いのちの水 2025年 9月 第775号
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イエス・キリストは、昨日も今日も、 また永遠にかわることのない方です。 (ヘブル書13の8) |
目次
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・世界平和と センス・オブ・ワンダー |
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・新しいこころ、感覚 対馬秀夫(青森) |
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主ご自身が先だって行き 林 晴美(徳島) |
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力ある神さま 加藤 久仁子 |
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この世には、ありとあらゆる闇の世界の働きがある
他方、そのようなただ中にあって、無限の奥行きを持った深い計画、象徴、暗示が存在している。
それは、身近な自然に目を深くとどめることで、だれもがその計画の一端をも感じ取ることができるような感性を与えられている。
そうした感性は、動物でなく人間の本質であり、幼子も、乳児さえその片鱗が見られる。
大声で泣いている乳児も、抱き抱えられて母親の声、表情、目を見て泣き止むのは、言葉はわからずとも、その声音、まなざしによっても言葉を超えたものを感じ取るからである。
そうした素朴な喜びや驚きは、目に見えるものの背後にある大いなる存在ーそれは美や永遠、真実、慈しみ…等々をたたえたものへの直感と限りなく豊かにされていく本質を持っている。
こうした感覚は小さな世界から限りなく広い世界の問題の解決の根源へと道は続いている。
環境公害の問題の深刻さを 世界に広く知らせることになった レイチェル・カーソン(*)が、その最晩年の小著 The Sence of Wonder において、その感性の重要性を書いている。
…知ることは、感じることの半分も重要ではないと、わたしは心から信じています。
I sincerely believe. It is not half so important to know. as to feel.
(*)1907〜1964年 環境問題の重要性を世界に印象づけたのは、カーソン著の「沈黙の春」だった。膨大な論文をも参照しつつ、自身の実際の調査研究の成果として刊行された。
日本では最初は新潮社から「生と死の妙薬」との書名で発行。私は大学時代は生化学を学んだことで、化学物質や薬害、耐性菌などの問題に強い関心があったので、発行されてすぐに購入して強い印象を受けたのを思いだす。
これはこどもの教育についての文脈で言われたことであるが、あらゆる人にとってこれは根本的に重要なことである。
今日、知ることは、とくに、コンピュータ、インターネット、生成AIなどを使うことで、本を少しも読まずとも大量の情報を得ることができる。しかし、人間の本性は罪深きものー自分中心であるゆえに、そうした数十年前までは、考えることもできなかった知識の大量獲得は、その知識を用いて、限りなく悪しきことの生産に使われていく道をも開くことになった。
核兵器といった物理的な破壊は、自然や建造物、人間や動植物の破壊などあらゆる可視的なものを破壊するが、生成AIによる破壊は人間の精神的領域の破壊へと及ぶことがすでに大量にはじまっている。嘘偽りが広範囲に真理のごとき外貌もて、無数の人々に受けいれられ、善悪という根本的に重要な識別に重大な攪乱がなされ、それによって人間精神は何が善で何が悪であるかという、動物にはない人間にとって根本的な判断が壊されつつある。
こうした危険な道は、いかにしても、その防止策を防ごうとしてもさらにそれに勝る抜け道が造られていく。
すでに日本の最初のノーベル物理学賞を受けた湯川 秀樹は、今から六〇年近くまえ、まだ、インターネットもパソコンもない時代に、計算機の能力を見て、 「これは将来 えらいことになる可能性を持っている」と現在、直面している困難をはやくも洞察していたのがうかがえる。(「人間にとって科学とは何か」中央公論社1967年刊)
こうした解決不能に見える闇が迫りつつある。この問題は、人工知能AIを越えるものでしか解決できない。いずれAIは人間の知能を越えるとも言われている。それゆえ人間の知能、知識、判断力、学問といったものはみなその限界に直面することが生じる可能性が高くなりつつある。さらにそれら学問的に真実でないことも、広範囲に広がってしまう危険性も含んでいる。
そうしたなかで何が人類の、そして世界の未来において輝き続けるのか、この生成AIの限りない進展をも越える力を与えるのかーそれこそ、現在の根本問題である。
これに真の永遠の答えを与えるものは何か。
