「驚くべき恵み なんというやさしい響き こんな卑劣漢である私をも救って下さった かつて見えなかったものを今や見ることができる

私は失われていた、しかし今見い出された」

 ミシシッピ川ルイジアナ州ニューオリンズではどこでも、いつでも、誰でも歌ういわば第二の国歌だと言われている。

 プーシャーの綿花畑で黒人奴隷はあらゆる自由が奮われ絶望的な生活が強いられたのです。白人農場主は奴隷がキリスト教を学べば、主人に反抗しないで、もっと仕事をするようになると考え、礼拝堂で讃美歌を歌うことを許しました。読み書きを禁じられていた奴隷達は、讃美歌を通してキリスト教に触れていきました。

綿花を摘まされていても精神まで縛ることはできないのです。  wretch は「卑劣漢」の他に「哀れな人」という訳もある。つらい仕事に耐えられなくなった時、歌ったのが「アメージンググレイス」でした。償いの歌を、哀れな人と読みかえることで希望の歌になったのです。

 ジョン・ニュートンの歌詞と作者不明の曲がどのように結びついたのか、ミシシッピ大学のウォーレン教授は曲の起源を研究。

聞く人の心を穏やかに包みこむような調べ。このメロディーは初めからついていたものではありません。1829年に集められた「コロンビアンハーモニー」という讃美歌集に、「セントメアリー」「ギャラハー」という「アメイジング グレイス」によく似た曲が掲載されています。18世紀にスコッチアイリッシュの民族がアバラチア地方のディッキンソンに多く住み、教会や歌の会で、スコッチアイリッシュの民謡がよく歌われており、そういう機会で民謡と讃美歌が結びついていったのだろうと言われています。

 19世紀半ば南北戦争で北軍が勝ったことで、黒人奴隷が解放され、そのまま綿花畑で働く人もいれば、新しい生活を夢みて、綿花の集積地のメンフィスに出る人もいた。黒人達が移動することによって、黒人音楽や「アメイジング グレイス」も各地に広まって、多くの人に 受け入れられた。メンフィスが生んだエルヴィス・プレスリーも「アメイジング グレイス」を歌い、グラミー賞を受賞している。高校の時黒人音楽を聞くために黒人の教会に通った。欠かさず歌われていたのがアメージンググレイスであった。エルヴィスは黒人音楽と白人音楽を融合したロックンロールを作り歌うことによって、黒人音楽が世界に広まっていった。人種の壁をのりこえ、つなぐことがエルヴィスの音楽の原点であった。

 ミシシッピの中流域上下30キロにわたって橋がありません。そのため渡し船が運行されています。160年前、冬の凍てつく寒さの中、「アメイジング グレイス」を歌いながら、この川を渡った人達がいました。アメリカ原住民のチェロキーの人々です。以来、彼らはこの歌を国歌のように歌いついでいます。元々、チェロキーの人々はアパラチア山脈の東部に住んでいました。そこへヨーロッパの各地から白人の人達が移住してきたのです。チェロキーの人々は自分達の文化に誇りを持ちながらも、西洋文明を取り入れ、共存する道を選びアルファベットを参考にチェロキー文字を作り、住居も西洋風にし、宣教師を招き、キリスト教を受け入れることで、チェロキー人が文明人であることをアピールしたのです。しかし1828年チェロキーの土地で金鉱が見つかると、それまでの努力は水の泡となりました。

 1836年ジャクソン大統領はインディアン強制移住法に署名。1838年チェロキー人15,000人は騎兵隊に追いたてられ、移住先、オクラホマに向けて歩き出したのです。1600キロにも及ぶ道のりでした。

 1838年12月半ば凍ったミシシッピ川にさしかかった人々は、小さな船しか用意出来なかったので、船の転覆や長旅の衰弱で次々と亡くなっていったのです。四人に一人が亡くなる苛酷な旅でした。川のほとりには死者の墓が点々と続いていることから「涙の旅路」と呼ばれています。出産したばかりの妻を亡くした男性は、雪の中に置いていかなければなりません。生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて歩き続ける間、その赤ちゃんにしてやれたことは、唯一、子守歌がわりに「アメイジング グレイス」を歌い続けることだけだった のです。今「アメイジング グレイス」はさまざまなところで歌いつがれています。祖先が歩んだ歴史を決して忘れないためです。

 「涙の旅路」の終着地、オクラホマ州タレクアにあるチェロキーナショナルミュージアムには「涙の旅路」を伝えています。着のみ着のままで、ふるさとを追われ、季節は冬、旅の最中、互いを励まし、力を奮い起こすために、歌われたのが「アメイジング グレイス」でした。

チェロキー賛美歌集の「アメイジング グレイス」は、ジョン・ニュートンの歌詞ではありません。

新約聖書のキリスト復活を基に作られています。

神の御子は罪深き我々の罪をあがなわれた。そして天に召された彼は、天に召される時「復活する」と言い残していかれました。いつかキリストの復活する時、この苛酷な状態から救い出してくれるという祈りが込められています。

メモリアルデー戦没者追悼の墓参りがアメリカ全土で行なわれます。第一次世界大戦以後、チェロキーの若者達が兵士としてあらゆる戦争に従軍していきました。そして多くが帰ってきませんでした。「涙の旅路」から660年チェロキーの人々は繰り返された苛酷な歴史の中で「アメイジング グレイス」を歌い続けることをよりどころにしたのです。

 ニューオリンジ200キロ以西にあるアメリカでも最大規模のアンゴラ刑務所は5000人、終身刑が六割の判決を受けています。

 聖歌隊のリーダー、ジョージ・ランドリーさんは四十歳の時、ささいな口論から手先にあった拳銃の引き金をひいてしまい、友人を殺し終身刑を宣告されました。ここに来て八年になります。刑務所内にある教会の礼拝で必ず歌われるのが「アメイジング グレイス」です。

 刑務所に来る前から「アメイジング グレイス」は知っていましたが、ここに来てその歌詞と初めて真剣に向き合うことになりました。

「恵みとは欲しいと感じた時に、いつ、どこでも手に入れることのできる無償の贈り物だと思います。これが私たちのような罪人を救ってくれるのです。「アメイジング グレイス」には wreth という言葉が出てきますが、私たちは皆どうしようもない卑劣な、恵みに値しない者たちです。けれども神様は慈悲やあわれみで私達全てを救ってくれるのです。

