福音 №448   20259

 

来たときよりも美しく

 

生きるってどういうことだろう・・・と考えていると、最近出会ったうれしい言葉、心に迫る言葉が次々と思い浮かびます。

 

「来たときよりも美しく」

Kさんが学生時代に管理人をしていた山荘の標語だそうです。

「『来たときよりもきれいにして出ていきましょう』というものですけれども、この世の中に生を与えられてきた以上、自分の周りを少しでもきれいにして、少しでも良い状況にしてこの世を去りたいと思っております。」(キリスト教独立伝道通信・80号より)

を読んで、これだけで今日を生きる生きがいになるなって、うれしいです。

 

 「昨日より今日は一歩前にあらんことを」

復生病院の図書館でカミュの本に挟まれていたカードに、書かれていたとあります。「ある青春の軌跡」の著者、鈴木智子さんは「それがライ院の片すみで見いだしただけに、人間の魂の尊厳にことさらに触れた思いをしたものだった」と記し、当時、ライ治癒者の社会復帰は殆ど望めない状況の中で、「昨日より今日は一歩前にあらんことを」と記した人との出会いにより、良い戦いを戦い、走るべき道のりを走り尽くすために、新しい一歩を踏み出されたのでした。生きるとは、「昨日より今日は一歩前にあらんことを」と願い続けることかも知れないと思います。

  「日々の私たちの生活がどうどうめぐりのようなもので、常に同じ問題に同じように悩まされ、行く手が阻まれているとするならば、或いはそこに安住してしまっているならば、それは知性の怠惰、感性、霊性の鈍磨であり、「人間はたいしたものではなく、大それたことは望むべくもない」という自然主義者に屈服することである。(古典への招待)

 

そこで思い出すのが、内村鑑三の「後世への最大遺物」です。

「己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ大言壮語することは誰にでもできます。・・・われわれに後世に遺すものは何もなくとも・・・アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。」

 

神は愛であると信じるのだから、否定的な、破壊的な言動はつつしもう。神に愛されていることがまわりの人に伝わるように、ただ喜んでいよう。(この言葉は今の私には大言壮語ですが、そうありたいとの願いはいつかきっとかなえられると信じます。)

「あなたが信じたとおりになるように」マタイ8:13

「あなたがたの信じているとおりになるように」マタイ9:29

「あなたの願いどおりになるように」マタイ15:28

と主イエスが言われるから。

 

「人は望まないものには決してならない。愛ある人になることを望まなければ、決して愛ある人にはならない。ルターのような生を望まなければ、決してルターのような生を送ることはない。『愛から遠ざかれば、すべてから遠ざかるのだ』パスカル」(古典への招待)

 

「愛ある人になることを望まなければ、決して愛ある人にはならない」と知らされ、聖書の語る愛に一心に聴き入ります。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(1コリント13章)

 

「愛」に促されて、久しぶりに阿南慈子さんの「ありがとう、あなたへ」を開きました。何度も読んだのに、最後のページに記されている「愛しています」の詩ははじめての思いがして、人はこのように生き、このように死んでゆくことができるのだと、神の御手の中にあるとは何と幸いなことか、お伝えしたく、ここに写させていただきます。

 

   愛しています

一つ、まわりの人の言いたい事は ごめんなさいごめんなさい

   家族 友達 すべての人に ごめんなさいごめんなさい

二つ、まわりの人に言いたい事は ありがとうありがとう

   家族 友達 すべての人に ありがとうありがとう

三つ、まわりの人に言いたい事は 大好きです大好きです

   家族 友達 すべての人に 大好きです大好きです

この世に命のあるうちに そして

ごめんなさい ありがとう 大好きですのその後に

   心をこめて言いたい事は 愛しています愛しています

   家族 友達 すべての人に 愛しています愛しています

 

日本のキリスト教なんて、到底この世を変える力などないと見くびっていましたが(それは自分のことであり)、内村鑑三が預言した第二の宗教改革について、「第一の場合においては改革の任は独逸に下った。第二の場合においてはそれをわが日本に委ねられることを希う。私たちは手にパウロの書簡を握っているではないか」がすでに始まっていること、命がけで福音の真理を伝えようとされる方が多くおられると知って、神様すご~い、と感動です。