いのちの水 2025年 6月号  第772 

この秘儀とはあなた方の内におられるキリスト…。

                                          (コロサイ書1の27より)

 目次

花のイラスト

・火が燃えているか

・初夏のあふれる命

・らい病人の癒し

・ハンセン病の訳語について

・平和は造り出せるか

50年目の年を聖別し

   本間 勝(神奈川)

・新しい心、感覚、景色    対馬秀夫(青森)

・集会案内

 

リストボタン火が燃えているか

 

 …私が来たのは、地上に火を投じるためである。

その火が燃えていたらとどんなに願っていることか。            (ルカ1249

聖書における火、それはいろいろな意味が込められている。

 悪の力を焼き滅ぼす、という意味もしばしば見られる。 イエスの前にあらわれた、洗礼者ヨハネは、「私は、水で洗礼を授けているが、後から来られるキリストは、聖霊と火によって洗礼を授ける」と言った。(マタイ3の11

 人間にとって一番の災い、苦しみは悪の力によるからであり、その力そのものを滅ぼすのは、全能の神でなければできない。

 キリストは、そのような神の力を受けているゆえに、悪の力を滅ぼすことができる存在なのだと言われている。

 また、預言書にはしばしば、神の真実や正義を無視し、弱きものを迫害するような王や支配者ーそれは茨にたとえられているーへの裁きは確実だと言われ、それが次のように言われている。

 

…イスラエルの光である方は火となり、聖なる方は炎となって、一日のうちに茨を焼き尽くす。

          (イザヤ1017

 

しかし、他方では、火は魂に点火されることも記されている。

 復活したキリストがいつのまにか、歩いていた二人の弟子に近づき、ずっと旧約聖書からご自分について書いてあることをずっと話し続けていた。

 そのとき、弟子たちは、後になって語り合った。

 

…道で(復活したキリストが)話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は、燃えていたではないか、と語り合った。(ルカ241332より)

私たちの心も、燃えるときがある。

復活したキリストの語りかけによって弟子たちの心には火が点火されたという。

 これは二千年前の、特殊な出来事ではない。それから二千年、神の言葉が生きて語りかけるとき、誰でも心が燃えはじめる。

 神の言葉は、命であり火のような力を持つからである。

 そして闇に満ちたこの世であっても、闇に輝く光を見つめて歩んでいこうとする力をも与えられる。

 この二千年間、キリストにが今も活きて働いておられることを証して書かれた文などは無数にあるが、それらはそれぞれに、復活していまも目に見えない聖なる霊のかたちで働いておられるキリストによって魂に点火されたゆえの文である。

 イエスは、現代の私たちに対しても、 「あなたの中に、清い火、聖なる火が燃えているか」、という一人一人への問いかけをしておられる。

 イエスは燃えるものをもっていた。 それは神がイエスのうちに点火し、地上に遣わせたのであり、イエスの3年間のさまざまの教えやの行動は、燃える火のような強い力を持ち続けていた。 目に見えない悪の力と絶えず闘い、小さきもの弱き者、苦しむ者のために命を注がれたのも、その内なる火の力によるのであり、それは十字架の死に至るまで燃え続けていた。

 イエスは十字架で処刑されたが、三日目に復活し、神のもとに帰りいよいよ激しく燃え続けることになった。それは永遠の炎となって、全世界に燃え移っていったのである。

 そして私の心にも、半世紀を越える昔、その火の一部が点火され、ときには消えそうになるほど強い風が吹き荒れることもあったが、主によって守られて今日に至っている。

 「まず、神の国と神の義を求めよ」

 とイエスは言われた。 それはそれらをもとめる心がこの地上の世界にあちこちで燃え上がるようにとの、イエスの願いそのものであった。

 一方、人の心にこのような神の火が燃え始めるとき、それを消そうとする力が働くことがしばしばである。  日本においても、80年ほど前までは、聖書的な平和主義を主張したりするだけで、迫害され罰せられた。

  しかし、神からの真実な火は、いかなることがあろうとも、燃え続けていく力を持っているがゆえに、こうした真理に背く考え方は裁かれ、その力を失っていった。 神からの清い火は、悪の力をも滅ぼしていく大いなる力を持っているのである。

 私たちは、魂のうちに、何らかの良きものが燃えていなかったら無気力になり、ついには生きていられなくなるだろう。

 神は愛の神であるゆえに、祈りのとき、み言葉を中心とした集まりのとき、そして日常の仕事のとき、そして病気や悩みの苦しみのときにも、心から求める人の心に、たえず聖なる火を点火し、死に至るまで日々燃やし続けてくださるであろう。

 


リストボタン初夏のあふれる命

 