盲目であっても迷っていても見つけてくれ、盲目であっても目を開かせてくれるのです。

 教会内にあるホスピスの教会にランドリーさんは週二回通っています。

癌やエイズの末期患者が来ます。演奏するのは「アメイジング グレイス」です。患者たちに安らかな死を迎えてもらうことが、自分の罪のつぐないだと考えています。

 「アメイジング グレイス」が誕生しておよそ二〇〇年、歌は自らの運命と向き合い、多くの人に生きる力を与え続けてきました。 「アメイジング グレイス」はアメリカをひたむきに生きた人々を映し出しています。この曲のメロディーの美しさもさることながら心を打つのは歌詞が個人の実体験に基づくものだからです。「アメイジング グレイス」が日本に伝わったのは譜付基督教聖歌集1884(明治17)年。これが確認できる最古の記録です。

「まよひしわれを 助けしきみの あやしき めぐみは いともたふとし」

 1883年鹿鳴館が完成。1885年には伊藤博文が、初代総理大臣に任命され、さらに新島襄がアメリカから帰国し、(江戸時代には国禁だった)キリスト教の布教に乗り出していた時でもあります。日本の新たな国作りが始まった時でした。

NHKアーカイブスポータルサイトで見られるそうです。

                (徳島聖書キリスト集会)

「自分が何をしているのかわからないのです」 

              N.N(東京)「十字架より叫び聞こゆ」 

   十字架より叫び聞こゆ 

  「彼らを赦し給え」と

  神の御子苦しみ受け 

  世の罪を負い給う

  ゲッセマネの暗き夜の 

  その祈り君知るや

  ゴルゴタの丘の上の 

  苦しみは誰がためぞ

  十字架より叫び聞こゆ 

  すべての事終わりぬ」と

  神の御子血を流して

  世の罪をきよめ給う

  木の上に釘打たれし 

  その痛み君知るや

  ゴルゴタの丘の上の 

  苦しみは誰がためぞ             新聖歌120番

 これは、私の好きな讃美の一つです。主イエスは、ゴルゴタの丘の上で、十字架の上に仰臥させられ、両手を伸ばさせられ、手にも足にも釘を打たれ、痛みに耐えがたい苦しみの中で、「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのかわからないのです。(聖書協会共同訳)ルカ23の34)」と、祈りました。その苦しみは、すべての人の罪を贖ってくださるためでした。

 主イエスは、神の子を信じない、しかも神の子を殺そうとしていることがどんなに重いことかわかっていない彼らを、「罰せよ」とは言われず、「赦してください」と執り成しの祈りを捧げられたのでした。この私の罪をも赦してくださっているのです。なんとありがたいことかと、この120番を賛美する時には感謝の心で賛美しています。

 「自分が何をしているのかわからない」私も、「自分のことが分かっていないな」と常々思います。神様が私に教えてくださるのです。その都度、何度でも反省するのではなく、心から悔い改めて祈ることで赦されてきています。赦しが先にあるからいつでも祈れるのです。

 

 「正しい者はいない。一人もいない。

 悟る者もなく、

 神を探し求める者もいない。

 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。

 善を行う者はいない。

 ただの一人もいない。

 彼らののどは開いた墓のようであり、

 彼らは舌で人を欺き、

 その唇には蝮の毒がある。

 口は、呪いと苦味で満ち、

 足は血を流すのに速く、

 その道には破壊と悲惨がある。 

 彼らは平和の道を知らない

 彼らの目には神への畏れがない。」(ローマ3の10~18)

 現在も戦争で「破壊と悲惨」を繰り返しています。

 イエス様は、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えられました。イエス様ご自身が身をもって教えてくださったのです。まず、個々人が「隣人を愛する」こと。「自分を愛するように愛する」こと。と教えてくださったのです。

 戦争を止めようとしない人には「自分のしていることが分からない」のです。

 「自分の国は何をしているのか」「このままでいいのか」自分の心に問うていただきたいものです。戦争が終わるために、自分の心に問いかけることから始め、神を畏れてほしいものです。キリスト教国というなら、直ちにイエス様の赦しに与れるように、悔い改めてほしい、と願い、祈る者です。

パーキンソン病の重荷を負う中より

                  T.N(福井)

 パーキンソン病は、神経細胞からドパミンという神経伝達物質が不足するために運動の調節が上手くいかなくなります。その原因は不明ですが何年もかけてゆっくり進行します。

 その治療方法は、まだありませんが、ドパミンを補充する方法がとられており、薬が効いてる内は殆どの症状を改善できる為、発症から長い年月が経過していても大きな支障なく生活できる、とされており早期からの治療が大切とされる由縁です。

 私としての症状の始まりは、左上肢の震えと左下肢の歩行障害でした。神経内科医の専門的な診断と治療を受けたのはその時からでした。それ以来極めてゆっくり症状は経過しましたが、日常の生活は自立可能な生活を送れていました。

 しばらくして、あちこちの筋肉に拘縮(こむら返り様の症状)と、薬のオン・オフの現象もみられるようになりました。こうした薬の効果を補うために一日9回の服薬と24時間効果の持続する貼付剤の使用を余儀なくされるに至りました。

 今では、自立歩行も困難になり歩行器や介助が必要になっています。こういう時に、祈りの友の兄弟姉妹から愛のこもった励ましのお手紙を頂いたこともあり、これが私の病苦の重さにも関わらず比較的平安に経過を見てこられた理由と思います。

 祈りの友の祈りは、篤いご聖霊の衣に包まれて一文字一文字に愛の祈りが込められて私の元に届けられていたのです。このことを思う時、私も又祈りの友の兄弟姉妹の為に篤く祈らなければならないと教えられます。

 思いがけない合併症が二、三重になると心乱されて、忽ち大きな不安に陥ってしまいます。(パーキンソン病の重症化が始まったのか?このまま寝たきりになってしまうのか)と心乱れます。

 内には(お前の信仰はどこに行ったか、お前の今日の苦しみはお前の罪の結果だぞ…)とサタンの声が聞こえてくるようです。

 このような時に、自分に突き付けられるのは、終わりの日の裁きのことです。

 最後の審判に耐えて天国の門をくぐる準備は出来ているか?

 日々の生活の中で主イエスに出会い新しく造られる信仰の歩みを続けているだろうか?