それは、人間の知能、判断力を越える存在、アンリミテッド デザイナー(限界のない、全能なる計画者)によるしかない。人間の学問、知識、能力などすべて大いなる限界に満ちている。政治学、法学、社会学…等々の学問、研究がいかに発達しようとも、ヒトラーやスターリンの出現を予想することも彼らがどのような非人道的なことを繰り広げるかも予測できなかった。
そして今日のイスラエルとハマスやウクライナとロシアとの戦争を阻止することもできず、夥しい犠牲者を生み出してきた。
しかし、通常はそうした最大の不幸と思われている、死ということ、家族友人たちとの愛の破壊等々も、全能でかつ愛と真実の神のみが、死ということを越えてさらに完全な命や愛を企画され、じっさい現在までの数千年の間、そのことを単なる企画、計画でなく、現実に実現してこられたのである。
そのような存在の前には、いかなる生成AIも 厳密にゼロの存在でしかない
「無限大に比すれば、いかなる有限も厳密にゼロとなる。」
(パスカル「パンセ」 232)
そのあらゆる制限や限界のない計画者、かつ実現する力ある存在こそが、聖書で示されている全能、かつ完全な愛と真実の存在である神なのである。
その神によって、創造された自然、それはその一つ一つが、創造者の無限性を指し示している。
大空の青く広がるその色合い、そこに流れる雲をとっても、それらすべては、その千差万別の無限の多様性を表しつつ、刻々と変化していく完全な動画でもあり、立体的である。
しかもその無尽蔵のデザインに満ちた雲は、人間に不可欠な大量の水を降らせてくれる。また、夕刻や海、大河の上にさしかかるときには、太陽の光はさまざまに雲の模様、色合いが変化し、驚くような 色彩豊かな壮大な絵画、動画となる。
こうした限界なき多様な、かつ深い暗示を込めた姿を日々提示することに比べるなら、人間の美術品といえども、ゼロに等しいような限界に満ちたものでしかない。
人間の造ったものは、たちまちAIによって偽造品が造られるし、その真贋も見分けるのも非常な困難を伴う。さらに、天才的な画家、音楽家、彫刻家であろうとも、ひとたび大病になったり、事故で手足や脳の重大な損傷を受けるならただちにそれまでの独創的な作品を生み出すこともできなくなる。
その天才といわれる人たちも、その言葉のように、天から与えられた才能を用いただけであり、さかのぼれば、そのような天才も神の無限の能力の一つの現れにすぎない。
しかし、大自然は、いかなる戦争が生じようとも、また新たな生命とデザインをたたえたものがよみがえってくる。
そして、究極的な不幸とみなされる死にあっても、全能の神は、肉体の死、滅びにうち勝つ新たな命を創造されているのであって、死は限りない不幸でなく、永遠の神の命を与えられるという究極的な幸いへの入口なのである。
かつて内村鑑三は、愛娘のルツ子が、わずか十七歳の若さで召されたときその土葬のとき、「ルツ子さん万歳!」と叫んだことが知られている。
死は全能の神のアンリミテッド デザイン(限界なき、計画、意図)によって二千年前のキリストによって、究極的不幸でなく、究極的な幸いへの入口と変えられたのだった。
「私は復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」
(ヨハネ11の25)
永遠の命とは、単に長い命でない。神の命、神という完全な愛と真実な神の命を意味している。そのような究極的な良きものが、ただ信じるだけで与えられるというのが、福音(喜びの知らせ)(*)である。
修行や学問、経験、富、知能、病気とか健康、また男女民族、年齢などいかなることにもかかわらず、かつ殺人のような極刑となるような重罪を犯してもなお心から神とキリストに魂を方向転換して、罪の赦しを受けるときには、この永遠の命を受けることができる。
実際、使徒パウロは、復活のキリストに出会う前は、キリスト教をモーセ律法を壊そうとしているものとして最大の敵とみなし、迫害のために、遠く三百キロメートル近くあるシリアのダマスクスまで出かけ、実際にキリスト者を殺したことさえあったほどである。(使徒22の4)
しかし、そのパウロに復活のキリストが現れて、彼はキリストの最大の使徒として最も深く広い啓示を受けた。
それが新約聖書の福音書と使徒言行録を除いて圧倒的な分量が新約聖書として神の言葉の啓示として今日もその活きた働きを続けている。
私もそのパウロが啓示を受けて書いたローマの信徒への手紙のわずかの個所を矢内原忠雄(**)の著書によってキリスト教信仰を突然与えられて今日に至っている。
(*)福音とは一般の日本語としても用いられているが、もともと、聖書において、その原語は、eu-angelion であり、eu ユウは「良い」、angelion アンゲリオン は「知らせ」 中国語の訳語が「福音」で日本語訳の聖書も中国語訳をそのまま受けいれた。「福」は 幸いな、「音」は音信ということで使われるように「知らせ」の意)
(**)1893〜1961年。内村鑑三のキリスト教信仰に学んだ。1937年、当時の戦争政策を批判したために、それが問題とされ、東京帝大教授を辞職せざるを得なくなったが、戦後、東大総長を六年つとめた。