 6月を迎えて野山はいっそうその命あふれる緑に満ちている。ただ、太陽の光を受けているだけで、地中から水と必要な養分を取り入れ、大気中の二酸化炭素や酸素を用いて、太陽のエネルギーにより、炭素と水素、酸素の化合物たるブドウ糖を造り、それらが数千個〜1万個を越える高分子である澱粉やセルロースという高分子化合物が造られる。そのような自然界にある高分子は現代の科学技術を駆使した大工場でも実現には遠く及ばない。

 そしてさらに、いろいろな炭水化物、タンパク質や脂質なども造られていく。 それが、一枚の葉っぱというきわめて小さな場で驚くべき高速に生成されていることは、奇跡のような出来事である。

 そうした無数の奇跡が至るところの雑草といわれるものから巨木、また美しい高山植物の花に至るまで行なわれている。

 表面の美しさ、生き生きとした緑の世界を見るだけでも創造の業のすばらしさを深く味わえるが、その葉の一枚の内部の複雑多様な化学反応を思い浮かべることで、それらすべての化学反応をも神ご自身が創造された原子や電子等々とそれらを支配する法則によって動かされているのを思い、さらに創造の奇跡が立体的に浮かび上がってくる。

 イエスは、言われた。

「野の花のことを考えて見よ。…栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった、」

         (ルカ1227より)

 「野の花」の繊細かつ、多様な美しさは、人間がいかに高価な衣服、装飾品で着飾ろうともそれらの花の一つにも及ばないーこの言葉は、自然の美はいかに人間が金の力や人間の感覚で美しくしようとしても到底及ばないことを諭された。

 イエスは、自然の奥深さのほんの一例をあげただけだが、自然の美しさの多様性、広大さ、力強さ等々は、海や山々、大空から、地上のあらゆる方面にわたっている。

 それらに対して、人間の作ったものは、無に等しいほど小さい規模でしかない。

 さらに、その清らかさに至っては、人間の造ったものは何か人間的な背景、また意図があり、経済的状況や評価、また健康や生まれつきの才能…等々、さまざまの人間的なものに制約され、清いとはいいがたいものが不可避につきまとう。

 しかし、自然の清いという本質は、花々や樹木の姿、谷川の流れ、大空の青い広大な世界やそこに浮かぶ白い雲、また夕日に輝く金色の雲…等々、いずれをとっても、そうした人間的な何かが全くない清いもので満ちている。

 大都会はこうした神のわざたる自然の広大さ、清さ、高さ、深さといったものからはるかに遠ざかってしまった。

 しかし、近くの公園や野山などに行けば、そうした自然の世界の一端に触れ、そこからその広大さへと心は広がっていくことができる。

海は海岸のわずかな水に触れても、太平洋につながる海に触れたのであるように、小さな自然に触れても、そこから神の無限の御手のわざに触れることにつながる。

 そうした意味においても、私たちを取り巻く到る所で、神のわざなる自然によって、ここも神の国、という味わいを与えられる。

 聖書の言葉も、心を開いて受けようとするとき、私たちの魂に打ち寄せる神の国からの波のようになる。

 

…ここも神の み国なれば

天地み歌を うたいかわし

岩に木々に 空に海に

妙なる 御業ぞ 現れたる

 

ここも神の み国なれば

鳥の音花の香 主をば讃え

朝日、夕日 栄えにはえて

そよ吹く風さえ 神を語る      (讃美歌九〇より)

 


リストボタンらい病人(*)の癒しー神への讃美のために戻ってきた人

 

 聖書には、旧約聖書から現在のらい病と思われる病気のことが記されている。現在では、ハンセン病ともいわれるこの病気はこの世で最も不幸な病気といわれ、また人間が認識した最初の病気であるともいわれる。 すでに前二四〇〇年ころのエジプトのパピルス文書にらい病は記録されており、ペルシアでは前6世紀に知られ、インドや中国の古い文献にも記されているという。

 当時は病原菌のことももちろんわからなかったので、現在のらい病以外の皮膚病も含まれていたと考えられる。

新約聖書のキリストの時代になっても、らい病の人たちの状況の苦しみは非常なものであった。

 そうした恐ろしい苦しみ、それは肉体的にも、精神的にも耐えがたいものであったであろう。らい病以外の皮膚病であれば、そのうちに治って、社会生活に戻ることもできたが、らい病そのものに冒されていた場合には、汚れているとされ、治ることなく次第に病状は進行していく。家族からも社会からも放逐され、体も心も深く傷つき、そのゆえにこの世で最も不幸な病気と言われるほどであったと考えられる。

 そうした恐ろしい闇のなかに放置された人たち、そこにはだれも何の救いの手もさしのべることはできなかった。世間の人たちと交際することすらできず、人のなかに入っていくこともできない状態であったからである。

 そのような極限状態に置かれた人たちに、深い信頼を呼び起こしたお方が、主イエスであった。

それはつぎのような記事によってもうかがうことができる。

 

…イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。

ある村に入ると、らい病(*)を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。

 