 自信がありません。信仰薄き者です。しかし、自分を救うものは主イエスの信仰であって、私の信仰ではないと、教えられて平安を得ています。

 このように、一方では時に沈み、迷う、信仰不確かな者ですが、他方では主イエスの聖霊を受けて力強く歩んでいくキリスト者でもあります。そう確信する時、苦難が増し加わるほど前途には恵の増し加わる世界が広がっていることを示されている思いでいます。

 そのような恵みの充満の中に置かれる時、それはどんな人にも開かれている道でもあり、宣べ伝える責務を感じます。ご聖霊に促されてこの恵みを証しする者でありたいと願っています。

          元医師  如鷲(じゅしゅう)教会

 

「愛、深き淵より」ー力は弱さの中ではたらくー

                      K.N(大阪)

 今年四月 星野富弘さんが天に召された。78歳だった。代表作は「愛、深き淵より」その他にも口に筆をくわえて描かれた多くの詩画集がある。大学卒業後 体育教師として赴任した中学校で指導中、事故に遭われ、首から下が動かなくなり、寝たきりとなった。

「愛、深き淵より」は1981年 星野さんが35歳の頃出版された。本を書かれるまで11年が経っている。私は当時すぐに読んで本当に感銘を受け、何度も読み返した。星野さんは、最も若く輝かしい年代に不治の病となり一人では何もできなくなった。そこから立ち上がったのはもちろん愛と忍耐とを持って見守られた両親と、クリスチャンであった良き伴侶を得られたこともあろう。しかしそこには神様、主イエスの愛が確かに働いたのだと思う。

 新たな旅立ちの日

 「少年の日、山に向かって夢みたような華やかなものは、なに一つ持って帰ることはできないけれど…、でも、胸を張って帰ろう。形のあるものはなにひとつ持っていない。けれども、数多くの目にみえない、もっとも大切なものを、長い苦しみと絶望の果てからあたえられ、それが心の中で息づいているような気がする。…、苦しみによって苦しみから救われ、かなしみの穴をほじくっていたら喜びが出てきた。生きているっておもしろいと思う。いいなあ、と思う。まだまだこれからだ。…これから、私にしかできない文字をつづっていこう。深き淵より、私はまた一歩前に進めそうです。」

 このことばでこの本は綴じられている。どれだけの苦しみと葛藤があったことだろうか。星野さんはクリスチャンとなられ、この課せられた重荷の中で、神様から生きていくことの意味を知らされた。その後僅かに残った唇の感覚を頼りに筆をくわえ文字を練習し 花の絵を描き詩を添えた詩画集を次々と出された。本当にいつも感動した。 

 

「黒い土に根を張り、どぶ水を吸って なぜ、きれいに咲けるのだろう 私は大勢の人の愛の中にいて なぜみにくいことばかり 考えるのだろう。」(ショウブ) 

「私の首のように 茎が簡単に折れてしまった。しかし菜の花はそこから芽を出し、花を咲かせた。私もこの花と同じ水を飲んでいる。同じ光を受けている。強い茎になろう。」(菜の花)

「おまえを大切に 摘んでゆく人がいた 臭いといわれ嫌われ者のおまえだけれど 道の隅で 歩く人の足下を見上げ ひっそりと生きていた いつかおまえを必要とする人が現れるのをまっていたかのように おまえの花 白い十字架に似ていた」(ドクダミ)

「よろこびが集まったよりも 悲しみが集まった方が しあわせに近いような気がする 強いものが集まったよりも弱いものが集まった方が真実に近いような気がする しあわせが集まったよりもふしあわせが集まった方が 愛に近いような気がする」(菊)

                                    (詩画集より)

 さて、教員時代、私は教室に多くの図書を置いていた。子どもたちにいろいろな本を紹介するのは大きな楽しみであり喜びだった。子どもたちは目をきらきらさせて聞いてくれた。教科書の教材だけではなく、時にはその図書の中から資料を作って自主教材として授業をする事も多かった。もちろん星野さんの詩画集はすべて教室に置いていて教材としても一緒に考えた。そうした時間はとても豊かな時間だった。逆境の中で希望を持って生きてきた人の証しは子どもたちの心の琴線にふれたのだと思う。背後にある神様の存在も知らせたかった。

 同じように新聞からも時事のニュースに加え、平和や人権にかかわることを朝の時間に紹介していった。本当に自由に様々な取り組みができたことはとても恵まれた時代だったと感謝している。

 退職してからは田舎の母の介護等あったが、五年前から週二日 学校の支援児童のサポートに行っている。毎年もう辞めようと思いつつ子どもたちが愛おしく辞められないでいる。そうした中でこの頃特に学校事情として気になっていることがある。

 数年前から学校では全児童一人ひとりにタブレットを持たせている。今時の子どもなので一年生からすぐにその扱いに慣れ、すぐにスキルをマスターしていくことに驚く。先生たちもどんな教科でもタブレットを使用している。

 黒板横にある大きなテレビに、先生の機械から情報がどんどん写し出されていく。調べ学習や生き物、植物の観察、天体や星の観察など、子どもたちはインターネットで調べてまとめていく。運動会の絵も撮った写真をタブレットで見ながら描いていく。

 もはや教室内ですべての取り組みができるようになっている。 黒板に一時間の授業を組み立て子どもたちの意見を引き出し、共に考えながらまとめていく、こうした授業がどんどん少なくなっているように思う。

 昨今のデジタル化の環境はそれによって救われる子もいる。さまざまなハンディを抱える子にはその特性から苦手な分野を補いサポートできるとても便利な道具にもなっている。

 ただ一方ですぐに回答が出るので図書で調べたり人と出会ったり、自然から豊かに五感で感じたり、ものごとを自分の心で深く考えたりする感性はどんどん弱くなっていくような気がする。

 先生たちも若い方が多く新聞をとっておられない方が多い。隣の席の先生に聞いてみたら、星野富弘さんのことも知らなかった。図書室は人気だがいわゆる良書を読んでいる子は少ない。これから先どこで真実なこと、本当のことに出合えるのだろうか。

 最近支援児童の教科書に差別的な落書きが見つかった。保護者への謝罪がすぐに為された。だが、同時にしなければならないことは、どんな形であれ子どもたちにこのことを間接的にでも明らかにし、一人ひとりが自分の中にある他者への差別性、違いを認められない意識、高ぶりの心、弱さーそうしたことを自分のこととして考えていくことだと思う。

 それには担任自身がそれを提起していくだけの確固たる信念がないとできない。管理職は筆跡からだれがしたかの犯人捜しでやっきになっているという。書いた子どもがどんな気持ちで書いたのか、共に考えないと書いた子自身の苦しみも分からない。こうした出来事は負のできごとではあるが、与えられた格好の機会ともなる。一歩前進するための。

 音楽の時間は国歌の意味も教えられず歌われている、なぜ国歌や国旗が問題なのかよくわからないと言われる先生が増えている。現場は常に忙しくみんな一生懸命子どものために休みなく働いているが、余裕を持って研修会に行ったり、自己研鑽の時間をとったりがないように思える。自分が自主的にやりたい取り組みができなくなっている、というよりそれが何なのか見えなくなっているのではないかと思う時もある。