この世には、悪の力のわざが至るところで見られる。そこから悲しみや苦しみも果てし無く生じてきた。戦争はその最たるものである。戦争こそ、人を殺傷する、建造物、インフラを破壊、生活できなくする、また家庭を破壊する、憎しみという最も悪しき感情を果てし無く増幅させる、麗しい大自然も破壊し、さまざまの芸術作品も一瞬で破壊してしまう。…
このように、目に見えるありとあらゆるものを、破壊し、戦争後も、 PTSD によって長期に身心を苦しめる。膨大な戦費によって関わる国の国民の生活を圧迫する、さらに周辺の国々の軍事力を増強するという大きな動機ともなり、持続的に世界を苦しめる…。
このようなあらゆるものを破壊、滅ぼしていく戦争、それを好むものは誰もいないはずだが、太古の昔から、ホメロスの詩作にあるように戦争は止むことがなかった。
平和への道は、人間の努力、思想によっては見いだせないのは歴史上ですでに明らかである。
武力には、武力をーという方策によってむしろ世界大戦という数千万の犠牲者を生み出す恐ろしい悲劇が生じてきたのである。
それゆえに、真の平和への道は、まず世界を構成する一人一人の人間の魂の内に、絶望や悪意、事故や災害、そして自らの罪ゆえに他者に重大な害悪を及ぼしてしまった罪の赦しということがなければ、私たちの魂は不動の平安、平和を得ることができないということは、私たちが自分の心に向って静かに顧みるならば感じ取ることができる事実である。
悪をなしたり、嘘、偽りを言ったりすれば、たちまち心の中に深い平安や清いものが失われるということ、そしてそのことは、化学的には目や表情はタンパク質や脂質等々で生成するにもかかわらず、その目や表情にまでその平安ならざる精神世界が現れてくるということである。
どうしても消えることのない罪とその取り返しのつかない悲劇的な結果、交通事故のような身近なことでも、うっかりした油断が自分と相手、その家族の生涯を破壊してしまう。戦争で何の敵対者でもなかった見知らぬ国の農家の人たちをも殺害して食物を奪っていくなど、そうしたことの罪は殺害した人においても後々まで心の平安を失う重大な罪とその結果を思い知らされつつ後の人生を生きていくことになる。
そうしたとき、唯一の解決はその取り返しのつかない罪をあたかもなかったかのように扱ってくださるー罪の赦しと魂の平安を与えられる道の存在である。
それこそ、人間にはあり得ない無限の愛と修復をもされる御方、神の愛、キリストの愛による。
こうした限界のない愛と力によって、今後のだれも予測できない事態をも越えていくことができる。
それは、インターネットや生成AIなど全く存在しなかった時代の最も苦難の時代、戦争捕虜となって人間の限界を越える酷使、暴力、暑さ、飢餓、それらに由来する重篤な病…そのようなただ中にあっても、その愛と真実の神のはたらきが暗夜の星のごとくに現れた事実の証言がある。
その最初の証言は、新約聖書においては、ステファノである。彼はモーセと神を冒涜しているとして訴えられ、そこで最高法院に連行され、そこでの真理の証言がさらに人々の怒りを激しくし、ステファノに襲いかかり、石を投げつけて死に至るほどの状態となった。そうした激しい殺意を受け、全身に及ぶ激痛のただなかで、彼は、聖霊に満たされ、天が開いてキリストが神の右に立っているのを見、さらに石を投げつけているとき、主よ、わが霊を受けてくださいと祈り、殺害の憎しみに燃えた人たちのために、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください!」 と祈って息絶えた。
(使徒7章の最後の部分)
これは、キリストの愛と真実がいかなるものかを如実に示している。いかなる困難、死に至る激痛や憎しみのただ中にあっても、神はご自身を啓示して愛によってその憎しみや罪にうち勝つことを示した最初の例であり、ステファノはその証し人となった。
殉教者ーmartyr(マータァ)とは、ギリシャ語の マルテュレオー( 証しする) という言葉に由来する。死にうち勝ち、激しい敵意、憎しみ、暴力にもうち勝つのは何であるかをその命によって証言したゆえにこの名称がある。
このような激しい憎しみや暴力に対してもうち勝つーそれはまさしく限界のない愛と力による。暴力(軍事力)には暴力という、今日まで至るところでなされてきた問題に関する根本的な解決の道がここにある。
それは、ただ神という無制限の力を与えられることによってのみ可能な道である。こうした神の愛と力によってあらゆるこの世の敵意や暴力を鎮める道を実際にステファノのように事実を持って世界の歴史に提示するーそれこそ、無限の叡智をもった神の限界なき御計画にほかならない。
そのような力が、たとえ少数であれ、キリスト以来二千年という歳月、世界で証しされるようになったのもまた神の計り知れない叡智と洞察をもったご計画なのである。
それは、ローマ帝国の三百年近くにわたる長い迫害の時代も、このステファノのように、ネロ、ドミティアヌスなどの皇帝による苛烈な迫害においても、あくまでその精神で打ち勝ち、暴力には愛と真実をもって打ち勝つというキリスト教の本質が広くつたわっていくことになった。
人生の決定的な分かれ目とは、私たち人間がそれぞれ自分の考えや他人の考え、また目に見える事物を絶対とし、人間の考えや経験の範囲内で生きて行こうとするか、それとも人間やあらゆる自然現象などを超えた存在を見つめて生きようとするか、である。