*)近年では、日本ではらい病はハンセン病と言われることが多いが、この二つの言葉の問題点などについてはこの文の次の項目に記述した。

 

イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。

そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。

 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。

この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ福音書十七・1119

 

 らい病の人たちは、一般の人々との交際を禁じられていた。人混みのなかに出て行くこともできなかったようである。だからこそ、ここの記事にあるように、「遠くの方に立ち止まったまま」、大声で叫ばねばならなかったのである。

 

…祭司が調べて、確かに発疹が皮膚に広がっているならば、その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。それはらい病である。…

 らい病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者だ。汚れた者だ」と叫ばねばならない。

(旧約聖書・レビ記十三章845節など)

 

 このように、らい病がひどくなると、その苦しみに全身をさいなまれつつ、さらに、家族や周囲からも排斥され、どこにも安住の地はなくなる。そうした絶望的状態にあったにもかかわらず、すでに引用した十人のらい病者たちは、イエスはそのような状況から救い出すことができると確信していた。

 そのような信仰はいったいどこから生じたのか。とても不思議なことである。主イエスのすぐ近くにいて、数々の教えを聞き、その奇跡を目の当たりにしてきた者たちであっても主イエスが絶大な力を持っていることがわからず、主イエスに信頼するどころか、ねたみや悪意を持ちはじめる者も多くいた。

 弟子たちですら主イエスに対して、なかなか絶対の信頼を持つことができなかった。そういう中で、ほとんどだれからも注目されず、その存在すら無視されていたと思われるらい病の人たちがこのように全身でイエスへの信頼を表したのは驚くべきことであった。

 信仰というのは、私たちが求めて与えられると言えるが、他方では本人がまったく思いもよらない場合でも一方的に与えられる場合もある。

 私自身は大学4年のはじめまで、キリスト教には全く関心もなく、求めてもいなかった。

 しかし、神の直接的な導きによって、古書店における一冊の本の立ち読みから突然に信仰が与えられた。その導きの不思議さは、しばしば心によみがえってくる。

 このらい病の人たちは、隔離された生活ゆえに、主イエスがなさっている数々の奇跡も見ることもなく、またその教えを直接に聞いたこともなかったと推察される。 外に出た人からの情報としてイエスという人がなにか、今までとは全く異なるお方で、医者や祭司も治せないらい病をも治す御方だとの確信が与えられた。それは不思議な直感であり、神の霊が働いたのだった。

 それゆえに、人がたくさんいるにもかかわらず、遠くに立って、「声を張り上げて」叫んだのであろう。それまでの苦しみのすべてを、渾身の力をこめて、イエスに向って叫んだ。周囲のものがどう思うか、邪魔者扱いにされるだろうとか、ほかのことはいっさいかえりみないで、ただ主イエスだけを、主イエスが持っていると信じられるその神の力と憐れみに全幅の信頼をおいて叫んだのであった。

 当時は、意外なことに、らい病だとされた人がいやされたかどうか、それは医者でなく、祭司が判断するのであった。しかもほかのいろいろの病気については、祭司がそのような判別をするのではない。

 それほど、らい病というのは、宗教的な病でもあったのがわかる。祭司に見せるために行くとは、癒されたということである。彼らは、イエスが触れることも、手をおいて祈ることもしないのに、癒されるのだろうかと信じがたい思いがあったのではないか。しかし、そうした疑いの念を超えて、彼らは、主イエスの言葉を信じた。

 ほかのいかなる者に対しても持ったことがないような、絶対の信頼をイエスに置いていた。そのゆえに、彼らはそのイエスの言葉の通りに、まだ治ってはいないがともかく、祭司のところへ行こうと歩き始めた。

 治ってないのに、祭司のところに行ってどうなるか、祭司に追い返されるのではないか、なぜ、イエスはまず病気を治した上で祭司のところへ行けと言ってくれなかったのだろうか、などなど、さまざまの思いが生じてきただろう。

 しかし、それら一切の揺れ動く心に、主イエスへの信頼が打ち勝った。

 そしてそのような主イエスへの無条件的な信頼こそが、求められていることであった。

 彼らは、そうした信仰を持って祭司のところに歩いて行った。どれほどの時間を歩いただろうか。主イエスは彼らの信仰を見届けて、彼らは歩いていく途中でその病気を癒された。彼らは、イエスをらい病さえも癒す神のごとき御方だと信じたゆえに、まだ癒されてないがそれでも祭司の所に向って行った。

 そのイエスに対する信仰ゆえに、歩いていく途中で癒されたのだった。

 これは、思いがけない人が、だれも予想できないような導きで、主イエスへの信仰を持つようになるのだということが示されている。 字が読めるかどうかとか学識や、社会的地位、それまでの罪があるかどうか、などそうしたことと一切関わりのない、主イエスへのまっすぐのまなざしがここでは重要なものとされているのがわかる。