 国の価値観に沿った教育の流れも進んでいる。だが、子どもたちは昔も今も本当なもの真実なことは何か、を考えたいという感性は変わっていない。さまざまな特性を持つ子がそれぞれに認め合える、違いを受け入れるなかまになってほしい。イエス様が最も願われたことだ。教育の課題にかかわらず、世の中の問題のすべての解決は聖書にある。

 さて、この一年も聖書のメッセージから特にヨハネ福音書からは多くのことを示されてきた。主イエスがどんな心をもって私たちを愛し、私につながっていなさい、私の内にいなさいと祈ってくださってきたかを思い知り、今も祈られていることの恵みを思った。

 パウロの「力は弱さの中ではたらくーだからキリストの力が宿るように、大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」とのみ言葉がⅡコリントにあるが、自分の罪を深く知り自分には何も良きものはない、と砕かれた者にキリストは宿ってくださるのだと最近しみじみと思っている。それは病があるとか、この世の問題が多いとかとは別のこと、もっと霊的なことなのだとも思う。

 星野さんは多くの人に知られてきたが、名も知れず弱く低いところに置かれながら、イエス様と出会うことで一番たいせつな希望をもって生きてきた人はたくさんいる…。なんとこの世は悲しみの多いことか、でも主イエスはすべての涙をのみこみ共に苦しみ祈ってくださっているのだ。美しい秋の青い空と輝く星を仰ぎ見ながら、そんなことを思いつつ過ごしている。

 今回は「野の花」に書きたいことがいろいろあってなかなか筆が進まなかった。でも今、学校の中で実感し問題意識としてもっていることを、今しか書けないと思って書かせてもらった。

夏から秋の自然の中で癒されて 

                       M.N(静岡)

 10月26日の土曜日は、年1度の清水キリスト者共同墓地会員による秋の一斉清掃の日だ。その1週間前、理事を担当している私は、当日、写真を撮ったり、遠方暮らしのため簡単に駆け付けられない会員、高齢のため力仕事がままならない会員、体調不良の会員等など、参加できない会員の墓地周辺の枯葉や草を取り除いたりするため、事前に清掃を済ますのであった。

 毎年、ススキが石垣の隙間に根を張り、立派に成長する姿にお目に掛かると、まるで私の来るのを待っているかのような気になる。鎌で根元まで刈った後、先のとがったシャベルで根を取り除こうとするが、ススキは中々意地っ張りで抜けない。こちらも簡単には諦めず悪戦苦闘するものの30分も経てば〝もういいや″と諦めてしまう。

 一通りの作業を終え、帰宅後玄関先に腰を下ろし、ヤレヤレの気持で運動靴を脱ごうとすると、靴紐やズボンの膝から下まで、ぺんぺん草の種がびっしり。ぺんぺん草の可憐な花が目に入ったが、まさかこんなにも種が生えていたとは思わなかった。

 ここでまた私の根性が試されるかのように、約10分間、種を剥がす悪戦苦闘の時間を費やした。やっと玄関を上がって椅子に腰を下すことが出来た。草取りもぺんぺん草の種の除去も根気のいる仕事であるが、空の下で汗をぬぐいながら黙々と作業をする時間、これは今の私自身にとり何物にも代えられない時間、全身で神の恵みに浸る何物にも代えられない貴い時間に思えてならなかった。久しぶりの充実した時間を思う反面、今年の夏は、心身共に厳しい季節であった。

 7月に入るや、約10日間帯状疱疹の痛みに苦しみ、その2日後は、コロナ感染による全身の怠さと味覚障害に襲われ、口に入れる食べ物全て味がなく、只必死になって口に入れた。その為、痩せた体が更に痩せてしまった。スポーツジム通いも気が進まず、週1回通うのがやっとであった。何をするにも集中力が欠いていたように思う。それでも前を向いて、散歩しなければ…と、短時間でもいい、1日10分でも20分でもいい、外に出ようと自分に言い聞かせた。

 夕方、陽が西に傾くのを待ち、その日その日の気分で足の向くまま歩くようにした。川沿いを上流の北に向かい歩いていると、川面から少しひんやりする風が肌を撫でて通り過ぎていく。その心地良さと言ったら言葉では表現しようのない爽快なものだった。時々立ち止まって川の中を覗き込んでじっと眺めていると、大きなハヤが群れを成し、サーサーと一瞬のうちに泳いで消えたかと思えば、深水に入ってグルグル戯れる姿を発見した。今の私と同様行く方向は気の向くままだ。

 別の日、更に北に向かって歩けば、一昨年清水区が長期間断水被害を受けた台風15号の河川改修工事現場に出くわし、迂回して歩いた。決壊した小さな橋は今も流されたまま。日常生活はさぞかし不便だろうと心配になる。それでも家の周辺には、細竹の支柱で夏野菜がすくすくと成長し、沢山の実がパンパンに膨らんで垂れている光景を目にすると、自然災害に負けず、前を向いて健気に生活している農家の人の姿が自然と浮かぶ。私も見習い前を向いて生きなければ、と無言の励ましを感じた。

 そして、猛暑の夏も徐々に遠ざかり10月に入れば、散歩のコースや所要時間は、ほぼ元気な頃に戻った。今では傾斜のあるミカン山周辺を上り下りするようになった。自ずと視界も広がり、自然の眺めを楽しんでいる。西方面の山々、南方面の三保半島が西日に照らされ、オレンジ色の光線が幾重にも連なる景色に見とれて過ごす時間は、止まったまま。見ても見飽きず、天地を創造された神の偉大さを思わずにはいられない。

 西に向かって自宅へ向かって進めば、天上はまだ水色の空。うろこ雲が天高く真上まで広がっている。大空の高さ、広さに感激し、しばらく足を止めて深呼吸。これからも思う存分、巡り来る四季折々の移ろう景色を楽しみながら生活していきたい。

 日常の目の前に広がる自然の中を散歩していると、自然と聖書の世界が浮かんで来ます。神により創造された私達一人一人は、大同小異、皆同じです。ところが人間社会は相対的、人と比較してばかりいます。「他人を意識せず、私に従って来なさい」この神の御声が聞こえて来ます。競争心が旺盛なのか、私はいつの間にか人と比較し、いつの間にか人を気にする自分がいます。これほど愚かで悩ましいことはありません。「ひたすら私を仰ぎ見なさい。私を求めなさい。」この神様のか細い御声が迫って来ます。自然に触れる時は、神様が近くに共に居てくださる時間と思えてならない。これからも自然の中を歩こうと思います。

         職業:清水聖書集会代表

ヒルティ「眠れぬ夜のために 第一部」 

                      M.N(東京)

