新しい紀元二千年代を迎えて、人々は何を思っているだろうか。 単に区切りのよい年だということしか考えていない人が大多数であろう。 しかし、キリストによって活かされてきた者にとっては、後ろを振り返ると二千年という長い歳月が、キリストの真理が絶えず世界に伝えられてきた道として続いてきたのが見える。 紀元二千年ということがそのまま、キリストがこの世に遣わされてからの歳月を表している。現在の西暦は、世界の標準的な年の数え方となってきたがそれはそのままキリスト教の考え方が世界の人々の心に浸透してきた歴史を思わせるものがある。 この二千年間には、キリストの表した真理を否定しようとする思想や、自分の力を絶対とする支配者が現れてキリストの真の精神を揺るがせるようなことがつぎつぎと生じてきた。 しかし、それらはある年月が経つと壊れ、消えていった。そして当時持っていた大きい影響力は風に吹きさられるもみ殻のようになっていった。 他方、キリストの伝えた真理、聖書に示された真理はいかなる出来事が生じても消えなかった。過去二千年の間、キリストがこの世にもたらした真理は吹き消されることなく燃え続けてきた。私たちにもその炎は与えられている。 各人が持っているその炎はいかに小さくともそれは、永遠に消えることなき炎の分身なのである。 二千年から始まる新しい時代は、この受け継がれてきた真理の火を消すことなく私たち自身が堅く保ち続け、私たち自身が知らされたこの真理を証ししていくことが期待されている。 この文集もそのキリストの真理の火の輝きの一端を伝えるものだと言えよう。主がこの小さき野の花をも用いて下さることを願ってやまない。 |
私の育った実家の一日は、 朝つとめという神様の参拝から始まりました。早朝なので子供たちはまだ眠っていますが、その子供たちも朝食の前には、 神殿へ神様を拝みに行かねばなりません。子供にとってあまり楽しいことではなく、 手を合わせて何を祈っていたか全然覚えていません。おそらく、 遠足の前日には晴れますようにとか消しゴムを失くした時はみつかりますようにといった程度のことだったでしょう。小さい頃は内容はどうであれ、 親に云われるままに形だけでも手を合わせていましたが、中学生にもなると、 押し付けがましい親の態度にすなおに「はい」 と云えなくなりました。 昔の親は大変厳格でしたので、私の態度は親不孝以外の何者でもなかったようです。しかし組織化された教団の内部のさまざまな矛盾は、多感な年頃の少女の目には腐敗そのものに映ったのです。又不正に目や耳を閉ざすことを信仰だと思っている父母や多くの信者たちも、私には盲信としか思えませんでした。 一方では必死で神様にすがろうとする純粋な人々も大勢いました。神殿でぬかずくひたむきな後ろ姿は、 子供心にも尊く見えました。しかし私の気持ちはどんどん離れていきました。 親の強制する宗教は嫌っても、 子供の時にすり込まれた神様の存在は消えるものではありません。汚れのない世界を希求する気持ちが常にありました。そんな時出会ったのが禅だったのです。 私は茶の湯といけばなを習っていましたので、日本の芸の根底に精神を据え 「道」 として確立させた禅を多少は知っておきたいというのがきっかけでした。ところが、 禅は 「不立文字、 教外別伝」 を揚げていますが、この文字や教義によらないという、 宗旨などに固執しない寛闊なスケールがたちまち私の心を奪いました。形式を必要以上に重視した実家の宗教に幻滅していた私には、禅の気風は清澄な空気を胸いっぱいに吸い込んだようなすがすがしさがありました。とりわけ瞠目させられたのは 「無」 の概念で、そこから生み出され我が国の伝統文化に不可欠な要素となった「わび、 さび」 は、 ジョン・ケージのような天才をも唸らせた特異な美学です。私自身も大変触発され多大な影響を受けてきました。こうして私が禅に傾倒した時代は二十数年も続きました。 ところがある時突然に、 仏教は宗教でなく哲学だという考えが、衝き揚げられたように起きてきました。 今までこの様な考え方は持ったこともなかったので吃驚びっくりしましたが、思わず飛び上がりたい程嬉しさがこみ上げてきました。正に目から鱗が落ちる生々しい体験でした。「今迄、 どうしてこのことに気がつかなかったのかしら?。」その時です。 ほんの一瞬ですが、 目の前に画集などでよく見る十六世紀のイタリアの画家ウェロネーゼの描いた《カナの婚宴》が見えたのです。水がぶどう酒になったという奇跡。 宗教とはこれだと気付かされた貴い瞬間でした。実はこの時まで私は、 聖書の奇跡を単なる逸話のようにしか捉えていませんでした。又宗教も哲学もまぜこぜにしていました。 要するに宗教のことは何も分かっていなかったのです。しかし、 この瞬間から私自身の意識は大きく反転したと思います。 今思い返してみると、 あれは私の心を聖書へと向かわせて下さった神様の御業にちがいありません。神様は彷徨する私の長い道のりの間も、 ずっと埋み火のように火種を絶やすことなく見守って下さったのです。お陰で迷える羊は、 清水の湧き出る命の泉へと導かれました。若い頃から希求し続けた世界に、 ようやく辿りつけました。 「アクオー (開くの意) の会」 の聖書の勉強会は、一九九九年十二月二九日で七七回を数えました。今年は世界中が注目した二○○○年です。 イエス・キリスト様のご降誕から数えたこの歴史的二○○○年を、聖書の世界の中で迎えられたことに心から感謝しています。今年はその意義も重ねて神様のみ言葉をもっと深く聴く、そんな日々を送りたいと願っています。 (いけばな) |
キリストは出会いを与えて下さることを深く感じさせていただいております。 神は必要な友をあちらこちらから与えて下さり、そして私はいつも神の配剤のなかで、生かされ、神が必要なときに必要な友を与えて下さり、毎朝祈りの内に、一日神にゆだねた生活にと変えていただいて日々喜びと感謝と、祈りの時を過ごさせて頂いております。 出会いのなかで、シルバー集会を四月から始めさせて頂いております。毎月八名~十名、五十歳から九十歳の方々といつも和合して楽しく、聖書のお勉強、またもろもろの話などで輝きのときを過ごさせて頂いております。 神の大いなる愛と恵みと光と力を頂き、生かせて頂いています日々を深く感謝いたします。 |
五年間に亘って学んで来たサムエル記がいよいよ終わり近くなった。初めからふり返って見ると、神さまはいかに正しく、強く、愛深く、変わらない大きな岩のようなお方で、私たち人間が心から崇め頼れば、盾とも、砦とも、逃れ場ともなってくださると書かれている。 サムエル記上の初めにハンナと云う信仰深い女性のことが載っている。子供の無い悩みを神にうったえて祈るとその祈りがきかれて、男の子が産まれた。 ハンナはその子をサムエルと名付けた。サムエルは神から与えられた子供だからと、乳離れすると「この子は生涯主にゆだねます」と云って祭司エリのもとにおいて帰ったと書かれている。 初めて授かった乳離れしたばかりの幼子を、手ばなしたハンナの信仰が心に残る。 サムエルも生涯主にゆだねられた人らしく主に仕え、イスラエルの人々からその死を悼まれたと云う。 主が民の求めによりサムエルに命じて油をそそぎ王となったサウルは主に背き、主はダビデを王になさろうとする。 サウルはダビデを殺そうとするが、ダビデは信仰の深い者であったので、主が油をそそいで王となり又自分の主人であるサウルに背かなかった。然し主がサウルを討たれた。ハンナ、サムエル、ダビデの深い信仰を学び神の偉大さを思う。 神の御計画は必ず成就する。そしてサムエル記には人の罪も多く載っていると云うより登場する人物の殆どが罪人である。ダビデも大きな罪を犯した。 自分の家臣であるウリヤの妻バトシェバを奪って、ウリヤを殺しバトシェバを自分の妻とした。 然しダビデは信仰心の厚い者だったので罪を悔い改め神のみ心に立ち帰り、罪から解放され全ての敵から守られて勝利した。サムエル記を学び終えて大きな感激に浸される。 私もハンナやダビデのように素直な信仰を持ち謙虚な者でありたい。にタイトルを入力します。 |
田んぼに囲まれた静かな場所の国府町に、私達、「いのちのさと聖書キリスト集会」があり月二回学んでいます。 私達の集会が他の集会と違うところは知的障害者の人が二人入っているということです。ある時、テレビで県外の人が神様に仕えつつ障害者の人と共に働いているのを見て、私達も障害者自立の為の作業所をしているので見習いたいという事ではじめました。 お忙しい吉村兄のご奉仕のもとで開いています。早いもので今年で三年になります。 当初、先の二人が勉強なんて嫌がらないだろうか、途中から席を立つのではないのかとの懸念がありましたが全くの思い頬いでした。 二人共、牛が大好きということで、牧場で働いています。 二人の障害者のうちのO君は私達の家から通勤でもう一人のE君は住み込みで働いています。お互いの牧場が近い所にあり集会の日の夕方、迎えに行くのはコ-スが同じ場所なので助かっています。 O君は集会が間近になると何度も「集会がある」といってきます。 E君も集会の終わったあとは必ず次の集会をカレンダ-で確かめています。集会をこのように楽しみにしている上、聖書の勉強をしている事を職場の人に伝えています。 O君は仕事の疲れからよく居眠りするけど感話をのべたりするのは毎回欠かしません。 E君は時折、質問をしたりで積極的です。今では二人共司会役も勤め熱心です。 最近、讃美歌のレパ-トリ-も広げて嬉しいことです。 二人共健康と時間に恵まれ出席率も大したもので感謝です。目下メンバ-が少ないことが悩みの種ですが神さまはどんな小さな集まりも祝福して下さいます。 来年こそは一人でも導かれる事を祈っています。 これからも神さまの守りの中、兄弟姉妹に支えられたこの集会が続くよう願っています。 「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい」 (コロサイ二・6) |
この一年は思いがけない出来事がいろいろありました。 特に作業所 「いのちの里」 の件では、 次から次へと問題が起こり、また、 時間との戦いでもあり、 心身共に落ち着く暇がないほどでした。持病の心臓病、気管、 そして高血圧がさらに悪化し、ドクターストップを促されたこともしばしばでした。 そのような中で多くの集会の人々に助け励まされ、そして祈っていただき、 本当にありがとうございました。 常に大きな波、 小さな波が押し寄せ、何度も溺れそうになりましたが、どうにか岸にたどり着いて神が用意してくださった小舟に乗ることができました。新たな船出です。 「あなたの重荷を主にゆだねよ。 主はあなたのことを心配してくださる。」 (詩編 五五・) 今年の四国集会のテーマでもありましたが、この重荷は自分に与えられた試練と受け止め常に神様を信じ、従い歩んで行ければ、 と思います。 (共同作業所) |
今年、 T.Y先生に出会ってから、 私の生活にいろいろな変化がありました。 日曜日に礼拝に行くようになり、 聖書がおもしろくなって、聖書を読むようになりました。 そんな中で、 少しずつ穏やかな心を好む自分になっているなぁと気づき始めました。 今までは、 腹が立つこと、 悔しいことを心の中にためて、棘を自ら作っていたように思います。 でも、 穏やかな心でいたいなぁと思うようになってから、心の棘をなくす努力をしたいと思うようになりました。 私には、 まだ神様の姿も、 光も見えていませんが、心の棘が全部抜けて、 心が綺麗になった時、神様が光を照らしてくださるのではないのかなぁと、最近、ふと、 そんなことを思いながら、 日曜日の礼拝に通っています。 (Oさんは、 脳性マヒで、 重度の障害者です。この原稿も指一つでパソコンに入力して、 インタ-ネットで送られてきたものです。-編者注) |
