巻頭言

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、
神は聞き入れてくださる。
これが神に対するわたしたちの確信です。

(Ⅰヨハネ五・14)


リストボタン地上の声、天上の讃美 2006/1

もし、この世界を地球のはるか上方から見るとすれば、この地上には喜びの大いなる讃美はどこにあるだろうか。戦争、内戦、飢餓、対立、病気等々、喜びの声でなく、悲しみ嘆きの声のみが聞こえてきそうである。
ところどころ大歓声がある。それは野球場やサッカー場からである。しかしそれは実にはかない。勝ったといって大歓声があったかと思うと次のときにははや何の音もないということもある。高みから見るとすればそのような喜びのような声はほんの一瞬で消えるはかないもの、として聞こえるだろう。
しかし、もっと上に、霊的なたかみに引き上げられるなら、そこでは、おびただしい天使たちの大いなる歌声とも祈りともつかないものが聞こえてきたという。

私は多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。天使たちは大声でこう言った。
「ほふられた小羊は、力、豊かさ、英知、霊的な力、栄光そして讃美を受けるにふさわしいお方!」
(黙示録五・1112より)

このような壮大な讃美があるだろうか。その声はどれほど大きく力あるものであるか、想像もできないほどである。
地上で迫害の嵐が吹きすさぶただなかにあって、霊的な高みではそれをかき消す膨大な天使たちの、しかも大声での讃美が響きわたっているという。
黙示録の著者が受けたこの啓示は、ローマ帝国の荒々しい迫害のただなかにあって与えられたものであった。
それは現在においても、この世界の中で光を見ることができず、苦しみのただなかにある人間への励ましであり、招きである。
世界がどのような状態であろうとも、天上の讃美は今も響いている。どのように、わたしたちが今、希望を失い、暗い状況が取り巻いていても、霊の目で天を仰ぐとき、天上の讃美は力強く私たちを招いているのである。


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