 あなた方は立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。

 それ故、主は待っていて、あなた方に恵みを施される。…

 あなたの憂いを全て主に委ねよ、主はあなたにかわり配慮される。あなたの家族のための憂いを我らの信じる主に委ねよ、あなたはいたずらに策を案じ考えるだけだ、しかし、主には行く道と将来が開かれてある。

 主は心配を嫌うが、あなたがささげる天に向かっての祈りは喜んで聞きたもう。あなたがやっと一つの策を立てる間に、主は千もの策を持っていられる。

 何人も勝手きままにあなたを害することのないように、主はあなたへの恵みのために、みんなの心を小川のように導かれる。

 主のみ手から苦しみも喜びも安んじて受け、ひるんではならない。主はあなたの運命をすぐにも変えられる。しかし、それを悪くするのは、あなたの嘆きだ。

 いたずらにあなたを苦しめるために苦難が与えられたのではない。信じなさい、まことの命は悲しみの日に植えられることを。

 苦しくなると、この詩を読んでいます。

日曜礼拝から

           M.N(北海道)

 毎週の日曜礼拝の最後に利別教会の金牧師は、「日曜礼拝はこれで終わります。これから、生活の礼拝を始めます。」と言われます。

 また ある日の礼拝で、「何を選択するか、それが信仰です。」と言われました。

 この2つのことを心に留めて生活をしようと思いました。しかし愚かな私は、その事を忘れてしまいます。今私が出来ることは何度も繰り返し、その想いに立ち返ることです。

 世界中で起こっている争いで家族や親しい人を殺された憎しみ持って成長する子供達が、どうすれば平和な世界を作って行く事が出来るのでしょうか。神様助けてくださいと祈ることしか出来ません。          職業 酪農業

賛美すること

                        H.H(徳島)

 私は現在、会場参加できないため、賛美は聞くだけの状態でした。賛美CDやユーチューブで聞いたり、集会の兄弟姉妹が賛美しているのを聞くだけでも癒され、心が落ち着きます。

 スカイプで集会に参加しているときは、手話表現を覚えている曲は手を動かしています。手話賛美の練習では、おなじ曲をくりかえし賛美するので、市民クリスマスや特別集会で選曲された賛美は、まだ覚えているようです。主日礼拝のときは吉村さんがビデオをオンにしていますので、手話賛美を見ることができます。

 2021年のイースター特別集会で「豊かな人生の条件」(友よ歌おう24番)を、今年のイースター特別集会で「天なる喜び」(新聖歌211番)を賛美したデータを流してもらったのですが、2回とも録音が不慣れで音量が小さ過ぎたようです。今年は米田武子さん、藤本幸子さんがそれに合わせて会場で賛美してくれましたが、合わせるのが難しかったことと思います。

 けれども、練習で何回も録音しながら賛美しているうちに、その頃続いていた息切れが少し楽になりました。その状態を維持したいと思い、時折、賛美しては録音しています。

 その場で賛美できれば良いのですが、途中でガラガラ声になったり、咳が出たりして中断するので、録音という方法を思いつきました。勝浦良明さんが音符入力してくださった曲(MIDI形式のファイル)をパソコンで外付けスピーカーを通して再生します。

 その録音方法ですが、

 ①ICレコーダーで録音すると、感度が良すぎて、息継ぎの音をすべて拾うので、やめました。

 ②特別集会のときは、スマホのアプリ「ボイスレコーダー」で録音して、パソコンに取り込んで再生しました。

 ③スカイプで伴奏と賛美の声が両方適度に聞こえるように、現在は、曲を80ぐらいのボリュームで再生して、おなじパソコンでソフト「サウンドレコーダー」を使って録音するという方法に落ち着きました。

 この曲にしようと選んでも、賛美してみて、くりかえし録音をしていると、回を重ねるごとにガラガラ声になっていきます。自分では元気に、楽しく、歌っているつもりでも、再生すると声量がないので、しんどそうに聞こえます。歌うときは、お腹の辺りまで空気を取り込んで、腹式呼吸でお腹から声を出して歌うのが基本ですが、私の場合は胸水が邪魔して、しっかり取り込んで、しっかり吐き出すことができないからだと思います。少しずつでも胸水貯留の量が減って、空気を少しでも多く取り込んで賛美できるように、続けたいと思います。

 2024年4月から、第二週の北島集会のときに参加者の了解を得て、司会者(私)の選曲する賛美のさいごに、私の賛美した録音データを流させてもらっています。歌詞をはっきり歌い、しっかり伝えられる曲を選んでいます。参加者の希望する賛美の中から歌わせてもらうこともあります。(第二週の北島集会では、ほかの6名の参加者から希望の賛美を毎月、いただいています。) 9月は、聖書箇所がローマ信徒への手紙8章18~22節でしたので、その引用箇所に合わせた曲を選び、賛美させていただきました。

 われらの神 くすしき主よ(讃美歌21の224番)

 われらの神 くすしき主よ、

 賛美をうけませ。

  神は恵み 豊かに賜う、苦しみのときも。

 われを強め 賛美の声わきたたせよ。

 青き空よ、

 つくり主(ぬし)の みわざをつたえよ。

 輝く陽(ひ)よ、主なる神の み栄えあらわせ。

 月も星も造り主のみ名をほめよ。

 わが魂(たましい)よ、

 たたえ歌え、信仰のうたを。

 息あるもの ほめたたえよ、全能の神を。

 神は主なり。ただ主にのみ み栄えあれ。

 イェスを愛し

 信ずるもの、歌えハレルヤと。

 罪ゆるされ み前に立ち 歌えハレルヤと。

 たたえ、歌え、

 今も後(のち)も永遠(とこしえ)まで。

  アーメン。

 信仰を与えられ、10月16日で20年経ちました。神様、イエス様、聖霊様、そして主にある兄弟姉妹の皆様。これからもよろしくお願いします。     (無職)

復活の希望 

                                      F.F(徳島)

 私は今年の九月に九十一歳の長寿の御恵をいただき神様に感謝しています。この神様からのお恵みは全国各地からスカイプによる主日礼拝に参加の皆さんと礼拝を共にし、証、前講、感話などから多くのことを教えていただき感謝しています。

 礼拝では吉村先生から愛と真実のイエス・キリストから復活の体が私どもに与えてくれることを、聖書をとうして教えてくれました。

 復活の体とは「キリストは万物を支配する力によって私たちのからだを、キリストの栄光ある体と同じ形に変えてくださる」(ピリピ3の21)

復活の状態について信じる者の体をイエス・キリストの栄光ある体と同じ形に変えてくださる。

 そして永遠の命については「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

                           (ヨハネ11の25~26)