今まで、 いろいろな失敗を重ね、 少しは間違いをしないようにしたいと、神経質なほど慎重になっていたと思います。しかし、 不思議な導きで、自分だけがどんなに頑張ってもパーフェクトはないと知り、肩の力が抜け、 わからないこと、知らないことを素直に認め、すべてをご存じである神に委ねることから始まる安らぎに満ちあふれた世界 (ときどき、 自分の責任でなくなりますが) を、神様からいただいていると感謝し、 まわりの人々にも感じてもらえるようになれたらと願っています。 起こり来ることは私の魂にとって最もよくなるためのものだと思い、そして偶然というのはなく、すべて起こるべくして起こるのだと考え、なぜ起こる必要があったのか、神様は何を望んでいらっしゃるのかと問い続けながら生きていくことができたらと祈っています。 神様を信じるとは、 そういうことではないかと、今の私は理解しているからです。 先日一九九八年四月号の 「はこ舟」 の 「復活はあるか」の中で、 復活を信じる第一、 第二、第三の言葉が書かれていました。とても晴れ晴れと嬉しく、心の底から信じられるという今という時に巡り会うことができた喜びに感謝し、聖書が伝えてきた心を知らせて下さり、理解できるまで教えていただきましたことを、深く感謝します。 |
S翁とわたしの出会いは、 今から二十八年前であった。職務の都合で小松島市へ転勤が決まり、それまでお世話になっていた神戸・Oの立志館集会ともお別れすることになった。そのとき徳島にSさんという無教会の人がいられることを知った。まだご健在であったY.K先生の奥様から「小松島だったら徳島の杣友さんを訪ねるとよい」と、 教えられた。 小松島勤務は三年間であったが、わたしの住居関係から、小松島のM家の集会に出ることになった。 翁から直接聖書を学ぶ機会は殆どなかったが、何か行事のあるときには、小松島集会のメンバーと共に、 S家の集会所に出掛けていった。 今でもわたしの印象に強く残っている一コマに、翁の紙芝居がある。 お孫さんのお嬢様の結婚で、わたしたちキリスト者を招いての内容であったように思う。弁士は勿論翁であった。 いつものようにニコニコと笑みをたたえながら、よく透る澄んだ声で、ユーモラスな説明を交えながらの語り口は、なかなかのものであった。 「Sさんは伝道の人であった。」 T.S文集の序言にある冒頭の言葉である。人を頼みとせず他の支援を求めず、ひたすら聖書のみ言葉を語り、キリストの福音を宣べ伝える翁の日々は、正しく伝道の人であった。無教会に伝道者と称される人は少なくないが、翁のように足とペンで伝道一筋、生涯をキリストに献げた人は多くない。 わたしは図らずも、 昨今ある伝道の人に親しく接し、その伝道なるものをつぶさに見る機会に恵まれました。伝道とは誠に独立無援、私情を捨てキリストに生きる日々であり、寸暇を惜しんで寝食を顧みず、夜も日もない十字架の道であった。そこにはダブられた翁の在りし日の伝道の姿があった。内村鑑三が唱えた真の無教会主義とは、神の創造し給うた天地を我が家とし、弱き者、病める者、痛める者を探し訪ねて、キリストの福音を伝え、神の救いを知らしめることではなかったか。 今夏四国大会で大阪のO氏は、 無教会は伝道者養成を目的として、複数の高校を創立したが、その期待に反して伝道者の出ないことである。という意味のことを述べられたが、心ある者は一様の思いであったろう。しかし翻って考えるとき、それもまた無理からぬことであった。無教会の数ある伝道の人を見ても、恐らく人から教わり勧められて、伝道者の道を選んだ人も皆無と思う。 杣友翁にして、誰に導かれたものでもない。若き日に生命の尊さを知り、聖書に出会ってキリストを知り、永遠の生命を求めて伝道の人となった。 この世に伝道という生業はない。伝道の人とは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」 (マタイ四-四) ことの証し人であった。 一介の信徒が聖書を読み、神のみ言葉を聞いて伝道を志すなど、それは神の選びと許しがなければ出来ないことであった。神は石ころからでも、アブラハムの子らを造られる方である。今も 「収穫は多いが、働き手は少ない。」 (ルカ九-二七) わたしたちは期待と希望をもって、第二、第三の杣友翁の現れることを願って、キリスト・イエスの父なる神に祈るものである。 |
皆様のお祈りにより、私は一昨年、弟は今年、無事に高校を卒業し、次の目標に向かって、学習やアルバイトなどをしながら、過ごしています。父は先月から仕事を辞め、長年の無理な生活からの体調不良の回復に努めています。ご加祷下さい。 |
五月七日は私の誕生日。この日は第一金曜日で集会の祈祷会の日であり、嫁 (K) の手術日でした。 有り難いことに祈祷会と手術開始時刻が同じで祈りをなしてくださったことを思い感謝しました。 以前と同じ簡単な手術なので十時三○分からすれば正午には部屋に戻れ、見舞ってからI.K兄の告別式に行けると思っていたのに正午近くになっても手術室の方は静まっており戻れる気配がなかったので、これでは、告別式に遅れては困るので、孫 (華純かすみ) は嫁の実家の両親に預け、嫁のことは医師と神様に委ねて、正午に鳴門病院を出ました。 そしてT姉妹の家へ寄り着替えさせてもらい、一緒に行き、参加させてもらえました。間に合ってよかったです。 Iさんとお会いしたことはないし、面識もなかったのですが、「集会だより」 で知り合えた方で、主にある交わりの兄弟を天国へお見送りできて感謝でした。 それから一ケ月過ぎたある日、嫁の体調も普通でない中、息子の勤務が大阪に変えられました。 幸いにして、出向勤務で六ケ月の短期間であるのでよかったです。でも息子が居なくなると、 その分私に荷がかかって、自分だけでも精一杯なのにどうしようかと思い悩みは尽きなかった。「思い悩むな。」 のみことばが思い出され、明日のことまで心配しないで、神様にお任せすればいいのだと自分なりに言い聞かせ悩みは持たず、思わないように気をつかいました。 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい、あなたがたの広い心がすべての人に知られるようにしなさい。主はすぐ近くにおられます。 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和があなたがたの心と考えとをキリスト、イエスによって守るでしょう。 (フィリピの手紙四・4-7) このようにはできなかったと思いますが、慰められたみことばです。 すると私の身体もよくなかったのですが、ずっと支えられ、孫の世話もでき歩みができましたし、 嫁も以前とは違い、入院、 点滴の必要もなく、今度は薬だけで体調を支えられてきました。そして去る十月二十九日、 無事出産でき、 次女を授かりました。Aと名づけました。 家族に加わりましたので、どうぞよろしくお願いいたします。 嫁の出産が一番気がかりであっただけに、無事終わることができた喜びはひとしおです。神様のお守りと、兄弟姉妹の長い間のお祈り、嫁の実家にお世話になったおかげだと感謝でいっぱいです。一九○○年代最後の年に神様のお恵みがいっぱい注がれ嬉しく感謝でした。感謝して、感謝して新しい二○○○年を迎えたい。 |
今年、我が国ではじめての脳死移植が行われた。「はこ舟」 にも脳死移植の問題がとりあげられたが、私の勤務先で実際に脳死体肝移植を受けた方を招いてセミナーを開いた。これについてご紹介したい。 そのセミナーは、関西学院の宗教教育研究会主催で講師は青山学院女子短期大学教授のY.N氏。(一九四七年生) 主著は 「死の淵からの帰還」 (岩波書店)。 N氏はアメリカで脳死体肝移植を受けた。十年目であるが、きわめて元気である。氏は、B型肝炎であり母体からの感染であった。四十二才のときに発病し肝硬変になった。日本の病院では絶望的であった。葬式の準備も自分でやり、讃美歌も選択していた。しかし、高校時代の友人から 「生きよ」、と言われてそちらの方向への望みをもつようになった。命を選べ、命を選べ、という言葉が常につきまとった。それは申命記三○・に書かれている。 神が命を用意し、自由なる人間が選び取るものである。 神は更に命を選べとまで言う。義父の勧めによってアメリカの病院で移植手術を受けることになった。手術後に 「生きてるね、生かされてるね」という言葉が天井を回っていた。それはしばらくすると腹から出て頭に入っていった。それを繰り返していた。 それは肝臓の持ち主と自分との対話であった。強烈な命の泉が湧いてくるのを感じたという。 古い自分はあのときに死に新しい自分がいま生きている。それは Identity の I (私) がなくなって WEdentity、 WE (私たち) となったのである。 命は聖書では Bios (ビオス) であるが、 Zoe (ゾエー) ともいう。ビオスというのは科学でいう命であり、分科した学問としての科学の対象である。学問とは全体を部分ごとに切り取って、 部分ごとに理解していく方法をとる。つまり、 "sci"ssors (ハサミ) で切っていくのが、 "sci"ence (科学) である。 Zoe はそうではなく、トータルな活き活きとした命のことを言う。その講演は、「生 (ビオス) の奴隷からの解放」というタイトルであった。 つまり、彼は活き活きとしたトータルとしての命を喜んでいるようであった。一緒に移植を受けた人もWEdentity を感じたという。 手術を待っている間、 現地の教会で、数年前に脳死移植の臓器提供者となった青年の両親と話をした。彼は弁護士になるように勉強している青年であった。教会で浮浪者の世話をしていた。 その浮浪者の麻薬患者に後ろからアイスピックで頭を刺されて脳死した。その臓器は六○人に移植された。 臓器受領者がどこに住む人であるのかの情報は知らされる。名前までは知らされない。すると彼の両親は、その六○カ所に行くときに、自分の家に行くような気がするという。何故あのような痛ましい死に方をしたのか、それは、 あの息子が、脳死移植が出来るような手段であったからである、と思って納得するという。 死そのものは納得できないが、しかし、息子の善意はあれによって実現したのである、ということで心を慰めることができるという。 経済面についてであるが、アメリカでは移植手術にすべて保険が効く。アメリカは国民皆保険ではないから保険に入っていない人が多い。貧困層についてはMedicaidメデイケイドという制度があり、治療費は無料である。 また、 六○才以上の老人には Medicare メデイケアという制度があり、 これも無料である。問題は六○才以下で貧困でもなく、 かつ、保険に入っていない場合である。ある人の奥さんは肝臓移植が必要になった。保険に入っていなかったので家や土地を売って資金をつくり、移植治療を受けた。 その後、 また、 他の臓器で移植を受ける必要が生じた。しかし、もうカネはない。夫は自己破産を申請し、貧乏人になった。 その結果、Medicaid を受けることができて奥さんは移植治療を受けることができた。 「臓器移植を受けた人の中には臓器に対して違和感がある人がいるようだが、あなたはどうか」 という質問に対し、 「移植を受けた段階で、つまり、自分の肝臓を取り出した段階で、私は死んだのである。新しい命を生きるということは大変なことである。それは一度、死を覚悟していた人が更に生かされたときに、すんなりとは生きられない。臓器移植であるから、違和感があるというのではない。 また、手術を受けて日本に帰ってきたときに、ものすごい誹謗中傷があった。カネで命を買った。そんなことまでして生きたいのか、という電話が数多くかかってきた。これが大変であった。 カウンセリングが必要である」と。 その他印象に残ったところは:命とは自分のものではなく、預かりものである。ならば死を選び取ることはできないのではないか。運命を生の側で採る。 生とは死の額縁の中で存在するのではなく、命の額縁の中に人生という絵画がある。そのなかの適当なところに死がある。ヨハネ福音書の「友の為に命を捨てるほど大きな愛は...」という御言葉は表現上の問題であると思っていたが、今はそうではないと思える。 以下に脳死移植についての私の考えを書く。脳死移植という新しい技術は、将来的には、恐ろしい方向へと発展してしまうのではないかと危惧する人たちがいる。火薬の発明然り、 原子力の発明然りである。おそらく、医学の分野においてもマッサージやら湿布の段階なら将来を危惧しなかったであろうが、化学薬品あるいはメスを用いた外科手術、開頭手術などが初めて実施されたときにはその将来の行き着く先を危惧する人が必ずやいたであろう。これはエデンの園で善悪を知る木の実を食べてしまった人類の宿命であろう。しかし、私自身は、 脳死移植の将来、厳密に言うと、脳死移植に現れた医学の進歩の方向について楽観的である。将来現れる問題は将来の世代がうまく解決してくれるであろう、と。 |