自分という人間の著しく狭いものを中心として生きるのは、他者との関係で容易に変質、あるいは絶望に陥る。 自分の考えや目的、経験などからデザインできる人生というのは、ごく狭く短いものとして制限されている最終的にみな消えてしまうはかない影のようなものである。
その限界無き世界をかいま見る機会は、人生の内に何度か与えられる。それは、とくに 自分や身近な人の病気、事故、死…等々の特別な苦しみや悲しみにふれたとき、あるいは自分自身がそのような状況に陥ったときなどである。
神は限界のない存在であるから、そうした絶望的状況にあっても与えようとされている。
… 見よ、神はこれらすべての事をふたたび、みたび人に行い、
その魂を墓から引き返し、彼に命の光を見させられる。 (ヨブ記33の29〜30)
そして一度そのような永遠からの光を見る恵みを与えられた者は、その後も、主イエスの「求めよ、さらば与えられん。」 という約束どおりに、切実な求めの心あれば、そのような永遠からの光、力が与えられていく。
そしてこうした光や命の体験は、他者に与える、伝えることでさらなる祝福が伴ってくる。
戦争がどうして絶えないのか、それはセンス・オブ・ワンダーの欠如がその根底にある。
レイチェル・カーソンが用いたのは、自然の美しさ、精妙さ、等々への センス・オブ・ワンダーであった。
しかし、驚くべきことを実感し、深く魂に受けとる働きは決して自然に関してだけ求められるのでなく、人間の生活のあらゆる領域にわたって、驚きの感覚が必要だ。
自然は何者が創造したのか。何者も天地を創造したのでない、偶然にと考える人が圧倒的に多い。
理科系の学問で、神が創造したのだ、などと書いてあるものはほとんど存在しない。
以前、徳島県南のある有名な寺にどのような建造物があるのかを調べようと行ったことがある。そのときその寺は山を登った山中にあるのでその境内からは、周囲の山々が一望できる。 仏教では、創造主ということを言わないことは知っていたが、境内を通り掛かった若手の坊さんに、実際の確認のためにと、「仏教では、こうした緑の樹木や山々など、何者が創造したといっているのですか」と問うたところ、その僧職は、とまどった様子で「そのような質問は受けたことがないです」と言われた。
創造主がおられる、しかも人間の魂に深く触れ合う愛と真実を持った御方が存在するというのは、理論や科学技術、論理では決して納得させることはできない。そもそも 神はすべてを超えた存在なので論理的に神の存在を証明したといっても、神は、そうした論理そのものを越えているためにそこで証明されたとするものは、神ではない。
これは、神による啓示によって初めてわかることである。神によって、わたし共の感性が開かれて、そこに新たに示されて初めて、神が万物の創造者であり、かつ今も活きて働いておられることを感じるのである。
センス・オブ・ワンダーの最も広く深いもの、それは、神へのセンス・オブ・ワンダーである。
神の愛、憐れみ、罪の赦しの愛の深さを実際に感じるーそのことがまさに驚くべきこと。自分の過去の歩みで数しれない愛の欠如があった。
それは考えれば考えるほどに、自分の心を暗くするものである。
しかしふしぎなことに、キリストの十字架、キリストが私たちすべての罪を身代わりに担ってくださり、十字架で死んでくださったのだと、いうことを信じるとき、私たちに決定的な出発となる。
罪の赦しといった計り知れない愛のわざを受けて、初めて人生の方向が根本的に変えられた。
周囲の自然に関しても、あらたな驚きの感性が生じてきた。 センス・オブ・ワンダー が新たにされたのであった。
そうした経験を経て、私たちは、この世界がいかに表面的には、神などいないように見えても、その奥にはつねに愛の神がおられて導かれ、支えておられるのを知らされる。
そのように内なるキリストが住んでくださるようになるとき、それがセンス・オブ・ワンダーの基となる。
眼に見える自然の姿の数々、その無限の神秘に驚嘆するセンス・オブ・ワンダーとともに、内なる世界に、センス・オブ・ワンダーをさらに深く、新たにする霊的世界が存在する。
神の愛、真実、憐れみ、また正義の力…等々、そのことを少しでも日々感じることによって、私たちのセンス・オブ・ワンダーは深められていく。
それによって、いかに戦争が醜悪な、そして愛や真実と正反対の世界であることかを知らされる。
そして戦争という果てしない暴力の世界によって身心ともに苦しみ、痛みや悲しみが、どれほど計り知れないものであるか、たった一人の人が山や海で行方不明になるだけでも、単にそのニュース性によりとくに報道される。
それならば、戦争による幾千万という人たちの海のような広大な苦しみや悲しみの叫びは、どれほどの深刻な問題であろう。
こうした、人の命や運命、そのことに深い感性を与えられること、センス・オブ・ワンダーをより繊細に鋭くすること、ーそれは、いかに細く狭い道であっても、本当の平和への道がある。
…狭い門から入れ。滅びに至る門は大きく、
その道は広く、そこから入って行く者が多い。