 この箇所は「世の光」(2018年4月、吉村孝雄師)参照。

神を信じる、すべてのものは永遠の命と復活の恵があたえられると、言ってくれています。

 私は、今、この世にあって死後の世界に希望をもって日々歩める感謝をいただいております。

 そのところには、先に逝かれた先輩、知人、そして私の妻 美代子(九年前に逝く)との再会は大きな喜びです。

「いのちの水」誌、「一日一生」から 

                      K.F(神奈川)

 「キリストを信じるとは、地上に生きていたイエスという名の存在を信じると共に、万人の罪を赦すために十字架にかかり、その後に復活し以後は聖霊となり神と同質の霊的存在となって、霊的に愛と真実の御支配をなさっていることを信じることである。 神とキリストを信じることはいかにしてできるか。それは神からの直接的な啓示による。神あるいはキリストからの呼びかけによる。」

 これは2022年11月号の「いのちの水」誌の文章の中にあった一部分ですが、心に残りましたので書き出しておいたものです。

「一日一生」から

 神に逆らいたればとて、その刑罰としてただちに病にかかり、貧にせまり、または社会の地位を失うものでない。いな、多くの場合においては、身の境遇の改善は神をすて去りし結果として来るものである。神にさからいし覿面の刑罰は、品性の堕落である。すなわち聖きことと高きことが見えなくなって、卑きことと低きことを追求するようになることである。

 しかしながらこれもっとも恐るべき刑罰であって、人にとってじつはこれよりも重い刑罰はないのである。そうしてこの刑罰のことに重いわけは、これを受けし者がその刑罰たるを解しえないことである。我らは神に祈りて、いかなる他の刑罰を受くるとも、この恐るべき品性堕落の刑罰をうけざるようつとむべきである。 

 若い時に内村鑑三の一日一生を読み、心を動かされた一文です。                      (神奈川)

罪咎を赦され

                      S.F(徳島)

 私は罪多き不信仰な者です。赦して頂きたくて!

 「罪咎を赦され」新聖歌266

 罪咎を赦され 神の子となりたる

 わが魂の喜び 比べ得るものなし

 日もすがら証せん 夜もすがら主をほめん

 「御救いは妙なり 御救いは奇し」と

 主に全く従い 安き得しわが身に

 天つ家の歌声 響き来る心地す

 日もすがら証せん 夜もすがら主をほめん

 「御救いは妙なり 御救いは奇し」と

 主のものとせられし わが身こそ幸なれ

 感謝なき日はなく 賛美なき夜はなし

 日もすがら証せん 夜もすがら主をほめん

 「御救いは妙なり 御救いは奇し」と

                   (徳島)

  創世記の学び

                        S.F(鹿児島)

 私たち夫婦は日曜日の午前、吉村先生の聖書講話を拝聴し、礼拝を守り天来の恵みに与っています。詩篇が終わり今は創世記です。

 現在32章(エサウとの再会の準備)を終わった所です。毎回、神様が私たち(イスラエル)をどんなに大きな愛と力で導いて来られたのかを知らされ、深い感動を覚えております。30~31章で味わった学びの喜びと感想を記して、益を共にしたいと思います。

 ヤコブは長子の権を兄エサウから奪ったことが原因でエサウの憎しみを買い、殺される恐怖の中、母リベカの勧め(策略)でその故郷ハランを目指し、厳しい荒野を行く旅に出ました。途中、石の枕をして休んでいた時、夢で神に出会いその祝福を約束されます。すなわちアブラハム、イサクの神である主が、彼らに約束したこの土地を将来彼ヤコブとその子孫に与える、彼ヤコブがどこへ行こうとも主なる神が共にいて必ずこの故郷に連れ帰る、と。 果たしてヤコブは無事ハランに着き、そこで母の兄ラバンの娘ラケルに出会い一目惚れし、ラバンの家で養われます。ヤコブはラケルと結婚したいために七年間働くことを自分から申し出実行しますが、ラバンの奸計に遭い姉レアと結婚させられます。そこでもう七年間働いて妹のラケルとも結婚することになります。しかしレアとの間には子供が生まれますがラケルには子供が与えられません。

 30章は「私にも子供をくださらなければ、私は死にます」とラケルがヤコブに迫る言葉から始まります。ラケルは容姿が美しくても心はそうでなかったことがわかります。このような言葉や態度は、レアの長男ルベンが見つけた「恋なすび」を、一晩夫ヤコブをレアに与えるのと引き換えに手に入れたという記事や31章でハランを出立する時、父の守り神を盗みシラを切る場面等と併せて、ラケルが(レアもそうですが)全く肉的な心に支配されていた事を示します。

 聖なる書にどうしてこのような非道徳・不名誉な事が書いてあるのだろうか。吉村先生は「聖書は本当の事が書いてあるのです。ラケルも神様を知っていた、しかし現実にはみ心にかなうようには生きられなかった、醜い自分中心の考え方が事実として至る所にある。しかし、そのような足りない所をも用いて、神様は御自分の大きな御計画のためにお使いになるのです。」

「聖書は古代の神話、物語のようなものとは違います。特別に選ばれているにも拘わらず背いていく民、しかしそれでも神様は決して見捨てず、用いられ導いていかれる―聖書にはそれが書かれているのです。」

「聖書には人間的な争いや悪しき行為が書いてありますが、それを通して神の御計画だけが実現していくのだという大きな流れの中で書いてあるのです」と教えられ安堵しました。

 そして創世記や詩篇の第一篇を思い出し、またイエス・キリストの生涯が想起されました。

 ヤコブは逃亡20年後、カナンへの帰郷が適います。それは貪欲な叔父ラバンの許を離れたいという気持ちが募ってきたことが状況にありますが、「帰れ」という神の声が再び聞こえて来たからだと教わりました。信仰者であっても時が来ないと、本当に求めていないと主の声は聞こえないのだと教わりました。

 こうして兄エサウへの恐怖は去らなくても、神が共にいて下されば大丈夫、神を信じて恐れず歩んで行こう、と決心できたヤコブに倣っていきたいと思いました。

 「神ともにいませば」のこの信仰は、詩篇第一篇や同二十三篇、ヨハネ一の十六に表されている事、またイエスさま自身の「貧しいものは幸いだ」を引用され、「何となれば、貧しいものが神様の豊かさをもらえるからです、その豊かさはこの世のものでは与えられないが、神が貧しい者に与えるから」と「神の豊かさ」という事を教えていただきました。私たちもこの神の豊かさに与れるように、みことばの学びと生活、祈りを正されていきたいと切望されました。

右田先生のこと

                     Y.H(熊本)