 人間が追い詰められたとき、どこにその必死の気持ちを持っていくか、その方向が問われている。

 現在なにも苦しみもない、悠々と暮らしているといった人も、いつそうした追い詰められた状況に陥るか分からない。人間は自分でそれらを自由にはできないのである。そして、私たちの霊の目が清められるほどに、私たちの現状は、いろいろの意味で危険に満ちたものであって、私たちがそれぞれに力を込めて叫び、祈る相手を持っていることが必要なのが分かってくる。

 

信仰による癒しと感謝、賛美

 この聖書の箇所で、もう一つ言われている重要なことがある。それは、彼らは主イエスへの絶対の信頼を持つ者たちであったし、それほどの大きいいやしを受けたにもかかわらず、主イエスのところに戻ってきて、イエスに感謝を捧げたのは、わずかに一人のサマリア人だけであった。

 

…その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を讃美しながら戻ってきた。そしてイエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人であった。

そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。

この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」    (ルカ十七・1519より)

 

彼らは、癒される前には、大声で叫んで主イエスからの助けを求めた。どうか私たちを憐れんで下さい!という必死の叫びであったが、彼らの信仰によって癒された9名の人々はイエスに感謝のために戻ってくることはなかったが、この人だけは他の人たちとは逆にわざわざイエスのもとに戻り、大きな声で感謝したという。

 すべてに見捨てられていたゆえに、イエスに向かって必死の大声で、神からの救いをもとめ、それが与えられたとき、大声で神に感謝する…そうした光景を思い浮かべるとき、何ごとにつけ、全身で主イエスに表すという姿勢が見られる。

 いやしてもらうために叫ぶときは大声であっても、いやされたときは、そのうれしさのあまり何をしようか、どんな仕事ができるだろうか、今まで行けなかったところへ行こう、楽しみがたくさんある…などなどと自分の前途のことで心がいっぱいになってしまうことが多いであろう。

 わざわざ癒されたことを知って、喜びと感謝をもって主イエスのもとに戻ってきて、その感謝を全身で表したのは、ただ一人で、しかもその人は、当時のイスラエルの人たちから見下されていたサマリア人であった。

 神の御心にかなったことは、人々の予想することとしばしば大きく食い違っているということの例である。

かつて、結核で苦しみ、死の恐怖にさいなまれ、家族からも捨てられたような人が多く療養所にいた。そうした困難な状況のもとで、信仰を真剣に求めた人が治って郷里に帰ると音信がない、それで遠いその人のところまで訪ねて行ったら、その人は信仰を全く捨てていた。とても残念であったと、私たちのかつての集会の代表者であった杣友豊市さんからも聞いたことがある。

 ここで、主イエスがとくに言われているのは、神への感謝と讃美ということである。「大声で神を讃美しながら…」とある。神を讃美するということは、神様はすばらしい、とそのなされた働きのことを心から喜ぶことである。それがなかったら讃美などできない。

 そしてそのなされたことが、自分に対してなされたことであれば、神への讃美とともに喜びと感謝の心が伴う。神のなされた働きに無感覚であるほど、神への讃美や感謝は生れないのは当然のことである。

私たちが絶えず霊的に目覚めているならば、神のなされる働きに敏感となり、それが自分と関係のないことでなく、自分に絶えず関わっているということが感じられる。

 使徒パウロが、つぎのようにのべているのは、やはり私たちにはともすれば神への感謝や讃美が乏しくなって逆に不満や不平が多くなりがちであるから、それを戒めているのがわかる。

 

…主において常に喜びなさい。重ねて言う。喜びなさい。

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平安(平和)があなた方の心と考えを主イエスによって守ることになる。(ピリピ 四・47より)

 

 だれでも子供のときから、人からなにかをもらったら「ありがとう」と言いなさいと教えられてきただろう。しかし、それは一種の礼儀として当然のことだと思うだけで、そこに喜びや本当の感謝の心がない場合でも、形式的にそう言うようになることもある。

 感謝や喜びというのは、この聖書の箇所にあるように、長年の苦しい病気から開放をしてもらったというような特別な場合であっても、なお一時的な感情に終わって、その喜びを神に向かって表し、神への感謝を捧げるということに結びつかないことが多い。

 たえず神に向かって感謝し、神を讃美するところに、神からも新しい祝福が注がれる道がある。このらい病の人のいやしの記事においても、いやされた喜びと感謝を神にささげ、イエスにひざまずいてそれを表したのは十人のうちの一人だけであったが、その人に対して主イエスは、「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われた。直接にこうした力づける言葉、励ましの言葉を受けることができたのであった。

 パウロがいろいろの箇所でこのように、感謝をこめて神に祈れといっているのも、そのように神への感謝や讃美をもってするとき、神からも絶えず新たな恵みと祝福が注がれてくるからである。すでに引用したピリピ書で「神の平安」が与えられて心が守られる、ということはそうした一例である。