四月の終わり頃、長男からの悲痛な手紙を読み、ふるえる思いがしました。 二人で話しをすると冷静に話を聞くことができないと思い、心の中で神様に訴えながら集会のTさんに相談に行きました。 Tさんに加わってもらって長男からの話しを聞くことにしました。荒れ果てた言葉の中から、ほんの少し残っている心に希望を持って、神様に何もかもゆだね共に祈ってくれました。 人間的な願いは、まちがった道に進んでいくことがありますが、神様にゆだねるとその子の気持ちまで変えて下さいます。みんなの心に平安も与えて下さいました。 子供も自分のした事に対して反省し、今は頑張って働いていますが、この試練によって新しくされ、清らかな心に変えられますようにと願っています。 そして次男の事ですが、待ちに待っていた赤ちゃんも流産し、二人の事を思うと心が痛みます。 子供達には何もしてあげることは出来ませんが祈ることを学びましたので、一日に一回は子供達の事を思い、神様からの祝福をいただく事ができますようにと祈っています。 この一年も、 兄弟姉妹の導きによって守られた事を感謝致します。 私の家での家庭集会も、新しい方との交わりもありこれからも続けて行くことができますように「神様どうか祝福して下さい。」 (美容師) |
主の御名があがめられますように 世も世にある欲も過ぎ去って行きます しかし神の御心を行う人は永遠に生き続けます (ヨハネの手紙2章節) 子たちよ、言葉や口先だけではなく、 行いをもって誠実に愛し合おう。 (ヨハネの手紙3章節) 私は主日礼拝には理由があってなかなか参加できないので北島のTさんの所での礼拝に行っています。 一人でテープを聞いて学ぶより共に讃美し、祈り合うことの大切さを思いました。 心も身体も弱っている時、兄弟姉妹に祈っていただいて力を得ました。ほんとうに感謝です。 死と悪魔に勝たれたイエス様、 今も生きて働いてくださるイエス様を信じている限り、神様はきっといい方法でむずかしい問題も解決して下さることを信じます。祈りこそはサタンを打ち負かす力だと思いました。 (会社員) |
私は今、国立療養所和歌山病院の 「重度心身障害者病棟」で働いています。自ら希望した病棟で働ける事はとても感謝です。毎日障害者の方と関わる事で、教えられたり、考えさせられたりする事が多く、神様に祈る機会が増えました。 三歳から六十歳までの男女の方四十名が入院しておられ、なかでも人工呼吸器などの医療器具を装着していないと生きてゆけない患者さんが十一名おられます。笑顔で私の顔を見られると、私も笑顔にならずにはいられないような素敵な笑顔を見せてくれる方も多くおられ、励まされます。 自分の欲求を訴えられない方が殆どで、何をして欲しいのかを理解して看護しないといけない病棟ですが、毎日患者さんと話をする事が楽しみとなっています。 これからもイエス様と共に歩み、自らのするべき事は何かを尋ねながら生きて行こうと願っています。今後ともどうぞよろしくお願いします。 「そこで、 王は答える。 『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」 (マタイによる福音書二五) (看護婦) |
ハレルヤ、 主の御名を讃美します。 この一年間いろいろ主の恵みがあふれたことでしょう。 つらい試練があった時悲しみしずんでいました。 祈る時 「主よなぜ」 「どうしてこんなことが起こるのでしょうか」と泣いて過ごしました。 神様への思いはますます強まっていき、その時主はなぐさめてくださり、「わたしはあなたを愛している。 希望をもっていきなさい。」と (ヨシュア記一章9) 不思議に主は道をそなえて下さいました。 希望をもっていくことが出来ました。 四国集会に出席にでき、また毎週集会に参加し恵まれてうれしいでした。 クリスマス集会に 「証し」 できるだろうか。あれこれ考え込んだ時 (マルコ・一三) という聖句を信じてゆだねました。 楽しいクリスマス集会が恵まれあと少しで一九九九年が幕を閉じます。 新しい年に向かって伝道にはげみたいと思います。 時は満ち神の国は近づいた、日本のリバイバルをめざしさらに熱くお祈りをしましょうね。 (会社員) |
私はSDA教会に行っておりましたが月刊誌「はこ舟」を通し無教会を知り是非Y兄のお話をお聞きしたく徳島聖書キリスト集会の主日礼拝に参加させて頂きました。その後参加させていただいております。 聖書を学ぶことの大切さ、御言葉の意味その時代の状況、文化の違い等々くわしく話され心にとどめる事が出来ます。感謝です。 内村鑑三の日本的なキリスト教があってもよいのではないか主にあっての私達、主を愛し主を信じ主に従って行くこと ヨハネ福音書章節、 「この世では苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 天地創造のときの 「光あれ」 の御言葉が心に残り又ありままに生きることの大切さを感じました。 |
私にとって、今年一番の出来事は六月のキリスト教四国集会でした。四国集会が徳島で開かれることを知った時から、部分参加でもいいので、できるなら行ってみたいと思っていました。そして思いがけず証しの機会が与えられ、健康にも恵まれて、予定通りの行動がとれました。 今年初めての主日礼拝も守れ、このことは私の信仰生活にとって、有意義な経験となりました。また違う立場の方々との交流の場ともなりました。私のように狭い世界に生きている者にとって、いろいろなところに出かけて行くことは大事なことだと実感したわけです。 その次は、キリスト教霊園に入るのを決めて申し込んだことです。徳大の歯学部病院で、この五月に召天されたK.Iさんとの出会いの中で、Iさんの最期の信仰の堅さを知って、死後のことも自分自身で決めておく必要があると感じたのが動機です。日頃から人間は最期が大切だと思っていましたが、Iさんの苦しみの中にありながらも信仰を強めていく姿を見ていて、それを強く感じました。 今はまだ自分の死をイメージできませんが、いつ御国が来ても大丈夫だといえる信仰がほしいと思います。毎年十一月の第一日曜にキリスト教霊園の記念式が開かれています。私も参加するつもりでいましたが、直前に胆のう炎を起こしてしまい、行けなかったのが残念です。来年を待つことにします。 十月に 「午後三時祈の友会」 にAさんやKさんとともに入会しました。 M.I主幹との出会いがあったし、Yさんからも勧めがあったからです。この会は六十年以上も前に結核を病んでいた人が午後三時を期して祈りを合わせようと発足させた会です。私は幸い?入院しているので、時間だけは豊富に持っています。障害者や病者は何も建設的なことができないといわれがちですが、お祈りは私たちには欠かせないものだし、祈ることだけはできると思います。私はお祈りには慣れていませんが、これをきっかけに祈っていこうと思っています。 去年の三月から始めたつゆ草集会 (Yさんを中心として、徳島聖書キリスト集会員やバプテスト教会員が集まって、毎月第四主日の午後に私の病室で開かれているキリスト集会) も十二月で二十二回を迎えました。使徒行伝を学んでいますが、新しい方の参加もあって、病室が聖霊に満たされています。来たる年も新しい方々の参加を歓迎します。 二千年早々、一月四日 (「野の花」が出る頃には終わっているでしょう。) に胆のうの摘出手術を受けます。 年の初めから健康になって、悩みを抱えながらもいい年になりそうです。今年もよろしくお願いします。 |
今年の全国集会は、「互いに足を洗い合いなさい」と題して十一月二十、二十一日の二日間東京で行われました。 東京で開催される全国集会は講義が多いと思っていましたが、今回の内容は次のようになっていました。 一日目が開会礼拝、聖書講義、発題、発題に対する質疑応答、夕食会、讃美の集い。二日目が聖日礼拝、発題、発題に対する質疑応答、分科会、閉会礼拝とプログラムが工夫されていたと思いました。 讃美の集いでは、水野源三さんの詩の朗読と独唱、全員の讃美、手話讃美と進み、大きな声で讃美ができたと思いました。二日目の発題では、若い人への伝道のあり方、証しなどが聞けよかったと思いました。ただ、一日目の発題と発題に対する質疑応答では、現代の子供のことが話されましたが、「神」とか 「キリスト」 という言葉が出てこず、信仰に裏付けされた話の部分が聞けなかったことを残念に思いました。発題が二日間で六人でしたが、その半分を証として時間をとればよいのではないかと思いました。それから、もう一つ残念に思ったことは、分科会の時間に会場の関係で、二つのグループが同じ部屋になり、互いの声で話がしずらくて、最初にごたごたしたことが影響してか最後まで話し合いに集中出来なかったように感じました。 全国集会の参加は、今回で四回目となりました。四回目にもなると、たくさんの方々が私のことを覚えてくださっていて、親しく声をかけてくださり、神様にある兄弟姉妹を実感しうれしく思いました。誰も知り合いのない会に参加するのとちがい、心落ち着いて参加できてたくさんの恵みをいただきました。 全国集会に参加して毎回思うことは、神様が日本中で働かれていることを感じることです。また、それぞれの方が信仰により熱い思いをもって日常さまざまな働きをされていることを思わされました。 全国集会がこのように今働かれている神様を表す集会にさらになるように祈りたいと思います。 (鍼灸師) |
一九九九年の冬。市民クリスマス一ヶ月前に、ひょんなことから手話讃美に参加することになった。讃美歌を四曲も暗記するだけでも一苦労なのに、その上、手話付きだなんて。 内心大変なことになったぞと思いつつも、覚えられなかったら参加キャンセルしようと結構適当に考えていた。ところが、TさんとKさんのおかげで自分でもびっくりするほど早く覚えることができた。当日は、仕事の都合により参加が危ぶまれたが、それも杞憂に終わり、無事に初参加をかざることができた。 ところで、何気なく始めた手話讃美だが、これを通していろいろな人に会うことができた。それも、今までに私の周りにはいなかった人々、体のどこかに障害を持った人たち (「五体不満足」の作者乙武洋匡的に言えば身体的特徴になるかな)。目、耳、あるいは手や足が不自由なのに、少しも不幸そうじゃないんだな。すっごいパワーを持ってる。 手話讃美に参加するまでの私は、とても不幸な人だった。特に大きな病気もなく、大学に通って実験や臨床をする毎日。他人から見ると何不自由のない日々の中で、もの足りなさを感じていた。「なにかいいことないかな」それが口癖で、悲劇のヒロインほどではないが、不幸ぶっていた。そんな、自称不幸な私に勇気をくれたのは手話讃美が縁で知り合った人々。 二千年初春まであと少し。未来 (あした) のことはわからないけど、今の私には行く手に光が見えるよ。 (歯科医) |