 右田末人先生は、熊本聖書集会のリーダーの先生です。

 先生のお宅は私の家のわりと近所だったこともあり、集会の時には、いつも送迎をしてくださり、その車中でも、いろんなお話をしました。

 ある時、「見失った羊のたとえ」の話をしていて、私が「99匹の羊を見捨てて、1匹の羊をさがしにいかれたんですよね?」と言ってしまったのに対して、先生は、「99匹の羊を見捨てたのではないですよ。」と、すぐに私の間違いを訂正してくださいました。

 高校の社会科教諭であった先生は、お声はガラガラ声で、でも、賛美歌を一所懸命に歌われていた姿が印象的です。まさに天の国にまで届けという風でした。

 私が熊本聖書集会に導かれたのは、30年前の6月のことです。その1か月前に、私は鍼の治療院を開業していましたが、同業者のMさんから、K先生のお宅で行われている無教会の集会に誘われたのです。場所を提供されているK先生は、「平方の鍼」の大先輩であり、また、集会のリーダーは、盲学校の専攻科であんまを2度ほど施術したことのある右田先生と、お二人とも見知った顔ということもあって親しみを感じました。

 こうして、イエス様は右田先生を通して、私を見出してくださったのです。

 さて、2024年が明けました。1週間が経った月曜日、右田先生の治療日にあたっていましたので、いつものように来院の確認の電話をしました。すると、先生の息子さんが電話に出られ、「父は1月2日に亡くなりました」とのこと。二日の日に、転倒して頭を打たれ、しばらくして昏睡状態になり救急車で日赤病院に運ばれたけれども、数時間後に亡くなられたとのことです。

 お年は87歳でした。

 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカ15の4-7)

                     鍼師

「五百万円より五百円を

    ~今井省吾さんの特別寄付~」 

                      M.H(神奈川)

 「善い行いと施しとを忘れないでください。」

                (へブル書13の16)

 今井省吾さんは早大YMCAの五年先輩でした。数年前に八十歳で亡くなられました。新宿集会の渋谷浩さんという先輩が創られた聖書研究会「渓水会」でお会いし、毎月指導を受けました。大学卒業後山崎パンに就職し、工場長などを勤められましたが、創業家のお家騒動に巻き込まれて退職。飯島社長のご紹介で関連団体の国際開発救援財団の専務に就任されました。

 山崎パンは創業者の飯島藤十郎が戦後パン屋の開業を届けた折、既に「飯島」姓の同業者が居て認可に手間取ったため、妹婿で親友の山崎要太郎の名前を借りて「山崎パン」を開店したそうです。飯島藤十郎と山崎要太郎は新宿中村屋の同僚で中村屋創業者相馬愛蔵の薫陶を受けた由です。飯島社長はクリスチャンで、山崎パンで儲けたお金で国際開発救援財団を設立しました。

 良い財団で、横浜YMCA関係のボランティア団体、すなわち、「対人地雷をなくす会」、「バングラディシュに小学校をつくる会」、「バンコクにエイズ孤児ケアセンターをつくる会」など、それから元愛農高校校長杉山信太郎さんがタイに作った「レインボー農場」を支援する「レインボー有機の会」などは皆支援を受けていました。

 或る時、今井先輩から「君のやっている『麦の会』は評判が良いらしいね。僕のハンコひとつで五百万円位の支援金が出せる。申請書を出し給え」といわれ、咄嗟に「私共は団体からのご寄付は頂きません。五百万円はご辞退致しますから、代わりに先輩のお財布の中から昼食代の五百円玉を一つ下さい。そして今日の昼食を抜いて、タイやミャンマーの欠食児童の事を祈って下さい」と申し上げました。

 五年も後輩からの偉そうな話に大先輩は「俺の好意を断るのか!」と少々むくれておられましたが、翌日「君の言ったことが良く分かった、ついては昼食百回分を寄付させてくれ。自分は今日から百日間昼食を抜きにする」と言って五万円を寄付してくれました。

「麦の会」の会費は年額六千円でしたから五万円は八年分の年会費に当ります。

 これを機会に年額五万円という「特別会費」を設けました。あわせて五十年分の年会費を一度に頂く「終身会費」三十万円というのも作りました。麦の会は今年結成二十五周年になりますが、これまでに二十人を超える終身会費納入者と毎年数人の特別会費納入者等に支えられて、毎年百万円以上の支援活動を四半世紀続けて来ることができました。

 神様と今井さんをはじめご支援下さる皆様に心から感謝致します。      技術士(情報工学)

過去の「野の花」に掲載された文章から

      以下は、東日本大震災の年(2011年)に書かれたものです。

 

(藤井美代子さんは、2016年に召された方で、現在も主日礼拝に主としてオンラインで参加されている藤井文明氏の奥様です。)

主の導き

                  M.F(徳島)

 この夏、久しぶりに県南方面につれて行ってもらいました。

 三十三年前、急に主人が農業試験場海南分場へ転勤となり海南町にある職場に勤務することになりました。

 まず住まいを探すことになりましたが、見つからず困りました。

 幸いにして日和佐(現、美波町)にある県職員住宅が空いていることが判り、安心したことを思い出します。

 驚いたことに日和佐教会が、すぐ隣にありました。

 教会の方達との交わりの中に吉本実子姉ご一家もおられ、ずい分、お世話になりました。

 徳島聖書キリスト集会へ導かれた現在、吉本実子姉のお名前を目にする事が出来、浅からぬ、ご縁を感謝します。

 鴨島と日和佐を行き来する二年間でした。以前は道も悪くさびしかった道中もずい分、よくなっているのに驚きました。

 丁度、台風十二号が接近していた時で大浜海岸の波のすごかったこと、東日本大震災の映像が目に浮かび、どんなにか大変だっただろうと神様のご加護と復興を祈りました。

 海南勤務に続いて鳴門農業改良普及所、勤務になりました。今度は自宅からの通勤です。体調を少し悪くしていた主人にとって、ここでも良き助け人が与えられました。 

 現在も、ずっと、ご指導下さっている食養の天野愛子先生とのかかわりがある、お方の存在です。健康を保つ、最も大事なことを教わり、ここでも神様の導きを感謝しております。

 私は十年前、子宮体ガンが見つかり手術を勧められましたが、それより半年も前に神様は道を拓いて下さっており「ガンは切らずに治る」との講演会に出席する機会が与えられておりました。

 講師は「ガン患者学研究所」代表、川竹文夫さん(徳島県出身)。香川県大川町の開業医、芳村剛さん。「治る」手当て指導の市川加代子さんでした。私はガンなど夢にも思っていませんでしたが大きな感銘をうけました。