命に至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことか。そして、それを見出す者は少ない。マタイ7の13〜14)
〇主日礼拝における前講、心に残る御言葉から(オンラインで参加の方々を含む)
対馬 秀夫(青森)
…だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者である。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
(2コリ5の17)
だいぶ前に、主日礼拝で、ある方が「私の場合は音と匂いで風景を感じる」と言われたことが記憶に残っています。
風景の受け取り方は、その人その人の置かれた状況によって独自なものとなる、そこに独自な世界がありうるのだ、とあらためて強く気づかされた。
そして、そこからさらに、この世界を五感を超えて、霊的に見る感じるということもまた、奇妙なことではなく、確かに有りうることなのだ、と。霊的な感性をもつならば、いつもの生活、その風景が違って見えてくる。
ヘブライ語のシューブ、方向転換を体験したドイツのキリスト者がその感覚について語っている。
…新しい心と新しい感覚を身につけなさい。自己の感覚を回復しなさい。
心の転換を、霊の過ぎ越しをしなさい。
地上の事物を味わっていたあなたがたは、天上の事物を味わうようになりなさい。…
方向転換は日々の生活の中に現在する。ルカ17章20節「神の国は見える形では来ない。『ここににある』『あそこにある』と言えるものではない。神の国はあなたがたの間にあるのだ」とイエスは言われた。
「野の花、空の鳥をみよ」といわれ、さまざまな譬えで神の国を教えられた。
この神の国は畑の中に隠されていた宝のように、それはある。ただ向き変わればよいのだ。
人はこの世の価値秩序のなかで他者との競争を強いられる。先頭集団に入らなければと努力する。その延々と続く行列の中で、神の国への「呼びかけ」を聞いたならば、立ち止まって、反対方向に向きを変える。そして、信じて、ただ一歩二歩、与えられている現実の中に、負わされている課題の中に、踏み出す。
その時、神の力は働き始める。人は神の国への行列の中に入ることになる。
霊性は目覚め、新しいこころと新しい感覚を与えられ、あたらしい景色を見ながら、神の民として歩み始める。
大塚 正子 (北海道)
…目の見えない人を導いて知らない道を行かせ、通ったことのない道を歩かせる。 行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐにする。私 はこれらのことを成就させ、見捨てることはない。 (イザヤ42の16)
9月8日、明日なんですが、夫を天に送り三年になりました。私が一人で歩む心の内をいま振り返って、このみ言葉で今があることを改めて気づいたみ言葉です。
突然の発病で失明と、そして週3回の透析という生活が始まり、二人三脚で走りきり、長くもあり、あっという間の21年でした。 振り返ると、自分でもびっくりするほどの行動力があり、その間に、家族2人の介護も走り回り、そして全盲の夫と共に念願だった聖地旅行もかない、なんとたくさんの恵みをいただいたことでしょうか。
この言葉通り主のお守りで、この21年歩いたことに改めて気づいた、実感したみ言葉です。
そして、亡くなる前に、札幌を永住の地と決めて、新天新地という言葉を刻んでお墓を作りました。
私はこの感謝と気持ちを込めて、いま振り返っています。そして、これから一人で歩くんだよ。という、私の心の支えとして
…わたしが顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人、わたしの言葉におののく人。 (イザヤ66の2)
このイザヤ書の御言葉を心の帯として、これから新しく出発したいと思っています。以上です。
林 晴美(徳島)
次が心に残っている御言葉です。
…主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。
主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。 恐れてはならない。おののいてはならない。」
(申命記31の8)
初対面の人、初めての場所は緊張します。小学校の頃は蚊の鳴く声と言われるほど小さい声でしか話せず、友達の輪に入れず後ろから付いて行くような子供でした。
全盲の鈴木益美さんに誘われて初めて徳島聖書キリスト集会の1999年のクリスマス特別集会と、翌週の勝浦さんの病室でのつゆ草集会に参加したのですが、緊張して、ただ鈴木さんの隣に座って皆さんの賛美やお話を聞いていただけで帰ったと思います。
この2回参加したあと、5年もあいだがあきましたが、続けて参加するようになり、皆さんと話せるようになりました。
また新たに何かを始めるときも、自分にできるのか不安になったり、いざ始めてもうまく進まない時はイライラしたり、能力不足のまま始めたことを後悔したりします。しかしイライラしながらでも途中で投げ出さないで続けていると、拍子抜けするくらい簡単にうまくできたということが多いです。