この間の徳島聖書キリスト集会のクリスマス特別集会の録音テープを聞いて、クリスマスの本当の意味がやっと理解できました。 今まではクリスマスと言えば 「きよしこのよる」を聞きながら、ケーキ、プレゼントこれがクリスマスだとずーっと思っていました。しかしいつ頃だったか覚えていませんが、そのことについてなんかヘンだなあって思うようになっていました。 日本人はほとんどの人が仏教徒なのにクリスマスの時だけ、さあークリスマスイブだ、メリークリスマス、メリークリスマスといってお祭り騒ぎをします。 この疑問に思っていたクリスマスがイエス様を礼拝することと、讃美することだとわかりました。 今までの私のクリスマスに対する気持ちが大きく変わったと思います。 (私はKさんの病室に付き添いにくるようになってから九年目になります。 |
この三ケ月ほど、娘の進学のことで不安や心配で、祈ってもなかなか平安が与えられませんでした。それに加えて、仕事も内容はほとんど同じだけれど、別の所、私が一番行きたくないと思っていた所に変わらされて、毎日不満がいっぱいで、神様が最善をなして下さると思いながらも悩んでいました。 十二月六日の市民クリスマスで、講師のF牧師が人間はいつも不安や恐れを持って生きているが、神様は 「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と約束して下さっていると言われました。手話通訳が良くわからなったのですが、私はそう受け取りました。その時の 「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」 と言う御言がずっと心に残っていました。それから、何かある度にその御言を思い出し力づけられ、少しずつ不安や心配も取りのぞいて下さり前に進んで行けるようになりました。 娘も思いがけず、東京の大学に進学が決まりました。出来るだけ家から近い所に行って欲しいと願っていましたが、これも神様のお導きだと受けとめています。東京には私も二十五年ぐらい前に一度行っただけでほとんど何も知らず不安や恐れがありましたが、以前徳島集会に参加されていた姉妹が東京の病院で働かれていますが、十二月二日大学の面接のために娘と二人で東京へ行った折、夜勤明けでほとんど眠っていないのに一日中東京をあちこち案内して下さり、よき交わりが与えられ励まされ感謝でした。不安や心配も少なくなりました。 いろいろな所で必要な助け手を与えて下さることを感謝しています。 これからまだいろいろ準備で大変ですが、神様を信じて、委ねていきたいと思います。 主にある兄弟姉妹の助けと、お祈りに支えられてこの一年も歩むことができました。心から感謝しています。 (会社員) |
今年もみことばを学ぶ時がいくつか与えられて感謝でした。いつでも神様と共にありたいと願いつつも、いつの間にか自分だけで勝手気ままに歩いていってしまうわたしには、少しでも学ぶ機会が必要なのです。 十月からはじまったイザヤ書の学びを通して、あらためて神様の哀れみの深さを感じて感謝しました。イスラエルの背信を嘆きながらもなお、悔い改めを求めてくださる神様。「論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも雪のように白くなることができる。」とまで言われる神様が、わたしには涙を流しておられるような気がしたのです。わたしは、神様は愛であると信じています。でも、日頃の自分には全く愛がありません。これでは 「神様は愛」 とただ口先でいうだけで、なんとむなしいことかとおもいました。 「論じ合おうではないか。」 と言ってくださる神様に、私は顔を向けることをしないで、ひとごとのようにきいていたのです。罪の自覚がないから神様の愛もわからない。本当の愛がわからないから愛せない。 そんな自分を示されて「罪を示してください。悔い改めさせてください。」と祈った時、次々示される罪の数々に落ち込みながらも、ひとつひとつを悔い改めました。でもこれで終わったわけではもちろんありません。「神様、あなたの愛を注いでください。その愛があふれて愛することができますように。」と祈り求めるものです。 わが主イエスよ、ひたすら 祈り求む愛をば まさせたまえ 主を愛する 愛をば、 愛をば (讃美歌三二一番) (大阪狭山聖書集会) |
主日の礼拝で学び始めた詩篇が昨年は夕拝にひきつがれ、今まで守られてきました。 第一篇から毎日くわしく説きあかしてくださるのでとても恵まれています。中でも人の罪と罪の赦しについて学んだことは心に残っています。 いかに幸いなことでしょう。 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。と、始まる三十二篇はよく思い出される詩篇のひとつです。 「私たちの幸いはどこにあるのか。それは信仰によって罪が赦され、義とされるところにある。 我々の間違った行動の背後には罪がある。 しかしその罪が分からない。 神ご自身が我々の目をひらき心をひらいてくださらなければ・・・。 罪が知らされたとき、我々は初めて神の許に逃れることができる。」 (説きあかしを聞いた日のノートより) わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。 (3節) と、 嘆くほどに詩人は人の力ではどうしようもない苦しみの中に置かれていました。しかし、 彼はその苦しみの只中から神に赦しを求めています。ここに至るまで、どれほどの心の闇と葛藤の中で悩みはてたことでしょうか。 遂に詩人は神を仰ぎます。 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。 わたしは言いました。 「主にわたしの背きを告白しよう」 と。 そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいま した。 (5節) 嘆きの中から神を呼び求める彼に、慈しみとまことの主は応えてくださいました。そして 主に信頼する者は慈しみに囲まれる (節) と、詩人は心の平安と喜びに導かれていきます。私はこの箇所を読むと、主に赦された者の静かなやすらぎを感じるのです。 神の無限に大きく深い愛、そのうちで最たるものは、罪の赦し であると、つい近ごろ一〇三篇で学んだところでもありました。 新約の時代に生きる我々は罪は既に解決され、聖霊により導かれる恩恵に浴していますが、主の御計画に適った順序によって私たちは導かれ、罪から救い出された道すじを詩篇は今も静かに語り続けているように思われます。 現実には、数々の試練があり、心もとなく思う日が続いても、従う者に必ず新しい朝を約束してくださる主を感謝し、その主を証しすることができるようにとねがうこの頃です。 |
私は最近、 このニュースを見た。その内容は、どこの放送局も同じような内容になろうかと思うが、それは 「遺伝子食品 (遺伝子を操作する) というより、遺伝子操作技術」そのものを取り上げたようなものだった。 一貫して「操作技術は優れており、懸念される危険性やリスクは克服・回避できる。」との結論を迫るものだった。 原子力問題の時もそうだった。 私は 「宇宙開発技術」 もそうだが、 この 「食」に関しては、特に反対意見を持っている。技術を開発、探求、追求して熟達するのは、それだけを見ると良い事のように思える。しかしこれは条件付きだ。 知っても行って良いか、行うべきでないのかは、一目瞭然のはずなのに・・・。 確かに利点を追求すれば 「悪にさえ」 利点 (言い分) は、あるといえるかも知れない。しかし、ことは「食」に関することだし、私の在住している田舎でさえ、主婦グル-プでも「食」に対する関心は高く、研究グル-プまで発足して勉強しているようだ。 技術だけを追求してきた人類の過去は 「勝利したのか」と私は思う。 その開発もそうだが、その犠牲に関しては、どの分野でも触れられないし隠されるという現実があることも事実だろう。 人が誕生する時にも 「流産や死産、 奇形児や各種の病気、災害など」 を経て、やっと生まれてくる。私が言いたいのは 「この恩恵や犠牲を忘れる方向だ」と感じさせられてならない。 技術が進歩すれば 「奇形児や病気で生まれるのを先に発見して、これを生まれなくする」ということが良いことのように報道されているし、そうしたいのだろうと思う。しかし、これは「食糧不足なので、食料を増やせば足りる」というような簡単な問題ではない。医学が発達して病気の治療方法などが進歩してきた反面、愛が冷えてきたように感じる。 人口が少なければ食料も少なくてすむ、ではなく、いつの時代にも底辺と頂点は変わらなかったのではないでしょうか? 生まれ出ようとした奇形や病気を持った胎児は「堕胎」という方法で切り捨てられます。 今も病院では、どれだけの数の生命が切り捨てられているのでしょうか。しかし、よく考察すると「殺人」という方法をとらなくても「奇形児や重い病気を持ったもの」は、この世ではその「生涯が短い・・・、長くは生きられない」 という、一般に 「非情」 があります。 でもこれは 「神の愛」からすれば出る 「答え」 だと思います。 私達には、それだけの大きく、高い「愛」がない。 それだけ「愛していない」という現実を知らされます。 遺伝子操作によって、害虫と称するものが「死ぬ」ならその食べ物は「生命にとって毒」のはずです。それを長い目で見るとか、解決策も発見できるという意見は、私は 「おかしい、間違っている」 と思います。 その種族によっては何らかの有害性が発現する時期はまちまちでしょうが必ずなにか人間にとって不都合なことが起こるのではないかと思います。 私は、人間が神の創造した自然の姿にこのように逆らうということは考えられないと思うことがしばしばです。私は神からの救いや赦しを、知らず知らずの内に裁きへと変質させてはいるのではないかと思わされる。 私たちは 「五千人のパンの奇跡」 (マタイ十四・-)の神の御心、また「人はパンだけで生きるのではない。 神から出る一つ一つのことばによって生きるのである。」 (マタイ四・) などを覚えることが、 混乱にある時こそ更に必要ではないか (必要になってしまった) と思わされる。 これも (マタイ十四・) より前項の参照すると「神の恵み・憐れみ」の深さ、高さを知らされる。やはり「神の御心=神が与えた使命 (業) をいかに実行するか、又、神に代わって高慢になるか、神の愛を受けて「神を愛するか」 という二者択一になるのかとも思える。こう思うと神は私達から一つ一つ大切なものを奪うかのように思わされるが、うではなく私達が苦しむならそれより先に既に神も苦しまれたし、これからも一つ一つ救いの道を示し続けて下さるのだと思われる。 (鍼灸師) |
僕は中学三年生です。十二月十七日に郷土文化会館でクリスマス集会が行われその集会に出席しました。お話が終わるころ、僕の目から涙が止まりませんでした。 そのわけはお話の中で語られた言葉、「恐れるな。今日ダビデの町であなた方の為に救い主がお生まれになった。この方こそ主イエス・キリストである。」クリスマスの話でしたが、この言葉の本当の意味が分かったのです。 「僕の為にイエス様が生まれてくださった。そして僕の罪を背負って十字架で死なれ、神の国で僕を守って下さっている。なんてすばらしい事なんだ」僕は感動しました。これからは罪を悔い改め、イエス様と共に歩んで行こうと思い、僕とイエス様とをつなぐ物として聖書を読もうと決心しました。 僕はクリスチャンホームに生まれました。集会に行く事が嫌な時もあり、親に反発した時もありました。僕の名前もMと書いて 「M」 と読みますが、この名もヘンだと思っていましたが、これもいい名前だなと改めて思いました。 今年のクリスマスは僕にとって最高のクリスマスとなりました。 (中学三年) |