 実兄が胃、大腸ガンで手術、手術の連続、その看病によく行っておりましたので西洋医学の限界を知っておりました。

 医者の宣告を受けても迷うことなく東洋医学を中心にした代替療法の道を選び四年間、毎週、香川、大川町の芳村医院までつれて行ってもらい診察、瞑想、鍼、灸、漢方薬の治療を受けました。 現在は、あまの屋の先生の、ご指導の下に毎週、お手当ての手技、食事療法の指導をいただき、もう十一年目に入りました。

 いつまで地上での生活が許されるか判りませんが神様は私の必要をすべてご存知で、さきへ、さきへと道を備えて下さって感謝です。

 徳島聖書キリスト集会へも、いろいろの問題のなか導いて下さいました。思いに勝る、すばらしい神様のお取りはからいに驚くのみです。

 皆様との楽しい交わりのなかに入れていただき喜んでおります。

 「およそ鍛錬というものは当座は喜ばしいものではなく悲しいものと思われるのですが後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです」ヘブライ人への手紙十二章十一節。

 すべてをゆだね信じて歩みをと、願っています。

大震災に思う

              T.Y(東京)

  三月十一日の東日本大震災・津波は日を追う毎に惨状が明らかになり、ショックから私の心は萎え うつっぽくなり、神様は何と恐ろしいことをなさったのだろうとの思いで心がゆらぎ、自分の信仰は何とはかなく、神様への信頼がくずれてゆくようで怖かった時期でもあります。

 悶々としながらも、徳島聖書キリスト集会の吉村先生、浦和集会の関根先生を通して、み言葉、お話をうかがううちに、日頃の自分の生き方をふと考えさせられました。健康で災いなく過ごせることに感謝し、神様に守られていると満足してしまっている自分に。習慣的に聖書を読み、自分中心の祈りをしていること等々。

 切羽詰まったものがなく、生ぬるい状況で過ごしている私には、この世の様々な出来事は偶然ではなく、人間には測りしれない神様の深い愛があって、人間の魂の奥にメッセージが送られている事も、なかなかわからないことでした。

 大震災をきっかけに、改めて神様へ立ち返ることに、気付かせていただいたように思っています。

 一人で学んでいることの限界も感じ、四月より集会に参加させていただくようになり、信仰の仲間との交流を通して一歩ずつですが、導いていただけますよう願い、祈っています。

  (編者注)山本さんは、かつて、関東地域での集会にてお会いしたとき、日曜日の集会はどこも参加していないとのことでしたので、適当な集会に参加されることをお勧めしたのでした。その後、ここに記されているように、浦和キリスト集会に参加。数年前にその集会がなくなりましたが、現在は、徳島聖書キリスト集会の火曜日の夕拝にオンラインで参加されています。大震災をきっかけに、神様への方向転換につながったことに主の導きを感じます。)

一本のバラの花のために  「星の王子さま」の中から

                                      E.Y(徳島)

 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ

  砂漠よ、喜び、花を咲かせよ

 野ばらの花を一面に咲かせよ。(イザヤ書35章1~4節)

 火曜日の夕拝のとき、聖書講話を聴きながら、「星の王子さま」の姿が浮かんできました。王子さまの星に咲いていたのは気位の高い一本のバラの花だったのですが。

 半世紀以上昔、小学六年生の時、アメリカ制作の「砂漠は生きている」という映画を学校から観にいきました。その頃、私は砂漠には雨がほとんど降らないので、生物は生きていけない不毛の地だと思っていました。ところがこの映画は、こうした思いを打ち消し、動物も植物も棲み、育っていたのです。僅かな水で生きていたのです。この映画がきっかけで砂漠に関心を持つようになりました。確かに死の世界ではなくても、それでもなお砂漠は、生きるには厳しい土地であることには変わりありません。

 このような砂漠に王子さまは降り立ちました。それは王子さまが自分の星に咲いている(種は別の所から飛んできた)バラの花とのちょっとしたいさかいがもとで、ふるさとの星を去って他の星へ旅立ち、いろいろな星を訪ね、いろいろな考えをする人に出会い、七番目の星、地球にやって来たのでした。

 地球に降り立った王子さまが初めて出会ったのはヘビでした。(王子さまは)「きみは、へんな動物だなぁ。指みたいにほそくって…」「でも、おれ、王さまのゆびより強いぜ」と、ヘビがいいました。また「…いつか、あんたの星が、なつかしくてたまらなくなって帰りたくなったら、おれが、あんたをなんとかたすけてやるよ。…」

 次にキツネに会いました。キツネも王子さまに大事なことを言いました。「あんたが、あんたの花をとても大切に思ってるのはね、そのバラのために、時間を使ったからだよ」「…めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花とのやくそくをね…」

 また「心で見なくちゃ、ものごとはよくみえないってことだ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」とも言いました。

 ぼく(飛行機の操縦士で機械が故障して、砂漠に不時着してしまい、懸命に修理をしている時、王子さまが話しかけてきて友だちになりました。)が「のどがかわいて死にそうだもの…」というと、王子さまも一緒になって井戸をさがしに行きました。なん時間も黙って歩いている時、王子さまは「水は、心にもいいものかもしれないな…」  そして、

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ…」といいました。王子さまは、飛行機の故障したところ、見つかってよかったね。…ぼくも、きょう、うちに帰るよ…」

 「ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星の中で笑うんだ。…」「ぼくと知り合いになってよかったと思うよ。君は、どんな時にもぼくの友だちなんだから。」

 王子さまの足首のそばには黄色い光がキラッと光っただけでした。一本の木が倒れでもするように、静かに倒れました。

今となってみると、六年前のことです。王子さまが自分の星に帰った事はよく知っています。なぜなら、夜が明けた時、どこにもあのからだが見つからなかったからです。

 まるで聖書を読んでいるような気がしました。バラは高慢な人間そのものをあらわしています。でも王子さまはそのバラを守るためにヘビに咬まれて、自分の星に帰りました。

 イエス様は私たち一人一人のために、ご自分が十字架にかかって死んでくださったのでした。

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おわりに

この「野の花」のための多くの方々の御愛労を、そしてその背後におられる主に感謝です。

 一つ一つの文の中にも、いろいろな道を歩んでこられた方々と主イエスとの霊的交流が浮んできます。

 そして活ける主は、人間にはとうていできないこまやかな配慮をもって各人を支え、導いてくださっているのを感じさせてくださいます。この小さな冊子に咲いた野の花がそれぞれ今後とも一層清い花を咲かせ続け、周囲にもその主からの愛や清さ、香りが伝わっていきますようにと祈り願っています。T.YOSHIMURA