必要なことだからこそ、時間がかかっても、一歩踏み出す力、物事を進めていく力を神様が与えてくださったのだと思います。これからも神様の導きを信じて歩んでいきたいと思わされています。以上です。
加藤 久仁子(徳島)
皆さん、おはようございます。加藤です。今日の3分のために私が与えられた御言葉は何かというと、使徒言行録26章22から23節を読みます。「ところで、私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、(ここには当時の聖書と書いてあるので、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったことイコール当時の聖書だと思います。)何一つ述べていません。つまり、私はメシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」
これはパウロがアグリッパ王のところに。パウロがその時、ユダヤ人から訴えられて、裁判を受けるときに述べた言葉です。
私はいつも何か、悪いことや、心配ごとがない時でも、気持ちががっかりしたり。なんかおびえたりというか、不安になる時があります。
そんな時は讃美歌を歌ったり、聖書を読んだりします。そのときに思うのは、昔の預言者がすごいですよね、皆さんが知っている預言者は、例えばモーセや、またエリヤとか、いろいろいますけれども。彼らが語った、神様から預かった言葉はとても強くて。本当になる。そういうところを読んでいると、待てよ。その力のあるように見られて、その王様からも頼られた預言者たちより、もっともっと上にいる神様を、私は信じているんだ。と。
どうしてもこの世に見えるものを頼りにしがちですけれども。神様は見えませんけれども、力があって絶対に言ったそのまましてくださる、恵みをくださる。 一人にしないし…。
そしてまたそこで考えました。今、私たちキリスト者は、この世に生きて、神様からの言葉を預かった預言者じゃないか。
そしてさっきの使徒言行録の26章22から23節まで。パウロが言った、イエス様が十字架にかかって苦しみを受けて死んで三日目に復活した。そのことの他には語らない。と言ったように、私も聖書に書かれていること以外は語らずとも、くり返し同じことのようですけれども、ほかの人たちに、私と神様の関係、あなた方と神様の関係、同じだと思いますが、それを伝えていくことをしたいなと思いました。以上です。
今月9月23日の(秋分の日)に、毎年開催している「祈りの友・合同集会」があります。
その「祈りの友」に関してどういう起源で始まったのか、まだ「祈りの友」を知らない方々に、主の導きのあとを記しましたが、再度掲載しておきます。
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現在の「祈りの友」の前身である、「午後三時祈の友会」は一人のキリスト者、内田正規(まさのり)の肺結核の同病者のための祈りという一つの小さなところから始まった。
1932年1月、当時の結核療養者の冊子「療養生活」の読者投稿欄に岡山の結核療者であった内田正規が投稿した。
それが「午後4時の祈りについて」という題で、それが「祈りの友」出発点となった。
それは、1932年の1月。その中で内田は次のように書いている。
「私達、病める者、とくに長い病床生活を余儀なくされている者の最も深い仕事は祈りであると思います。いかなる重症患者も祈りだけはできます。
幸いにも憐れみの父なる神を知ることができて救われ、病床に感謝の生活を送っている私は同じ病気に悩み苦しんでる人たちを思うと祈らないではいられなくなりました。
そこで私は毎日朝夕の祈りの時に病人の為にも祈ることにしていました。
ところが今年の8月にひとつの転機があり、病友のために、別に午後4時を定めて祈ることにしました。
私は百万人(*)の結核患者を救いたまえと、祈ります。ご賛同くださる方は、どうか祈ってくださるよう願い上げます…」とこのような呼びかけだった。
(*)1934年には、結核による死者は12万3千人余、患者数の推定=120万人。
この呼び掛けに対して、ただちに次号に、二人が、さらに次号以降は賛同者が増え続けて、1年半ほどのうちに50数名となった。 そして、この賛同者は、「午後四時一致祈祷団」と呼ばれるようになった。
その後、1934年6月には、「療養相互祈祷会通信」第一号が発行され、これが後の「祈の友」誌となった。さらに、1936年には、内田によって、共に祈る時刻を午後4時から午後3時と変更した。それは、キリストが息絶えた時刻であり、祈りに際してまずそのことを思い起こし、キリスト者の信仰の出発点は、イエスが非常な苦しみをもって、万人の罪を担い、十字架上で死したことにあり、繰り返し私たちの信仰の原点に思いをいたすためであった。
会の名前も「午後三時祈祷療友会」と変更された。
1944年、内田正規の死により、江藤顕三が、会報を受け継いだ。1947年に江藤の死により、山梨県の西川賤(しずか)が、後を引き継いで、主幹となった。 以後、1977年まで、30年にわたって主幹を続けた。
西川の後を引き継いだのは、島根県の中山貞雄。