二年近くかけて礼拝で 「マルコによる福音書」を学んだ。 多くのみ言葉が、その都度心にあったが、特に心に残っているのは 「裂けた」 ということばだ。マルコ一の、「天が裂けて霊が鳩のように降った。」マルコ十五の「神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた。」どちらもとても重要な出来事として書かれている。 一の 「天が裂けた」 では、それまで誰にも注がれなかった聖霊が、イエス様が地上に来られ、天が裂け、はじめて秘められていた聖霊が注がれたという。そして新しい時代になった。 また十五の「神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた」は、十字架のイエス様の敗北に見える叫びの後おこった。だが勝利だったのである。それまでは、聖なる神のおられる神殿に汚れた人間は近づけなかったのに、イエス様は私達の罪をすべて負って死んで下さった。「幕が裂けた」 とは隔ての罪と汚れが全くないもののように清められ、誰でもがイエス様に近づくことができるようになった。 この新しい世界にただ信じる信仰だけで入ることができる。 聖歌四〇一の中に 「み手とみ足のみか、 心も裂けて君は死にたまえり、我らのため」 ...この歌詞は私の心にとても残っていたが悲しみがあった。ここまでイエス様を傷だらけにした自分の罪に心が痛んだ。「こころがはり裂ける」 という言い方がある。 裂けた傷を今までに見ていたが、その傷口から永遠の命に至る道が開かれていることを知ることができるようになった。 (はり治療) |
ルツ記は聖書を初めて読む人でも、その内容は表面的には解りやすいが、でもその奥は深い内容が秘められている。 夫と二人の息子に先立たれたナオミは生まれ故郷へ帰る。頼る人はいないし、帰っても希望もなく暗い前途絶望の状態。 「出て行くときは、満たされていたわたしを主はうつろにして帰らせたのです。 ... 全能者がわたしを不幸に落とされた。」 (一) とあるように、何もかも失って希望もなく絶望の状態から始まっている。神様を信じていても、絶望に陥る不幸な事は起こる。前途絶望の状態になることが起こる。 ナオミの信仰はとても篤いものであった。息子の嫁にもその影響は大きなものを与えていた。 「わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになるところで泊まります。 あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。 あなたの亡くなる所でわたしも死に そこに葬られたいのです。」 (一・-) この言葉がルツから出たのも、ナオミの信仰をルツは見ていたからだと思う。夫は死んだけれどルツも何の希望もないが見知らぬ所へ、姑と背後で働かれる神様に従っていった。 安易な道を選ぶ事も出来た。でもルツはそうはしなかった。 とても勇気のいる事だ。またルツは全く知らない土地へ来て働きに行く。夫もいないよそ者のルツには勇気がなければ出来ない事だったと思われる。神様を信じて一歩踏みだす勇気、そこに神様は働かれ、ルツは祝福へと変えられている。手をこまねいていたり、人の思惑等に心を向けていたのでは、神様の祝福から離れて行くだけである。 「あなたの神はわたしの神」 と神を信じて歩んで行ったルツは心優しい娘だったのか、気性のはげしい、しっかりした娘であったかはどこにも書かれてはいない。ルツが信仰による勇気をもって歩んだことによって祝福され、その系図の中にダビデが出てまたそこからイエス・キリストに繋がっていくという祝福を受けた。この上ない祝福を受けたルツのような歩みが出来なくても、それに近づきたい。 |
映画ジャンヌ・ダルクを観た。 時は百年戦争下の一四二五年。フランス・ロレーヌ地方の長閑かな農村では、十三才の少女ジャンヌは暇さえあれば教会の告解室に入り浸りである。神父は現状に満ち足りた少女が何故毎日のように教会へ足繁くやってくるのか計りかねている様子である。 少女は、 花畑を駆けめぐり草の群れと嬉嬉として戯れながらも、突然にそして反復して〈天上の声〉に出遭い聞き入ることになる。 突然、 「アクーオー」 (「聞く」 の意) というギリシャ語が私の頭をかすめた。これはルカ福音書のなかで、マリアが主の足もとに座ってその話しを聞き入っていた箇所に使われている言葉であった。 ジャンヌは以後一四三一年十九才でルーアンの広場で火刑されるまで絶えず聞き入ることになるわけである。 帰宅してノートを開くとジャンヌもマザー・テレサも繰り返し繰り返し聞こえてきた声であるとあった。そしてテレサは夜行列車のなかで神の声を聞き即安穏なカトリック学校での生活を切り上げ躊躇なく新しい仕事に就いたとある。 通常、 私たちの常識社会では重大な方向転換時には、熟慮に熟慮を重ねた上での前向きの結論というのが受け入れられ易く評価されるものである。 前述のテレサの行動は、 むしろ極めて軽率ともいえるいい加減の直感的な、しかも受け身の態度での結論であって、まったく説得力を欠いたものではないかと。 このとき私の内心は衝撃を受けた。 これまで私が呼吸してきた職場・社会風土では過去の経験集積、周囲の動向、良心といったものに根拠を置いて判断するのが常識とされていたからである。そしてこの判断に至る過程では、 否応なく社会的慣習、時代状況、 権力、思想関係などの影響を受けざるを得なくなり当然その結論は既定路線の延長線上から逃れることは出来ないからである。 つまり、 人間と人間との水平的関係のなかでしかドラマを観ていなかったことになる。 これは衝撃的であったが大きな覚醒でもあった。すなわち神と直接的につながる垂直的関係があることに気付かされたからである。 このことを織ってから、 聖書の勉強に一段と関心が深まったことは事実である。そしてクエーカー教徒には、徹底的に何時間でも聞きつづける態度があることを知らされ宜なるかなと納得もできた。このクエーカー教徒の態度からは、絶えず囁くような微動の呼びかけを心の深奥で感じとる受動的な態度が厳然としてあることを織らされたときは、一瞬慄然とした。 これは水平的関係では感知もできない世界である。 私たちアクーオーの会は吉村さんから聖書の講義を中心に一昨年の五月にスタートしてから昨年末で七十七回の内実ある集会をもつことができました。この間、私たちの世界が大きく拡がりそして深まったことに感謝を申し上げます。 再び映画ジャンヌ・ダルクに還ります。 いよいよ最終場面です。ジャンヌが異端尋問にかけられ脅迫や誘導尋問がつづき最後に命と交換条件に改しゅんの宣誓書を書かされますが、ジャンヌは戦きながらも天上の声との対談をつづけて最後にその宣誓書を破り自らの運命を自ら決めます。火焔がジャンヌを美しく包みながら終幕となります。 政治と宗教の狭間で翻弄された少女の物語であるが堂々とした映画である。 |
一九九九年十月三十日 (土) と三十一日 (日) に京都へ行きました。 なぜ、 京都へ行ったのかというと、そこで、 十月二十六日 (火) から三十一日まで二千年フェスタがあり、参加してみないかとTさんたちの誘いを受けて、初めて参加したのです。 そこには、 イエス様を信じている人や信じていない人や、病んでいる人や、障害者などたくさん集まっていたことと、ドイツ出身の伝道者の説教が迫力があったことにとても驚きました。 どこかの教会に行っている手話通訳者が約十人くらい集まって私たちのために一生懸命に通訳して下さったおかげで、ラインホルト・ボンケという名でドイツ出身の伝道者がアフリカへ宣教したときに経験した話やレーナ・マリアの素晴らしい歌声などを聞くことができました。また、多く集まってきた人々たちと一緒に、いろいろな讃美歌を歌ったり、 祈ったり、話を聞いたりしていく内にまるで、京都に神様の手が差し伸べられて聖霊が注がれ、心が平安に満たされ いくようでした。 それは、神様の計らいによって行って下さったので、素晴らしい恵みを感謝してハレルヤ!と大声でほめたたえながら、本当に参加してよかったと思いました。 (会社員) |
田宮の集会場に、聖曰には決まって机の上に、小さな丈の野の花が数本活けられています。本当に目立たないものなのですが、その名前については、T兄が教えてくださいます。何時ごろから、集会場にその姿が見える様になったのか、私の記憶ではさだかでは無いのですが、ずっと以前からでは無かった様にも思います。今では、それは、とても新鮮で慰められる事が多い様に思っています。 活けられる方は、季節毎の野の花の心を、そっと、兄弟姉妹に届けようとのお心だと思いますと感謝です。 「花」 といえば、玄関に飾るもの、贈りものにするもの、慶弔の儀式に用いるもの...すべて、競うように、大きな花束を用意するものと思われますが、これも、人の愛情の表現でもありますし、色鮮やかで、大きく形美しい花程、見る人の感動も大きいのは事実ではあります。 イエス様のみことばに、 「野の花がどうして育っているか考えてみるがよい。働きも紡ぎもしない。 しかし、栄華を極めた時のソロモンでさえも、この花の一つほども着飾っていなかった。 きょう生えていて、 明日は炉に投げ入れられる野の花でさえ、神はこの様に装ってくださるのだから、それ以上、よくしてくださらない筈は無い、信仰のうすい者よ、あすの事は、思いわずらうな。」 と、 ありますが私は野の花が、ソロモンの栄華よりも美しいと思った事は無かった様な気がします。でも、創造主が、野の花に、これ程、深い愛情を示していられる事実は知らねばなりません。 私達の文集は、 「野の花」 というのですが、改めていい文集だな、と思っているのです。理屈っぽくなりますが、野の花は、巧まずして、よく見れば美しく、誇らず、 素直で忍耐強く、しかも、すべてをあるがままに受け入れて生えているのだナー。と、感じます。 でも、この、あわただしい世の中で、この小さい草花に、感動をもって接する時は、特別の環境の中か、心境に変化を来たした時以外は無いのではないかと思ったりもします。 私は、昨年の十一月から年末にかけて、急に、すごく体調を崩しました。それは、他人には説明する事が出来にくい、医者にも理解して貰えなかった様です。心身の不安定、不眠、血圧の上昇等、その断続的な病状は、家族にも理解してもらえないものでした。 老化、という時を迎えたという自意もありましたが、それは、同じ経験をした者でなければ理解は困難です。 「明日の事は思いわずらうな。」 とのみことばが頭をよぎる時、わが罪の意識さえ加わって恐れさえ思いの中に入りこみました。 ただ、 この弱さの時、 自分と同じ立場にある人の上を思う時、限りなくやさしくなれる様に思いました。 また、この、弱さを理解して呉れる慰めは、心に平安を与えて呉れました。 どんな人でも、もうひとりの自分を、心の奥底にかくしているのでは無いかと思う時があります。どんな人でも、外面の世界に見せている自分のほかに、もうひとりの自分を持っているのでは無いでしょうか。 パウロのローマ人への手紙の中に、 「私自身は、 心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えている。 この死のからだから、だれが、 わたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主、イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」と、述べられています。 人間は、 神様との係わりの中においてのみ生存が可能である事を思わされます。 星野富弘さんのカレンダーに 「ただ、 ひとつのために生える。 ただひとつのために枯れて行く。 そんな風に生えても、 おまえは、 誰も傷つけ無かった。 」 と、 野の花に語りかけています。 それは、その人の置かれた環境や、その時の心境の中から生まれたものでありましょうが、「愛」 とは何であるかと思う事が出来る様な気になります。 「従順に、 平静に、 おのれの十字架を負う。若者が、 元気いっぱいで神の道を歩むを見てもねたまず、 人のために働くよりも、 謙虚に人の世話になり、 弱っても、 人のために役立たずとも柔和であり。 愛する人すべての上に神の恵みを求め、 すべてをなし終えた時、 神の声を聞くだろう。 わが友よ、 われ汝を見捨てじと。」 (ホルマンホイヴェルスの詩の一部より) 野の花が、 自分の名前を人に知られず、 創造主から与えられた分だけ守り、不平を云わず、 耐えて生えているという事を、改めて深く認識させられたのは、私の心身が、ひどく弱っていた時であったのでした。 |