 ここで記されている十人のらい病が癒された人たちはその後どのような生活に移っていっただろうか。それは記されていないが、受けた恵みを大声で感謝し、神への讃美するために戻ってくる心が継続されるとき、主イエスからも絶えざる恵みが注がれていったと想像できる。 しかし、自分が受けた恵みを神への感謝と讃美にあらわさないでそのままになっていくとき、神との生きた関わりは乏しくなり、上よりの祝福や恵みもまた乏しくなっていくことであろう。

 私たちも日常生活において出逢う、さまざまの出来事をことあるたびに神のわざとして受け止め、神への感謝と讃美のために神のもとに立ち返るようでありたいと思う。

「神を讃美するために帰って来た者は他にいないのか」と主イエスは今も問うておられる。

 


リストボタンらい病(ハンセン病)の訳語について

 (らい病という呼称をハンセン病に変更することは1996年のらい予防法が廃止されたときからであるが、この呼称は不治の病という以前からのイメージを変えるためであった。他方、聖書における日本語訳は、そのハンセン病という呼称も使わない訳となっている。その問題点について述べる。)

 

 新共同訳では「重い皮膚病」と訳され、また新改訳では、原語のまま「ツァラアト」として、日本語に訳していない。また新しく出版された聖書協会共同訳では「規定の病」などという意味不明の言葉をつかっている。(*) このような意味不明の訳語を充てることは、新約聖書において主イエスのらい病の人たちへの愛が読みとれないことになる。

 

*)近年の日本語訳では、岩波書店出版の「新約聖書」では、「らい病」と訳している。

 

 らい病は、戦前は、日本でも絶望的なほどに無視され、触れることも禁じられ、隔離され、いわば限りなく小さきものとされてきたのであった。

 この病を現す原語のツァラアト(ヘブル語)は人にも物にも使われ、治ることもあってそれゆえに、らい病だけでなく、皮膚や物についてある特異な現象が生じたときに用いていたのがレビ記からもうかがえる。

 しかし、そうした病者の中に、本当のらい病(ギリシャ語のlepros)の人たちが相当数含まれていたことがあったのは、当然考えられることであり、それゆえに、ほかの病と異なる厳しい隔離や扱いが生じたのだった。

 しかし、イエスはその全能のゆえに、出会った人の病の本質が後にらい病(らい病)といわれる恐るべき病であることを見抜いたがゆえに、この山上の教えのすぐあとに、その病者との出会いと癒しが記されていると考えられる。

 聖書においてらい病と訳されてきた言葉を、「規定の病」とか「重い皮膚病」、あるいは訳さずに、原語のまま「ツァラアト」などと訳すのは、イエスがその病気がらい病であるということを見抜けないとみなすことにつながる。

 イエスは、サマリアの女と初めて出会っても5人の男との関係があったなどただちに見抜いたことや、罪赦しをなし、歩けなかった人を立ち上がらせ、全盲の目を開き、マグダラのマリアの七つの悪霊を追い出した…等々、すべてを見抜き、かつ癒す神の力を与えられていたのである。

 らい病については、日本でも特別に恐ろしい病気として知られ、らい病と宣告されるのは、この上もない衝撃であったことが、らい病患者の書き残した文でも知られているし、インドやヨーロッパでも特別に差別され隔離される病気であり、中国でも天刑病などと特別に忌み嫌われていたのだった。

 こうしたらい病の深刻さを見抜いていたからこそ、マタイ福音書では、とくに弱き者、小さき者へのイエスの愛のわざ、重要な癒しとして 山上の教えの直後に記されているのである。

 それゆえに、らい病(レプラ lepra leprosy)として歴史的に用いられてきた病名が不治の病というイメージがあり、それを改めるためらい菌を発見したハンセンの功績を讃えるためとしてハンセン病というのは、と、そうした歴史的な重みをもった病名をあいまいにすることになる。

 その病気が、重度となるほどに、手足もマヒ、さらには切断、また失明、外見も著しく変容してしまう等々、ほかの病気とは比較にならない重篤な病であって、人々からの嫌悪、偏見、差別…を受けて家にもおられず、食物の施しを家々をまわって受けつつ、野外を放浪しつつ橋の下や寺社の軒下などで病魔の苦しみや寒さや飢えに喘ぎつつ死んでいかねばならなかった。

 私は幼いときから母親にこの病気のこと、そして遍路となって四国の88カ所めぐりをして家々から食べ物を乞うて行くのだと話しを受けたのを覚えている。

 日本でもそのような恐ろしい状況となるらい病の苦しみは古代のイスラエルにおいても同様であり、その病の実相を見抜いていたゆえに、近づき触れて、癒されたイエスの行動にこそ、深い神の愛が現されている。それはどのような無視された小さきものであっても、神の愛を注ぎだすイエスの愛の具体的なあらわれだった。