1988年に、中山に変わって、埼玉県の 稲場満が主幹となった。
私(吉村孝雄)は、その稲場さんから2000年の年明けて、直接に埼玉県の秩父市に呼ばれて、次の主幹となって「祈の友」を続けてほしいとの依頼があり、細かい引き継ぎの事務的なこと、「祈の友」の定期的出版物の編集、発送関係や経費、そうしたさまざまのデータのパソコンでの処理…等々を話された。
それまでにも、稲場さんが弱いお体で「祈の友」の相当な数にわたるデータ処理に難儀しておられたので、そのデータベース処理のソフトでとても簡便に仕えるものがあったのでそれを紹介して、インストールし、それが使えるようにお手伝いをしていたことがあった。
稲場さんは、私が次の主幹になることについて、すぐに私が引き受けることと思っておられたようで、そのために、一泊の宿泊を近くの旅館で予約さえしてくださっていた。
それは、電話やメール、手紙などでは、引き継ぎのためのさまざまの複雑な「祈りの友」関係の仕事が十分につたわらないからだった。
しかし、私には当時、日曜日の主日礼拝以外に、夕拝や各地での家庭集会があり、毎週4〜5回ほども集会があり、「いのちの水」誌や集会だよりの定期的出版、病気や障がいのある方々への訪問、等々、とても「祈の友」のために時間を用いることができない時期にあった。
それゆえに、すぐにはお受けできないので、協力者や各地の家庭集会を少なくするなどいろいろと考え、祈る時間が必要なので、1年ほどは待ってくださいと希望をだしたのだった。
その私の希望を、稲場さんは 一応受け入れられたが、数カ月経って、「1年は待てない、自分の健康状態が悪化しているので、一年後には、引き継ぎの作業もできなくなる可能性が大きい。それ故、もしすぐに引き受けられないのなら、別の人を選ばざるをえない」との来信が届いた。
それでも、私はどうしても、すぐには受けられなかったので、稲場さんは別の方に主幹を依頼された。
その後、その方も健康上の問題から続けることができなくなり、「午後三時祈の友会」は終了することとなった。
私は、「祈りの友」の状況を、年に一度の北海道の南西部の瀬棚地域での瀬棚聖書集会での御言葉を語るという役割を終えてからの帰途に、各地の祈りの友を訪ねていた。
そして住所を捜して訪ねても不在とか死去、あるいはもう「祈の友」の通信も読めないという状況になっている方々をいろいろと知らされて、私が祈りの友を受け継ぐときには、キリスト信仰に立って祈られ祈るという基本的精神を維持しつつ、より単純化していかねばならないことを深く知らされた。
それは、年に一度の九州から中国地方を各地の集会を訪問するおりにもそのような各地の祈りの友を訪ね、その実態に触れることでいっそう強められた。
私自身の各地の集会や「いのちの水」誌、また集会だより、等々があるので、時間も制限があるため、「祈の友」に専念することは到底できないことであった。
しかし、私は、稲場満さんから、すでに書いたように埼玉まで呼ばれて依頼を受けたが、その以前に、島根県の中山貞雄元主幹が徳島に来られたときにも、直接に中山さんからも、稲場さんは体が弱いからそんなに長くは主幹をやれない、そのあとは是非「祈の友」の主幹となって、「祈の友」を受け継いでほしいと強く言われていた。
そうした二人の元「祈の友」の主幹の方々から、それぞれ別々に、ぜひ「祈の友」を受け継いで主幹としてやって欲しいと言われていたので、それは、十分に時間がとれなくとも、何とかして受け継いでいくのは神様からのメッセージなのだと感じていた。
そのために、新たに、「祈りの友」を始めることになり、以前の「午後三時祈の友会」の会報の最終号に、その新たな「祈りの友」の内容を書いた印刷物を同封し、2013年4月から始め、今日に至っている。
現代の日本は、高齢化により、夫婦が病気、あるいは片方が病気で負担の重い介護に相当なエネルギーがかかり、苦しむという状況にある方々はますます増大しつつある。
また、夫婦の一人が入院、あるいは施設入りとなると一人住まいという孤独が襲いかかっている状況にあり、そのような状況にあってもなお可能なのは祈りである。もともと「祈の友」は、戦前に結核に感染し、何もできず、病室で病と苦闘し、あるいは死を待つだけのような弱い人たちが互いに祈りあって神様からの力を受けようとすることからはじまった。
祈りこそは、現代の高齢化した弱者、一人孤独な生活をしている人たちのできる大切な仕事となって残されている。
一人だけで祈ることももちろんできる。しかし、主が言われたように、二人三人集まるところに私はいる、と約束されたのは、遠く離れたものであっても祈りをもって結ばれて互いに祈られ、祈ることでそこに主は、聖霊の主はいてくださるという約束でもある。 そしてそうした祈られ、祈る人たちに新たな平安と力を与えてくださることが期待できる。
祈りの現代における重要性
現代は、以前からのアフガニスタンやシリア、ミャンマー、アフリカ等々での戦争、紛争などの上に、さらに戦争が新たに各地に起こり、飢餓、愛する人の死や重傷、回復できないほどの身心の打撃…等々を受けている人たちが無数にいます。