私がイエス様のことを知ったのは、 ある店に勤めてからです。その店のご夫婦は、 クリスチャンでした。 その時の私はある偶像を崇拝していました。だから、 素直にイエス様のことを信じることができませんでした。でも、こんな私にご夫婦は一生懸命にイエス様のみ言葉を教えて下さいました。そんなことがあって十年あまり経ちましたが、イエス様のことを教えて下さった ご夫婦には本当に感謝しています。 もし、 この方達に出会えなかったら、 私はいつまでも、希望のない人生を送っていたかも知れないのです。 イエス様にふれあう喜びを知り、 信仰に目覚めるには、時間がかかりましたが、こんなだめな人間である私でもイエス様は両手を広げて愛して下さっているのだとわかってから、少しずつですが、 希望にあふれた日が多くなってきています。 今は結婚して店は辞めました。 でもキリスト集会に参加してもっともっとイエス様のみ言葉が聞きたいです。 今年から始まる二千年も、 一人でも多くの人たちがイエス様の愛にふれますようにとお祈りしたいです。 |
今年印象に残ったことは、 ある患者さんとの出会いです。 その方はクリスチャンでしたが、 容体が悪く、お腹に水が溜まり、 毎日苦しい状態が続いていました。 はじめは、 医療的な話をして励ましていましたが、利尿剤も効かなくなり、看護婦として症状を改善するすべがもうありませんでした。いつも言葉で励ますことしか出来ず何も出来ないことが辛かったです。もう何も手だてがないということを知られたくなくて、いつもだったら、 適当に言葉を選んで励ましていました。 でも、 その時は何となく逃げたくありませんでした。夜勤で部屋に伺ったとき、 「私もクリスチャンなんです。」と、 話してみると、それから信仰的な話も出来るようになりました。彼女は裕福な家庭の方でしたが、 仕事が忙しくて教会に思うように行けず、辛かったと話されました。 牧師さんも御見舞いに来てくださっていて、それが彼女の支えになっているようでした。段々容体が悪くなっていったとき、「お祈りをさせていただいていいでしょうか。」と聞いてみました。 容体が悪いので、 今まで言えなかったのです。「是非お願い。」 と言ってくださったので、二人でお祈りをしました。 患者さんとお祈りをするのは、初めてのことでした。 容体が変わらないことを神様に御委ねして、看護婦として出来ることを示してくださいとお願いしました。患者さんも、 気持ちが落ち着いたと言ってくださり、それから準夜勤のときは、 一番後にゆっくりと時間を作り訪問して、話をした後、最後にお祈りをすることができました。 容体は悪化の一方でしたが、 二人で神様に委ねるということがお互いの負担も軽くしていったのかもしれません。夏の全国集会で学んだ、「互いの重荷を担い合う」ということも関係あるかもしれないと思います。 嬉しかったのは、 お祈りのとき、 患者さんが私のことを神様に「新しい友達」 と言ってくださったことです。年齢も、 立場も超えて、静かな絆みたいなものがありました。ある日、 深夜勤務で朝、 彼女の部屋へ行きました。もう末期で深い眠りの状態に入り、静かな息をしておられました。私が部屋へ入ったことも気付かない風でした。検温をして、 朝の処置を行いました。 部屋を出るとき、 もう意識のほとんどないことが寂しくて、じっとお顔を見ていました。 私は一人で祈ってみようと思って、ベッドサイドにいつものようにひざまずくと、「天のお父様」 と静かに言ってみました。 すると、意識がないと思っていた彼女が、 手を動かし、いつものように手を組まれたのです。 驚いて、 感動して、 そのままお祈りをしました。彼女からは一言も言葉はなかったのですが、神様を求めておられる気持ちが、強く伝わってきました。翌日、 ご家族や牧師さんに見守られ、 患者さんは静かに息を引き取られました。 普段は、 一人一人の患者さんにここまで接することは出来ていません。何年かに一回、 こうして神様が信仰的な出会いを下さるのです。 (看護婦) |
いま、 風邪をひいています ああ苦しい ああ疲れた 神様、 時間を下さい いま、 とても忙しいのです ああ苦しい ああ疲れた 神様、 時間を下さい 神様はどこ? 迷い子になりました 少し休みましょう 神様が下さった時間を使って |
「自分で重荷を軽くすることはできない」・・・ 「自分の重荷を自分ひとりで担っていると思うのは人間の傲慢さだ」・・・NTTプラザの小さな庭の小さな池のそばに、ひとり座って呟きました。 初めて参加した四国集会の二日間、この庭は私のお気に入りの場所でした。 久しぶりの盛りだくさんなお勉強で、消化不良を起こしそうで、時々庭に行っては独り言を言っていました。黙想と言ってはあまりに格好良すぎるかもしれませんが、つまりは復習、「神様が軽くしてくださる。重荷を神様が軽くして下さる。 その人の為に祈るだけで、イエス様がその人の中で働いてその重荷を軽くして下さる。」 もう一人、 この庭が大好きな人がいました。最年少の参加者、 五歳のAちゃんです。 彼女がピョンピョン跳ねるようにやって来ると、空気が注ぎたてのジンジャ-エ-ルみたいにパチパチ音がするようで、とってもさわやかな気分でした。 「これ食べるかなあ」 と呟きながら、 水の中の鯉に花びらを一枚一枚落としている、Aちゃんの無心な表情を見ながら思いました。「子供のように・・・」何の憂いもなくお母さんを信頼する子供のように、この建物のどこかにおられるお母さんを信頼し、姿が見えなくても安心して、楽しそうに過ごしている天真爛漫なAちゃんのように、見えないけれど居て下さるイエス様を信頼し、すべてを委ね重荷を降ろせば良いのに、何故出来なかったのだろう。イエス様は一人一人にふさわしい導き方をして下さる。私のように取るに足らない者をも覚えてくださる。他者の重荷を負うことの難しさに悩み、心が重くなっていた時、ここに来るように言って下さった。 この人たちがどのように重荷を担い合っているかを自分の目で見なさいと言われた。 最後に池の所に行った時は、Aちゃんは既に大阪へ向かった後で、空気はパチパチ言っておらず、昼食後のカッと照りつける太陽の下でやっぱり私は独り言を言いました。 私は見ました。 人々がどのように重荷を担い合っているかをここで見ました。聴覚障害の方々には、どんな小さな事をも逐一手話通訳がなされていました。讃美が始まった時、快い響きでしばし歌うのを忘れていました。前部座席に座っていた人たちが一斉に手話で讃美を始められたからです。「感動」という言葉で片づけるには余りに美しく力強く同時に畏敬の念さえ湧き上がってくるのを感じました。彼等の手の動き、通訳の人たちの手の動きを見ながら私も手を動かし始めました。ただ文字を目で追って歌うより、 はるかに詩の内容を心に留める事ができると思いながら。 視覚障害や肢体障害の人たちには常にぴたっと誰かが付き添っておられました。講義の時、 部屋を移動するとき、 食事の時、自由時間の時、常に同じ人が腕を組んだり、車椅子に寄り添ったりしておられました。 一方障害を持った人達が自分の重荷を重荷とも思わない様子で自信に満ちた態度で証しをしたり、独唱をしたり、 讃美をリ-ドしたり、伴奏をしたり賜物をフルに用いておられる姿は私にはとても眩しく、それに大きな力を与えられたのは私一人でしょうか? 私は考え込みました。 私は人生の半ばを過ぎた今に至るまでただの一度だって自信を持って物事に臨んだ事があるだろうか。 神様からお借りしているものを神様のために用いたことがあるだろうか。 いろんな人達との出会いも、得がたい経験でした。深い交わりを持つに十分な時間はありませんでしたが、自由時間に三三五五集まっての談笑の光景を見て遠い昔こんな場面を見たことがあると思いました。 もう霞がかかっていますがリュックをかついでユ-スホステルを泊まり歩いていた頃のこと、でも大きく違っているのは、魂の深い所でつながって居るという喜び、安心感、 信頼感に支えられた主にある交わりの心安さです。伝道の重要性をよく耳にしますが、「私みたいな者が」という思いと 「日曜日ごとに礼拝に行くだけで十分」という思いに支配されていました。 初めてこのような集いに身を置いてみて、「互いに重荷を担い合うということ」 は 「互いに愛し合うこと」と同じなんだよって事を知る人が増えれば、社会全体がこのようになるってことだ、 なるほど伝道は重要だと納得したのです。 人々とも庭とも名残を惜しむ時間はありませんでした。「互いに重荷を担い合いなさい。 そうすればキリストの律法を全うするのです。」という一つのみ言葉を二日がかりでしっかりと心に刻み、沢山の恵みと力をいただいて心も軽く車に乗り込み言いました。「来て良かった!イエス様ありがとうございました。」 |
私は、 新しく発刊された、 「讃美歌」 を通して、今までわからなかった意味を、 ようやく知ることができました。改めて、以前の讃美歌とを読み比べてみると、内容も充実しており、 手話通訳にも便利だということがわかりました。今まで、 意味不明なまま、どのようなことを言っているのだろうと、思うばかりでした。 これに対し、 「讃美歌」では、 内容がだれにでもわかるものだけでなく、問題のある部分が、すべて書き換えられていたことにありました。 私は、 この新しい讃美歌において、 だれにでもわかりやすい内容でなくてはならないということを、学ぶことができました。 これからも、多くの讃美歌に触れ、研究を重ねていきたいと思います。 |
今年もいろんな事がありました。 私の上だけでなく世界中の人の上に。私の事など小さな出来事、 でも、 小さな出来事で、恨んだり、 傷つけたり、憎み合ったり自身兄弟姉妹がそれを分かった時、義父の死の折、 もう数十年も足を踏み入れてない家に、入る勇気がなかった時、義父の死にかかわっての、いろんな事の中で、 キリストしょんだろうと、それでもキリストか、 と、短い間に三度も言われました。「どうしてキリストしてるからって何もかも正しく出来なければいけないのか、なぜそこまで自分をなくして、しなければいけないのか。」という思いが心の中に湧き起こりました。 無信仰な人達の勝手、すぐ足元を見ることを感じました。 でも、義父の死去によって、すべてには時がある、 ことを深く知ることが出来ました。十数年の時を経、 囲りは年老いた人達に変わり、家も大きかった、 でも小さく古くなり心のかどもとれ、憎しみが薄らいでゆきました。 いろんな思いを、重ねるたび優しくなれる。 いろんな事があるたび、心が乱れ信仰から離れてしまうと思うのに、なぜか離れず、どんな事があっても離れさせてくれない。どこからかなぐさめ励まし優しい風が吹いて来る。心にしみる。 知らない間に聖書を見て祈って、御言葉を一つ深く身を持って教えられる。 今やっと、少しイエス様の十字架が分かりかけて来たような。でも宝はどこにあるのか、 大いに情けなく思う。時はありがたく休ませ、人の心をいやしてくれる、自分があった苦しみ悲しみによって、 他の人を又なぐさめ励まし祈る事が出来ることを毎年教えられてゆく。 一歩一歩だけど耐えて本当に良きものを手に入れたいと思ってます。誰があなたの兄弟姉妹なのか、どこにいるのか。皆の中に入れられていることをよかったと思っています。 (看護婦) |
