 落穂 ―谷口 与世夫兄の文から
落穂 ―谷口 与世夫兄の文から
  
  広島市の谷口 与世夫兄は、二〇〇八年十一月に天に召された。かなり以前にご夫妻で、東京などの全国集会や、四国集会などに参加されて以来の主にある交わりを与えられてきた。広島市の佐伯区のお宅に何度か泊めていただいて、ご家庭や、広島聖書集会で聖書講話をさせていただいたことがあった。
  そうした主にある交流をいただいて、谷口さんご夫妻の信仰によっていろいろなよきものを与えられてきた。
  晩年に出されるようになった「落穂」という冊子には、長い歳月の信仰生活からにじみでる主にある平安がとくに感じられた。そのなかから一部を抜き出して記念とし、私の感想も加え、谷口さんとともに歩まれた主のお心をそこに感じたいと思う。
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  心に残る言葉
  
  ある人からいただいた手紙に、深く私の心に残る言葉がありました。
  それは、
  「神は最後に、いちばんよい仕事を残して下さる。
  それは祈りだ。
  手は何もできなくなる。
  けれども、最後まで手を合わせることができる。
  愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。」
  (ヘルマン・ホイヴェルス「最上のわざ」から)
  
  人生のたそがれ時は、私どもにも必ずやってくる。
  しかし、それは静かなる涼しき時であると内村先生は「秋の夕べ」の詩の中にうたっておられます。たしかに、秋はふるき衣を脱ぎ捨てて、裸にされていく時、そして心静かに、やがて来る日に備えつつはるかに新しき春を待つ時である。
  さわやかな秋空の下、野道をあるきつつ、天を仰ぐとき、そこにはわたしどもの救い主なる神、愛するかたが存して、私どもを待ちたまうことを知る。自ずと口にのぼる言葉は「主よ、きたりたまえ」という祈りである。
  神を知ったということ、そしてその救いを与えられたということは、何という喜べであろう。
  「アーメン、私はすぐに来る」どこからか細き声が聞こえてくるようだ。
  友よ、主がみずから約束したもうた救いの完成の日は間近にある。ともに喜び歌おうではないか。(「落穂」第一号 一九九五年九月)
  
  ・これは、最初の号にある、刊行の言葉の次にある最初の文で、ここに谷口さんの晩年の思いが感じられる。「祈の友」に加わって、ともに祈りを合わせませんかとの私のお誘いを受けて下さって、二〇〇四年に共に「祈の友」として祈ることができるようになった。
  それはここにあるように、晩年になって祈りこそ最後にできる重要な仕事であると考えられたのだと思う。
  
  ロバの子と落穂
  
  お借りした水野源三さんの詩集のなかにこんな詩がある。
  
  風邪をひくな
  腹をこわすな
  怪我をするな
  主イエス様をお乗せするご用があるのだから。
  
   やさしいあたたかい言葉である。そして深い信仰のことばである。
  これは作者自身の心の中でくり返し反すうされた言葉なのだろうか。それとも近親の人の愛のこもった言葉なのだろうか。
   この言葉は、しばしば家の者からもきく。それがだんだん身にしみるようになった。
  わたしはこの詩のさいごの一節に心ひかれる。
   かんがえて見ると、この身は誰によって養われ生かされているのだろうか。何のために。
   作者は深くそれを考えている。
    「主をお乗せするご用があるのだから」これがその答えなのだろう。
  それは私自身についても同じこと、そして主に従うすべての人にとっても同様なことであろう。
  
   小詩を「落穂」と名づけた。それは旧約のルツ記にあるやもめが、その日の糧のために拾う貴重な食べものの意味ではない。
   この落穂はかつて路傍に落ちて土にまみれ、やがて空の鳥が来てついばむか、風に吹かれて消えてゆく運命にあるものであった。
  ところが、それが全く不思議な方の御手に拾われたのである。思いもよらない一つの奇跡だと思っている。それは今も変らない現実であるが。
  そういう「落穂」が小詩の題字となったことはもっともふさわしいと思っている。
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  ・ロバの子、それは、主イエスが十字架にかかることを覚悟の上で、エルサレムにはいっていかれたとき、小さなろばの子に乗って行かれたという聖書の記事を指している。それより五百年あまりも昔に書かれたゼカリヤ書にある預言がそのまま実現したことであった。それは神の古くからの御計画が必ず成るということを示すための行動であった。立派な馬でなく、小さな弱いロバの子に乗って行かれた。
  それはどんな小さなものでもイエスをお乗せしていくことができるという象徴的な意味も込められている。
  谷口さんがここで言われていることもそのことで、小さな自分も主イエス様をお乗せして、必要なところへと運んでいく役目をすることができるということを示している。
  そしてたしかに谷口さんが晩年になって書かれた「落穂」は、主イエスを乗せ、その真理を乗せて必要なところへと運ばれていったのであった。
  「落穂」という誌名も、同じ心が通っている。本来なら散ってしまって踏みつけられ消えてしまった落ち葉のような自分、しかしそれを拾いあげ、新しい命を注ぎ、御国のために用いて下さったという長い人生の経験がそこに感じられる。
  私たちも一つの小さな落ち葉であったのを拾われた者、それゆえに小さな取るに足らないロバであっても、主イエスの真理の一端をお乗せして歩ませていただきたいと思う。
  
  老いの坂道
  
  これが信徒の交わりというのでしょうか。いろいろな信仰による暖かいたよりが届けられる。
  その都度、忘れがたい印象を与えられ感謝の思いが涌く。
  最近のたよりの中に、つぎの二つの俳句があった。
  
   主の恵み 滴りこぼれる落穂かな
   老いの坂も 寄りそい登らば、主がそこに
  
  このうたをいただいて私の心はかんしゃに溢れる。
  しかし、私はこのうたを私なりに解釈させていただきたいと思います。
  はじめのうたの「落穂」は前述のように土にまみれた落穂です。
  「主の恵み」とは何でしょうか。私にとってそれは主の十字架の血です。
  その血が滴りこぼれてこの身にそそがれたのです。そしてこの汚れた全身が洗い清められたのです。
  落穂にとってこれ以上の恵みはないのです。その幸いに心溢れます。
  
  最近私は少し体を痛め、これを妻が案じて快方に向いつつある私の散歩に時々ついてくるようになった。こんなことはいつまで続くかと思います。その散歩の坂道を登りながら私はあの俳句を思いだした。
   老いて行く私たちにとってこのうたは深く心に残ります。
  この坂道を登ると向こうは、すばらしく見晴らしのよい広々とした展望が開け、道は平坦となります。私たちは息を切らしながらも、その坂道を登って行きます。登りつめてやっと峠にさしかかって、ホッとひと息ついたとき、ふと前方を見るとそこにどなたかが立っているではありませんか。
   「主です」「主がそこに」 
  その時の喜びは如何ばかりでしょう。
  過ぎ去った苦労も慈しみも凡て忘れて、主に会しい喜びとさんびに溢れるでしょう。
   「主がそこに」すばらしいことです。
  私たちはこれを心に留めながら坂を登って行きたいと思います。