 そのゆえにこそ、発見者の記念などでなく、イエスの愛、神の愛をこそ浮かび上がらせ、永遠の記念とすべきなのである。

 なお、私が参照した英訳 40数種のうち、重い皮膚病といった意味のserious skin disease などと訳しているのはわずかで、圧倒的多数の英訳は、らい病と訳されてきた レプラ lepra 、(一部には leprosy) を用いている。 英訳での新しいプロテスタントの訳として広く用いられている New Revised Standard VersionNew International Version なども伝統的な訳語 (leperleprosy) を用いている。

 


リストボタン平和は造り出せるのか

 

ロシアによるウクライナ侵攻後、イスラエルとハマス、その他の戦争の記事が絶えることがない。

 聖書は平和についてどのように記しているのか、それは、神はいかなる啓示を戦争に関して、人々に伝えようとされたのか、「いのちの水」誌でも毎号のように書き続けてきた。

 次の言葉は平和に関する運動に関連してよく引用される個所である。

「平和を造り出す人は、幸いだ。

その人は、神の子と呼ばれるから。」(マタイ5の9)

 

 この言葉は、平和運動など、何らかの社会的な行動を意味すると受けとられることが多い。

しかし、社会的平和とは人々の集団において戦争のない状態である。しかし、その人々、人間の一人一人は、互いに自分中心であり、何かあると裏切り、不信実であり、また弱いものを差別したり踏みにじったりする。

 その対立がひどくなると、武力、暴力を用いることになる。

 そのような罪深い人間の集団がいかにして、平和の根底にあるべき真実や慈しみを持ちうるであろうか。

 これは、世界のどの国をみても、また日本の状態、否、そんな大きな集団でなく、一番身近な兄弟姉妹、また学校や職場の同僚、クラスメートなどをみても、そのような集りが何によっても動かされない真実や愛に満たされていたことがあるだろうか。

 そんなことはあり得ないのは、イエスご自身が選んだ12人の弟子たちに、イエスを金で売り渡す人が含まれていたことでもうかがえる。

 それゆえに、平和を造り出すなど、人間には到底できないことであるし、歴史的に見ても対立や武力による戦いのない民族や国などはありえなかった。

 聖書においても、最初の家族であったカインとアベルの兄弟に関して、カインがねたみゆえに、アベルを撃ち殺したという驚くべき記述がある。

 聖書とはうるわしい立派な教えが書いてある本だと何となく思っていたが、この個所を最初に読んだときの驚きは忘れられない。

 このような目を背けたくなるような記述があえて、アダムとエバの子供たちに生じたということによって、人間の心の奥底にある自分中心の考え、愛なき本質が現され、そのような深い闇からいかにして人間を救いだす道が与えられていくのか、それが聖書の根本問題ともなっている。

 聖書に立ち帰らねば、真正の平和に関するこのことばの意味はわからない。

 そもそも、平和の根源は一人一人の魂のなかに神から与えられた真実や愛があってはじめてその人たちは平安である。

 そしてその人々が他者に与えることができるのは、平和、平安の根源である罪の赦しを受け、また死んだような人々をよみがえらせる力が信仰によって与えられたからである。

 聖書においては、平和という意味と平安という意味を合わせもったシャーロームというヘブル語がもとにある。

 

平和(平安)という言葉について

 平和とか平安という漢字の言葉、本来は中国語であり、中国で現在も用いられている言葉をそのまま受けいれて 日本語としてつかっているのであり、その原意は平和と平安では異なる。

 そして、中国語では、日本で平和という言葉でつかっているのは、和平という言葉である。 平和という言葉は 中国語辞典でも小型のものには掲載されてないほどである。

 それゆえ、中国語では、日本の平和憲法のことは、和平憲法と言うし、世界平和 も、中国語では、世界和平 となる。

 このように、和という文字が先に出るのは、「和をもって貴しとなす」(「論語」学而第一の12)のように古来、和という調和、協調を重んじるところから、であり、「和」すれば、おのずから「平ら」ー争いなく静まるというところから、和平 という語順になっている。

 このように、それぞれの言葉はその表記自体に意味が込められている。

 なお、中国から漢字を受けとる以前の、昔からの日本語(やまとことば)では、平和にあたる言葉は何か。

 それは、「やすらぎ」 とか 「なごみ」といった言葉になる。しかし、「安らぎ憲法」とか 「世界のなごみ」のため、などということは全く言われない。それほど、今も使われている中国語が日本語として深くしみ込んでいるのである。

 

聖書における平和(平安)