人が怠惰や高慢など、 さまざまな心の汚れから清められるのは、ひとえに苦悩によることを学び、 苦悩の意味の深さと大きさに驚かされた。 我が子が生まれたとき、 「苦しみの少ない人生であるように」と願わない親がいるだろうか。 苦しみの少ない人生を、幸せな人生と信じているから。だが何と、 人は苦悩なしに浄化されることはないという。清い、 気高い心が守られるためには、何らかの絶えざる苦しみが必要であるという。 人の思いと、 神の御思いは何と違っていることか。人はともすれば安楽な道を求め、 神は人がより高く清くあるようにと、苦難の道を歩ませる。 自分では一歩も歩めず、 言葉も話せず、 身動きさえ出来なかった水野源三さんの詩を思った。 苦しまなかったら もしも私が苦しまなかったら 神様の愛を知らなかった もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら 神様の愛は伝えられなかった もしも主なるイエス様が苦しまなかったら 神様の愛はあらわれなかった 苦しみを避けようとすると、 苦しみがいつやって来るかと不安になる。だが、 苦悩こそ祝福の泉であることを知り、すべてを神様に委ねるとき平安が広がる。 幼子のように神様の愛を信じて、 御心のままにと祈りたい。 (大阪狭山聖書集会) |
世にはさまざまの本、 印刷物がある。 毎日全国の人々がほとんど読んでいる新聞をはじめとして、雑誌、 週刊誌、 マンガ雑誌、そして小説、いろいろな専門の書物や哲学書などじつにさまざまのものがある。本は人間が書くものであるから、 人間のあらゆる生活領域について本が出される。 これらの本の多くは、 単に一時的な娯楽のためのものであり、そこからまなぶなどということを目的として作られていない。 まなぶ書物といっても、 学校の教科書を愛読する人などほとんどいないし、また、 専門の学問的な本は、とうてい一般の人々のまなびにはならない難解なものが多数となっている。 しかし、 そうしたすべての書物のうちで、聖書ほどありとあらゆる人が、 しかもさまざまの多方面のことからまなべるものはない。 まず、 自分の心の中だけの世界で、 祈りの世界によってもまなぶことができる。祈りとは、 神と交わり、 神に心を注ぎ出し、神からの賜物を受け取ることであり、 そこにおいて聖書のまなびをより深めることができるからである。 多くの人の生活の中心となっている職場などで出会う人々との関わりによっても、信仰を持ってすれば、その人間関係のただなかに神が働いて下さったと感じることを必要に応じて起こして下さる。それはまた新しい聖書の意味を知ることにつながる。 また、 過去の歴史をひもといてみても、 そこに千年、二千年という大きなスケールでの神のご計画をまなび、それによって聖書が指し示している歴史を導く神をまなぶことができる。 また、 日々私たちの目に触れる青い空や、雲、 星空、 野の花など周囲の自然のたたずまいからも聖書のいう神の創造の力を学ぶことへと導かれる。 そうした自然を芸術家が再創造したといえる絵画や音楽などの芸術作品によっても、神が天地を創造したということのまなびを深めることができる。 苦しみや悲しみもそれは決して無駄になることなく、その経験によって私たちはいっそう、 聖書の約束、「悲しむ者は幸いだ。 その人たちは神による励ましを受けるからだ」というようなみ言葉を自分の体験を通してまなぶことができる。 語学に関心ある人は、 聖書を英語、ドイツ語あるいはフランス語などの外国語でまなぶといっそうよくわかるし、さらに聖書が書かれた言語であるギリシャ語やヘブル語を知ると、より深く聖書はその真の姿を表してくる。 また、 それらがいっさいできない人たち、昔のキリスト者たちは学校にまなぶこともなかったから、多くはそうであったし、キリストの第一の弟子であったペテロもなんら学問のない漁師であったことでわかるように、聖霊という神の霊を頂いて聖書を深くまなぶことができるようになっている。 肉親や、 身近な人の死や病気に出会っても、それからも顔をそむけるだけでなく、 そのような暗いと思われる出来事からも、聖書が告げている人間の弱さや死という意味を深く知らされることが多い。 悪が力を増して暗い出来事が続くなかにあっても、そこから光を与えられて、 闇に輝く光という聖書の言葉の重い意味を知らされる。 主イエスは、 「聖霊があなた方にすべてのことを思い出させる」と約束された。 これは、神の国にかかわること、神の言に関わることで必要なことはすべて聖霊が教えるということである。 私たちが一度わかったと思っても、 聖書の言葉というのは、限りなくその奥が深い。 例えば、「私たちは神に希望をかけている。あなた方も祈りで助けて下さい。」 「主の霊のあるところには、自由がある」 「主と同じ姿に造りかえられていく」などといった短い言葉の意味するところは、一度わかったと思ったらそれでその意味がすべてわかったのではない。 神に希望をかけるとか、 祈りの援助、 聖霊による自由、主による新しい創造などといったことは、私たちがみな個人的に魂の最も奥深いところで経験できることであり、その経験は、ごく浅いものからパウロのように第三の天にまで引き上げられたというほどに限りなく、深いものまである。 聖書のまなびはその意味で、 とどまるところなくどこまでも深まっていく本質を持っているといえよう。 私たちはこの神の言たる聖書を、 以上のように私たちの生活のあらゆるところでまなんでいくことができる。そしてそのまなびを続けつつ、その聖書の内容を私たちの祈りや言葉や行動、印刷物などで伝えていくことへと導かれている。その道ははるか二千年前から、 現在に至り、そして遠く、どこまでも未来へと続いている。 |
貧しい兄弟は、 自分が高められることを誇りに思いなさい。また、 富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。 日が昇り熱風が吹きつけると、 草は枯れ、 花は散り、その美しさは失せてしまいます。 同じように、富んでいる者も、 人生の半ばで消え失せるのです。(ヤコブ書、 一・9-) 教会には、 貧しい者と富んでいる者がいた当時の一般的な価値観として、富は神の祝福の結果であり、貧乏は刑罰の結果として考えられていた。しかしこの考えは、 この時代から半世紀以上も前に、この価値観を根底から打ち砕かれた方がいた。イエス、キリストである。 「貧しい人々は幸いである。神の國はあなたがたのものである」 (ルカ福、六・) と言われている。 「低い身分の兄弟」 は貧しいキリスト者をさし、「自分が高くされた」 とは、試練にあうことなどによって精神的に高められたことを意味される貧しくとも信仰によって獲得できる道徳的高貴さは、まさに喜び誇るに値するものである。 貧しい信者は貧しいが故に全面的に神により頼むようにさせられた者たちである。全面的な信仰によって彼らは神の國へと迎え入れられ、限りなく高められるのである。 この幸いを約束された貧しい人々は「自分が高められることを誇りに思いなさい」とこの著者は祝福を送っている。 富んでいる者は富んでいるキリスト者をさす。富は永続するとは限らない。 必ずしも迫害によって財産を失う場合でなく、何かのことで財産を失うこともある。 当時富める人々は、 実際には財産にしがみつき、神への絶対信頼が出来ず、 貧しい人々と同じレベルまで低くなれなかったようである。すでにイエスは、このような富める人間の本性を見ぬき「はっきり言っておく。 金持ちが天の國に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の國に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」 と。 (マタイ福、 一九・-) 金持ちが天の國に入ることは容易に出来ないこと、また、 いかに難しいかをたとえをもって示されている。 他方、 富める者が信者になると、 この世の富がいかに空しいものであるかを自覚するに至る。彼は、貧しい人と同じように神に伝り頼む者になり、富を神に捧げて、 貧しい人々と共に神を讃える者となるであろう。著者は富める信者に、 このように 「低くされることを誇りに思いなさい」と、 励ましを込めて祝福するのである。 人は地上のことに夢中になって天上のことを忘れ、見えるものに心を奪われて、 見えないものを失いがちである。ここに悲劇がある。 なぜなら、見えるものは一時的であり、見えないものは永遠であるからである。 |
| 私は昔から 漫画 を読むのが好きです。 どのぐらい好きかというと三度の食事より好きであり、また〇・〇二以下だと予測される私の視力は漫画の読みすぎで悪くしたものでした。幼い頃は小遣いを全て漫画につぎ込み、毎日何時間も本屋で立ち読みをするのが日課となっていました。最近は漫画の値段も随分高くなったので自制しあまり読まなくなっていきました。 ......が息抜きで読んだ漫画から考えさせられることがあったので書かせて頂きます。 青木雄二氏の なにわ金融道 という漫画を知人から借りて読みました。最近、 金融会社による問題が世間で騒がれているがこの本は灰原 という青年がとある金融会社に就職し一人前 (?) になるまでのことが一話ずつに綴られているものであります。金融会社、一般人を少し皮肉って書かれているようにも思えます。その中の一話であるが、 ある人(=A) がお金儲けをする為に人を騙そうとします。そして以前も騙されたことのある人の名前の書かれた名簿を入手してまた騙していこうと企てるわけです。Aはとても頭の回転の良い人で人を上手く騙すことなど朝飯前なのですがどうしても騙せなかった人がいるわけです。一体、どんな人が騙せなかったのでしょうか?騙すほうよりもより頭の回転が良い人でしょうか?実は騙せなかったというのはどんなに騙そうといろいろ話してもその言葉を一寸の疑いもせず信じ、かつ感謝を持つ人だったそうです。 Aはいつしか以前にも騙されたことのある人の名簿を他人を信じることが無くなっている世の中に唯一人を信じた人の名が書かれた名簿である、と気付く訳です。 私はこの話を目にした時、いろいろな知人のクリスチャンの顔が目に浮かびました。いかにも人のよさそうな人達です。 時には人に騙され、憤慨したり人を信じることができなくなったり悲しみで一杯になることもあるでしょう。しかし私たちが神につながっている限り、そして神が私達を離さない限りどのような状況にあっても最後の最後は信じるのだという希望が湧いてきます。そして私達の名前の書かれた名簿が天に刻まれていることを思います。(看護婦) |
