福音 №443 2025年4月
「わたしは主、あなたの神」
玄関のドアを開けば、中庭の桜の花が満開。そして、靴箱の前のカレンダーが3月のままであるのに気づき4月を開けると、スニーカーの足元に咲いた黄色いタンポポと可愛いオオイヌノフグリの花たちのちぎり絵。スニーカーと少し見える青いズボンの上は、どんな子だろう・・・と想像しながら、カレンダーの下に記された4月の聖句にドキッとした。
どうか、私たちに与えられた日の数え方を教え、それがどんなに短いものか、気づかせてください。どうか、正しい日の過ごし方を教えてください。詩編90編12節
このリビングバイブルの聖句に驚いたのは、昨日の水曜聖書集会での感話の時間、ある方が言われた言葉が心に残っていたからだ。
「老年期のなすべきことは、ただ、神を知ること、キリストを知ること」
その言葉を聞いた時、本当にそうだと思った。あと何年生きるか分からない後期高齢者になって、神さまを知ること、キリストを知ること、それよりも大切なことがあるだろうか、どこにもない。心の底からそう思った。
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしには何の楽しみもない」と言うようにならない前に。伝道の書12:1
この聖句と出会ったのは20代の頃だろうか。でも、この聖句は日々新しい。決して過去の言葉にはならない。なぜなら、「あなたの若い日」とは今日なのだから。今の私にとって、一番若い日は今日。私だけでない、どの人にとっても「あなたの若い日」、あなたにとって一番若い日は今日である。
今日、あなたの造り主を心に刻め。
今日、お前の創造主に心を留めよ。
今日、あなたの創造者を覚えよ。
「私には喜びがない」と言うよわいに、近づかないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
ともかく、幼い日から人に誇れることなど何ひとつなかったけれど(子供の頃は忘れものばかりして、いつも廊下に座らされていたから先生の話も聞けず、勉強ができないのも当たり前で・・・)、でも、たった一つ、これだけは良かった、世界一良かったと心から言えるのは、神さまを、イエスさまを知ったこと。聖書を読むことを覚えたこと。
今でも思い出すのは、
はじめて開いた「イザヤ書」を読んでいて、40章を過ぎたあたりから
「わたしは主」、「あなたの神」との宣言に、ええっ!これって、神さまが言われてるんだ、神さまの言葉なんだ、神さまご自身が言われるって凄い!神さまは生きておられるんだって感無量になったこと。
わたしは主、あなたの神。
あなたの右の手を固く取って言う
恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。41:13
わたしは主、これがわたしの名。
わたしは栄光をほかの神に渡さず
わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。42:8
神である方、天を創造し、地を形づくり
造り上げて、固く据えられた方
混沌として創造されたのではなく
人の住む所として形づくられた方
主は、こう言われる。
わたしが主、ほかにはいない。45:18
わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。
なぜ、あなたは恐れるのか
死ぬべき人、草にも等しい人の子を。51:12
このように語られる神、主を、信じないわけにはいかない、
「わたしは主、あなたの神」と呼びかけられて、どんなに注意散漫な私でも、よそ見をすることはできなくなった。
ああ、良かったと心底思う。聖書を読む喜びを知ったこと。
信じるか信じないか、そんなことは二の次である。ともかく、聖書を読んでほしいと思う。せっかく人として生まれてきて、この世がすべて、死んだらおしまい、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ではあまりにももったいない。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。」ルカ9:25と、イエスさまは言われる。
「わたしはあなたの背きを雲のように
罪を霧のように吹きはらった。
わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った」と神さまが言ってくださるから。