 そして聖書における平和は、訳によっては平安と訳される言葉であって、戦争のない状況を意味するのが第一でなく、魂が神からの恵みによって満たされる状態を意味している。

 原語のシャーロームは、「満たす、完成する」という意味のシャーラムの名詞形である。

 このような「神の恵みによって満たされた状態」こそが、聖書における平安や平和の意味となっている。

 それゆえに、新約聖書においては、平和(平安)とは、「キリストの平安(平和)」であり、「主の平和」「主が与える平和」「平和の神」 として用いられている。

 戦争がないという否定的表現ではなく、明確な積極的内容を持っている。

 

聖書での平和

  そのいくつかを聖書から引用する。

〇キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。

         (コロサイ 315

 人間が話し合ったり防御という名の軍備増強で相手を脅しあうという平和でなく、キリストがもっておられた平和、平安こそが私たちの心に深くとどまるようにと言われている。

 

〇十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。

          (コロサイ 120

 ここでは、とくにキリストの十字架で血を流して死なれたことによって、神が平和を造り、それは、神は、万物との和解を与えたというほどに宇宙的な広がりがあるのが言われている。

 このような大いなる業ゆえ、到底人間が「平和を造り出す」などということは考えられないことになる。

 

〇どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケ 316

 

  平和の主だからこそ、あなた方に平和(平安)を与えることができる、ここでも、平和は人間の努力とか思想などでないことが言われている。

 このように、「平和の神」 という表現が繰り返し用いられている。これは、愛の神、真実な神、全能の神…等々という表現にならんで、神の本質を現しているのであって、それゆえに、人間がそれを造り出すなどということはあり得ない。

 

…平和の神が、あなたがたと共にいてくださる。

         (ピリピ書 49

 

…愛と平和の神があなたがたと共にいて下さる。

     (Uコリント1311

 

…どうか、平和の神があなたがた一同と共にいますようにアーメン。

          (ローマ1533

 

…平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕く。

         (ローマ1620

 以上のように、聖書においては、この世での平和運動のような人間の主導によって平和、平安が来るとか、人間が平和を造り出すなどといった考え方は全く見られない。

 繰り返し言われているのは、平和の神、平和の主、キリストの平和、また十字架による平和…等々、一貫して平和、平安とは神のものであり、それを与えられるかどうかこそが重要問題となる。

 それならば、山上の教えの中で、イエスが「平和を実現する人々(*)は幸いなり」(新共同訳)と言われたのはどういう意味であろうか。

 

*)原文は eivrhnopoioj  `エイレーノ ポイオス であり、エイレーネー(平和)と、ポイエオー(作る)からなっており、「平和を作る人々」の意。それゆえ、英訳ではほとんどが ピースメイカー peacemakers と訳されている。

 新共同訳では、「平和を実現する人々」と訳されていたが、その改訂版である聖書協会共同訳では右のような原文に従って、「平和を造る人々」となって、以前の口語訳、「平和をつくり出す人々」とほぼ同じ表現に戻している。

 このように、新共同訳の特異な訳が、口語訳などに見られる以前の表現やそれに近い訳に戻された例はいろいろとある。

 なお、文語訳では「平和ならしめる者」と訳されており、福音伝道によって、一人でもキリストの平和を受けいれる人が生じたなら、確かにその人の魂の内を 平和ならしめたことになる。

 これによっても、新しい訳だからどの個所も常に良いというのではないことが明らかになる。聖書学の進展ということ以外に、翻訳を担当する委員たちの考え方、また日本語表現に関する感覚で訳文も変ってくるのは、しばしば見られる。それゆえ、一つの訳の聖書だけでなく、他の聖書(文語訳もふくめ)また、英訳聖書も参照することがより原語の意味に近づくことが多い。

 

  それは、キリストの平和を伝えることによってこのようなキリストの平和を魂に深く受けとる人が生まれる、 それゆえ、平和の主を伝えた人は、神の力、その祝福によって新たにこの世界に、主の平和を造り出したことになる。

 芸術作品でも、美しいメロディー、力ある音楽や、心に命を与えるような感動をもたらす絵画をつくった人(生み出した人)といえども、その人にそのような能力を与え、インスピレーションを与えたのは、神であり、背後の神が実際の作者なのである。

 福音を信じて、主の平和を知らされた人は、武力、軍事力によって殺し合うような見せかけの平和でなく、本当の平和が魂のなかに造り出されたことになる。

 そしてさらにその人が他者に自分が与えられた主の平和を伝えるようになり、この世にあって、平和を造り出したということになる。

 


リストボタン50年目の年を聖別し…

 心に残る御言葉 本間 勝               (神奈川)

(これは、主日礼拝にオンライン参加のときに話された内容です)

 

「五十年目の年を聖別し、その地のすべての住民に解放を宣言しなさい。それはあなた方のためのヨベルの年である」(レビ記2510

 

(起)幼い時、東京空襲で家を焼かれた私はアメリカへの復讐を誓ったが、学生時代に酒枝義旗教授に出会って対米復讐計画を断念した。空襲の50年後、横浜YMCAで小児科医の広瀬誠医師に出会い、ミャンマーへの医療奉仕に導かれ、新しい生き甲斐を与えられた。