本当の平和の道はどこにあるのか、私たちは、この平和への問題にいかにかかわることができるのか、について 多くの方々は、日々心にかかっていると思われます。
そして政府は、アメリカや周囲の国々の軍備増強の波に呑み込まれて、巨額の軍事費をあてつつあります。
それら近代的な兵器が用いられるとき、それは多数の人々が死傷し、生涯を破壊され、また建造物が破壊され、そこで住んでいた人たちの生活は根底から失われていきます。
また戦争が終わっても、火種が残り、いつまた紛争が生じるのか、別の地域に飛び火するのか、また、そのおびただしく破壊された建物や施設の修復のために、莫大な費用がかかり、その重圧はいつまで続くのかだれも予測できない状況です。
こうした状況にあって、どの国にいるのか、武器などによる防衛とか、また健康や経済的状況等々など関係なく、だれもが平和のために参加でき、いかなる建造物や自然を破壊せず、人をも殺傷しない道こそが「祈り」の道です。
祈っても何も変わらないとよく言われますが、それは神が全能であり、かつ完全な愛の御方であることを信じないことに起因します。
祈りは霊的な営みであり、眼に見えない、神の愛やご意志に直接にかかわることができる道です。
そして、そのような無限の愛、かつ霊的存在だからこそ、いかに困難なこと、遠くのことであっても、神の霊のはたらきは、距離、空間、時間…を越えて働きます。
神の霊のはたらき、それはまた人間の言葉でなく、神の言葉と深く結びついています。
イエスという神の完全性を与えられた人間が地上に生まれるということは、預言書ーとくにイザヤなどイエスより700年ほども昔に、彼が祈りの内に掲示された神の言葉によってすでに、予言されていたのです。
このことからわかるように、祈りによって示される神の言葉、それはいつはっきりと成就するのかはだれもわからないことです。
しかし、私たちの祈りが真実であれば、必ず神は小さなものにも耳を傾けてくださる愛と霊的存在であるゆえに、私たちは、必ずそうした祈りによってなにか良きことがなされることを信じることができます。
神は愛である、全能である、ということと、そのような神に向っての真実な祈りは何らかの形で聞かれるということは結びついています。
そして、祈りは繰り返し、あきらめないで祈ることの重要性もイエスが次のようなたとえで言われています。
真夜中にパンを求めてきた旅人のために、真夜中に友人のところへ行き、『パンを三つ貸してくれ。旅の途中、来た友人に出す物がないのだ』と言ったとする。」すると、その人は家の中から、言うだろう。もう遅いし、子どもたちも寝ているからできない、と。
しかし、友人だからという理由ではなく、繰り返しあきらめずに頼めば、起きて必要な物を与えてくれる。 と言われ、次の有名な言葉が続いています。
…求めよ、そうすれば与えられる。探せ。そうすれば見つかる。門をたたけ、そうすれば開かれる。(ルカ11の5〜9より)
このイエスの言葉は、真実な祈りであるほど、一度、二度、祈って聞かれないと思って止めてしまうものでなく、続けられていくものだからです。
自分の身近な家族が病気とかで苦しんでいるとき、一度、二度祈っただけで、聞かれないと思って祈りを止めたりしないのと同じです。
第13回
祈りの友・合同集会
・日時…9月23日 火曜日
(休日)午前11時〜午後4時
・開会礼拝 吉村孝雄
聖書からの祈りに関しての
メッセージ
那須佳子(大阪府高槻市)香西 信(岡山市)他
昼食
参加者の自己紹介と感話、
祈りの課題など
午後三時の祈り
いつもの日曜日の主日礼拝にオンラインで参加されている方々は、この日に主日礼拝と同じアドレスでこの「祈りの友」集会にオンラインで参加できます。
グーグルミートというオンライン方式がわからない方は、今月号の終わりのところに書いてありますので参考にしてください。
スカイプという方式がなくなったので、徳島聖書キリスト集会では、グーグルミート をオンラインでは用いるようになっています。
オンラインによる集会参加の方法としてスカイプは、大学病院で寝たきりの勝浦良明さんが礼拝に参加できるようにと、いまから15年ほど前から続けていたものです。コロナ流行があり、そのためにオンライン会議、集会が世界的になされるようになり、ZOOM が広く用いられてきましたが、わたし共の徳島聖書キリスト集会では、いろいろ検討の結果、グーグルミートを使うようになり、まったく初めての方々にも、操作方法を丁寧に教える3名の方々によって、その切り換えがなされて、スカイプ以上に使いやすくなっています。
パソコンあるいは、スマホでもグーグルミートが使えます。
パソコン、またスマホでメールアドレスを持っている方なら、こちらの担当者から、インターネットのアドレスを送ります。 そのアドレスをクリックすると、グーグルミートに入れて、すぐに礼拝集会、家庭集会に加わることができますので、下記の主日礼拝、各地の家庭集会、夕拝などに、オンラインで参加希望の方は、左記の吉村まで、電話または、メールで申し出てください。 担当者の方が詳しく説明してくださいます。
とくに、参加する集会が近くにない、あっても体調や足の困難があっていけない…という方々、また寝たきりのような状態の方々でも参加可能です。