 

(承)ミャンマーの現地パートナーはカレン族のメルビン牧師である。彼のお父さんとお祖父さんは、1943年頃日本兵に殺された。彼は日本への復讐を誓ったが、牧師となり、対日復讐を断念した。日本との和解を願ってアジア学院に留学した折、同伴した助産婦のマリーナ夫人は広瀬医師の病院でインターンをしながら夫君の卒業を待った。

 この縁で広瀬誠医師はメルビン・マリーナ夫妻から自宅に招かれ、広瀬医師を団長とする横浜YMCAミャンマー・モバイルクリニックが1992年から始まった。かの惨劇から四十九年後の事であった。

 

(転)ミャンマーでは、1962年ネウィン将軍による独立後第一回のクーデターでカレン族は政府機関と国軍から追放された。カレン族の大佐でクリスチャンのアウディン大佐はこの時軍籍を剥奪され、以後、毎日ミャンマーの民主化を祈りつつYMCAの指導者として次世代を担う青少年育成に邁進した。

 彼の部下であったキンニョン将軍は2003年首相就任早々、民主化へのロードマップを発表して世界を驚かせた。キンニョン首相は、翌年失脚したが、彼の秘書であったティンセイン将軍が、後に首相となり元上司の志を継いで2011年に民主化を達成した。1962年のクーデターから四十九年後の事であった。

 

(結)2021年2月のクーデター勃発後、毎週金曜日晩にバプテストの牧師が中心となってミャンマーのための祈祷会をZOOMで続けている。一昨日の523日で224回になった。クーデターが終わるまで毎週続ける約束で「いつ終わるのか?」が毎回の話題である。

 しかし神様の歯車はゆっくり廻る。私はアウディン大佐やメルビン牧師の様に、五十年間祈り続ける覚悟が必要であると思う。

 


リストボタン新しいこころ、新しい感覚、新しい景色

        対馬 秀夫(青森)

 (主日礼拝でのオンライン参加で語られた前講です)

 

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

   (2コリ5章17節)

だいぶ前に、主日礼拝である方が「私の場合は音と匂いで風景を感じる」と言われたことが記憶に残っています。風景の受け取り方は、その人その人の置かれた状況によって独自なものとなる、そこに独自な世界がありうるのだ、とあらためて強く気づかされた。

 そして、そこからさらに、この世界を五感を超えて、霊的に見る、感じるということもまた、奇妙なことではなく、確かに有りうることなのだ、と。霊的な感性をもつならば、いつもの生活、その風景が違って見えてくる。

 ヘブライ語のシューブ、方向転換を体験したドイツのキリスト者がその感覚について語っている。「新しい心と新しい感覚を身につけなさい。自己の感覚を回復しなさい。心の転換を霊の過ぎ越しをしなさい。地上の事物を味わっていたあなたがたは、天上の事物を味わうようになりなさい。」そのように書いています。

 方向転換は日々の生活の中に現在する。ルカ17章20節「神の国は見える形では来ない。『ここににある』『あそこにある』と言えるものではない。神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」とイエスは言われた。「野の花、空の鳥をみよ」といわれ、さまざまな譬えで神の国を教えられた。

この神の国は畑の中に隠されていた宝のように、それはある。

ただ神の方に向き変わればよいのだ。人はこの世の価値秩序のなかで他者との競争を強いられる。先頭集団に入らなければと努力する。

 その延々と続く行列の中で、神の国への「呼びかけ」を聞いたならば、立ち止まって、反対方向に向きを変える。そして、信じて、ただ一歩二歩、与えられている現実の中に、負わされている課題の中に、踏み出す。その時、神の力は働き始める。人は神の国へと歩む人々の中に入ることになる。霊性は目覚め、新しいこころと新しい感覚を与えられ、あたらしい景色を見ながら、神の民として歩み始める。


 

リストボタン 集会案内

 

〇 主日礼拝 毎週日曜日 午前1030分から。

徳島市南田宮1丁目の集会所とオンライン併用。

以下、オンラインはグーグルミートを用いています。

 夕拝、天宝堂集会、第四火曜日の北島集会などは対面とオンライン併用。

海陽集会はオンライン集会。参加希望の方は、左記奥付の吉村まで連絡ください。

〇 夕拝…毎月第一、第三火曜日夜730分〜9時(集会所とオンライン)

〇 家庭集会

@ 天宝堂集会…毎月第二金曜日 午後8時〜930

A 北島集会…・戸川宅にて(対面とオンライン併用) 第四火曜日13時〜14時半

・第二月曜日 午後1時〜

B 海陽集会…毎月第二火曜    午前10時〜12

 

  http://pistis.jp (「徳島聖書キリスト集会」で検索)