小岩栄光キリスト教会のY牧師のメッセージの中で印象に残った話がある。それはアメリカの宣教師ビリー・クラハムの話でイエスがなぜここに来られたのかという話であった。次のようにたとえ話をしてくれた。 アリたちは重荷を背負いながら働く。 何もわからないまま背負い、見知らぬところへ行く。 見知らぬところの先はとても危険な道。それを知らずに歩き続けるアリの行列... それをみた人間は、 危ないと気づき、 アリたちに声をかける。いくらさけんでもアリたちはわからないという。困った。 どうすれば気づいてくれるのだろうかと人間は必死に考えた。いい方法は一つしかなかった。 人間は、 決心する。 それは人間はアリの姿に変わるほかになかった。アリに合ったコミュニケーションをし、 「危ないよ」と止める。 そして、 叫ぶ。 アリはそれを聞いて、止まるか、 無視して歩くか・・・ 二つの道に分かれ、 アリはどっちかを決断するであろう。この話を言い換えれば、 アリとは人間たちのこと、危険の道は、 死へつながる道、人間とはイエスキリストのこと。 神が涙と愛をもって、 私たちのために肉と血をもって人間となられたという。 この話を聞いて、 自然と納得できるので、すごく感動した。 神からの大きなプレゼントなんだなあと。偉大なるイエス・キリストは私たちの罪のみがわりにこの世に来てくださったのだ。そして、 この真実を知ってから、さらに心のなかで平安が生まれた。 目に見えない唯一の神さまだけど、 いつもそばにいて見守って下さっているのだと思うと、とても心強く、 感謝に思う。 どっちを選ぶか、 聞かれると、 自分の思い通りに歩くよりも、神のことばに従う方が何よりも安全だから、全知全能なる方に仕えるほうが大事だと答える。 「鼻から息の出入りするだけの人にたよることを止めよ。」 (旧約聖書・イザヤ二・) この御言葉のように、 最近、 何人かの指導者が、平気で嘘をいったり、 だましたりすることを経験をした。聖書の言葉にあるとおり、 まことの神が私たちに忠告をしてくださっている。イエス様が言われた言葉に心を留めて、これからも絶えず祈り、すべてのことを感謝して唯一の神の真実の愛を多くのろう者に伝えて行きたい。 (会社員) (編者注、 Kさんは徳島ろう学校在学中に徳島聖書キリスト集会に参加していた人です。) |
こんな美しい花を 誰が咲かせるのだろう? 私もじっと神様にお任せしていたら 花のような美しい心に なれるのだろうか? 花の美しさは 主の美しさ、 主よ、私の心に来て下さい。 私の心にも花を咲かせて下さい。 それをまわりに わけてあげることができる為に。 (施設寮母) |
一九九九年。 今年は不思議な年だった。 目に映る世界に扉がありひとつひとつが開かれていったような気がする年だった。 見慣れたはずの道ばたの草が突然わたしに親しく語りはじめ、遙かな山並みがわたしを呼び、 秋には木々が、ある日から急にわたしに語りかけてきた。 そして、当たり前のように輝いていた星空も急に身近なものとなった。ひとつひとつがわたしの親しい友だちとなり、わたしを取り囲む世界から、イエス様の愛が伝わってくる。世界がこれほど神様の愛に満ちあふれているとはわたしは知らなかった。目を開けていてもわたしは何も見てはいなかったのだ。 「名もない草」 などと思いみんな同じように見えていた、小さな野草たちにそれぞれ名前があり、 その小さな命に御業があふれている。それを、 「メヒシバ」 というどこにでもある草がわたしに教えて扉を開いてくれた。 木もどれも似ていると思っていた。 大きなヒマラヤ杉も、美しいケヤキもわたしは知らなかった。 トウネズミモチの黒い実も、ウメモドキの赤い実も、 ナンキンハゼの白い実も、わたしは初めて見た。 木の一本一本にそれぞれの表情があり神様の真実な思いを示している。まるで、 木々が急に生えてきたような、木々がはじめて急に赤い実をつけたような。そんな気がする秋だった。 木々たち一本一本がわたしの親しい友となりどこにいても神様の愛を語ってくれるようになった。 遠くの山々も、 昔からずっとそこに広がっていたのだろう。しかし、 わたしには見えていなかった。 まるで、どこかからやって来たような気さえする、遠くの山並み。山々がこんなに神様の愛を語るとは。 遠くに見える遙かな山並みは永遠に通じる御国への道を示し、心を主イエスに向かわせてくれる。 空や雲が日々一刻一刻表情を変えるように遠くの山もその表情を変えて遙かな永遠、天の御国を示している。 そして、 冬の夜の大空。 一面に広がる星の大群。今までも、 星空は美しかったし、 その光の清らかさには、心が洗われるような気がした。 しかし、遠くで美しく輝いていた星たちが、まるで、 身近な友だちのように、 光のことばをわたしに語る。イエス様の愛。 イエス様の栄光。 イエス様の清らかさをわたしに語り、その光は交響曲となって大空から響いてくる。何という世界だろう。 わたしの目は、 長い間、 いったい何を見ていたのだろう。どこを見ていたのだろう。 美しいものを見ようともせず、見えないことに気づきさえしていなかった。 二年前、 イエス様が心に来て下さった。 その日から、一枚、 一枚と神様は、 わたしの心の目の前にある、分厚い覆いをはがして下さる。 少しずつ、見えなかったものが見えてくる。あまりに分厚いので神様は、 順を追ってはがして下さる。そして今、やっと木が草が山が星が見えるようになったのだ。覆いが取り払われて見る、 この世界の美しさ。木にも山にも小さな草にも息をのむ。 いったいどうして、 一本の木がこんなに神様の愛を語るのか。それは、この木もイエス様が造られたからだ。天地創造の前からおられた神様の御子イエス様が、大空も星も木も野の花もお造りになった。 万物を造られ支配しておられる神であられる主イエス様が、わたしたちへの限りない愛をもって世界を造って下さった。だから、小さな花にも遙かな山にもイエス様の愛が満ちているのだ。木は風に揺れイエス様を語り、 遙かな山並みは静かに神様の愛を示している。そして、わが内にいて下さる主イエス様の御霊とゆたかにゆたかに響きあう。 イエス様が心に来て下さらなければ神様の愛はわからない。木々がそよいでも花が揺れても、夕焼けが永遠を示して広がってもわからない。自然の美しさに胸打たれることはあっても、万物を支配しておられる方の慈しみと真実は、イエス様の十字架を受け入れて信じ仰ぐことなしには決してわからない。 神様は、 わたしの心の扉をひとつひとつ順番に開けて、信仰の世界の広さと深さを見せて下さる。 扉の向こうに扉があり、その向こうにまた扉がある。 木や星の被造物を通して、また、 つまずきや失敗を通して、 苦しみを通して、悲しい罪の思いを通して。 十字架に続く坂道はときどき苦しくなって息切れすることもある。ぬぐっても去らない罪の力にうめいてしまうこともある。しかし、そんなときこそ主の十字架を思う。弱さや苦しみのただ中にこそ主が来て下さる。そのときまた、 心の扉が開かれて新しい世界に導いて下さる。 木々は今日も主を語り、 星は今夜も御旨を告げる。神様の真実は変わらない。 その慈しみは変わらない。 わたしはこんなままだけれど、 イエス様の十字架の愛にすがっていく。(看護婦) |
この一年でよく頭の中に思い浮かんだ御言葉は... 「どんなことでも、 思い煩うのはやめなさい。何事につけ、 感謝を込めて祈りと願いをささげ、 求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、 あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」 (フィリピの信徒への手紙四・6-7) 私はいつもいつも思い煩ってばかりでした。家族...友人...彼氏...人間関係...。 もういやになるほどでした。「なんてこんなに神様を信じているのにこんな目に合わなきゃならないの。」自分が本当に救われているのかはっきり確信を持てなかった...。 ある日...パソコンのインターネットのキリスト教のHP (ホームページ) で偶然見かけました。 「完全な明け渡し」 私はそれを読みました。 「あなたはすべてを明け渡しているのか?神様の信頼関係を築いているのか...?」 それを読み終わった後しばらく考えさせられました。私はいったい何をしているんだろう?神様を頼りにしないで、何事も自分でカタをつけようなんて...。 これからは心配事があったら神様に祈り、お願いしよう...。 それから、 いろいろ問題がありましたが、自分で考えて 「どうしたらいいの?」 と悩んでいたら、「思い煩うな...」 という御言葉が頭に入ってくるので、ハッとし、 神様にお祈りするようになりました。これからも何が起こるかは分からないが、神様にすべてを委ねていきたいと思います。 (会社員) |
今年二月に父母の五十年、 義兄の五年の召天記念会が生家でありました。讃美歌の中のそれぞれの愛唱歌を讃美し、 その後、父の思い出を姉が、母の思い出を私が、 義兄の思い出をその息子が話をしました。その折の私の話を書いて参ります。 母、 K.Iの晩年の思い出話をさせて頂きます。今日、 二月十一日は、 父の召された日です。丁度、 今から五十年前の明け方でした。 悲しみに打ち沈む家族の中で、母ひとりが穀然としていたことを、 昨日のことのように思い出します。葬儀はキリスト教で、小松島のM.K牧師の司式で行われました。その後、 何日かして、 脇町教会のK.I牧師 (現在の従男牧師の父上) が、召天記念会をこのAの家でして下さいました。その折、 母がお祈りをしましたが、 その第一声が「神様有り難うございます。」 と言う感謝の言葉でした。その頃まだ信仰を持っていなかった私は、ほんとうにびっくりしてしまいました。こんなに悲しいのにどうして有り難うございますなのだろうと不思議でした。でもその後につづくお祈りの中にあった聖書のみ言葉は、はっきりと心に刻みつけられました。 「われら四方より患難を受くれども窮せず、為ん方つくれども希望を失はず、 (後少しあるのですが略します。) 責めらるれども棄てられず、倒さるけれども亡びず、常にイエスの死をわれらの身に負ふ。 これイエスの生命のわれらの身にあらはれん為なり」 それは、 後で知ったことですが、文語訳の新約聖書、コリント後書第四書の八節から十節までのみ言葉でした。『われら四方より患難を受くれども窮せず、為ん方つくれども希望を失はず』 その力強いみ言葉は、それからの私の生きる強い力となってくれたように思います。父が召される前の十一月はじめから、母はがんで入退院をくり返していました。そして翌年の九月に後を追うように召されたのですが、病床には、いつも聖書と讃美歌がありました。当時京大医学部の耳鼻咽喉科の研究室にいた義兄の紹介で、京大附属病院で精密検査を受けました。 その結果、子宮癌と診断され、 手術に耐える体力がないとのことで、科学療法でと決まったのでした。 主治医と義兄の協議の上、義兄が直接話をする役となりました。 母は 「病気の原因がはっきり分かり、治療の方針も決まってよかったね。 ご苦労さん、有り難う。」 と平生と同じく静かで、 少しの動揺もなかった由でした。後年、 義兄は信仰に導かれ、クリスチャンとして生涯を全うしましたが生前、義兄はその折のことを 「あの感動は今でも忘れない。」とよく話をしてくれました。 母は召される一ヶ月前には、徳大附属病院へ入院しました。 その頃はまだ昔のままの兵舎を病室として使っていました。暑い暑い八月の一ヶ月でした。 毎朝、私に聖書を読んでと言っていました。今にして思えば、 視力が弱ってよめなくなっていたのでしょう。若かった私はそんなことにも気づかず、言われるままに読んでおりました。母は、東京の自由学園の創立者、 T.N氏を (映画監督のS.N氏から言えば、おばあさんにあたります。) とても尊敬していました。彼女の言葉に 「朝起きて聖書を読み昼は疲れるまで働き夜は祈りて眼る」と言うのがあります。 病床にあって、昼は疲れるまで働くことは出来ませんでしたが、朝起きて聖書をよみ、 夜は祈りて眼る。 生活であったと思います。 父や母が召された後で、 父や母を知ってくれている信者さん方から「お父さんやお母さんが、 Mさえ信仰をもってくれていたら」と言っていたと聞かされ、親不孝だったなあと思ったことでした。父母のよわいを越えた今になって、 漸く、父や母の歩んだ信仰の道を私も歩んで行きたいと思うようになりました。ご挨拶があとになりましたが、 本日は、 お足許の悪い中、又、ご多忙の中を遠路わざわざご出席頂き、誠に有り難うございました。 これからも何かとお世話になることばかりと思いますが、何分ともよろしくお願い致します。 以上で母の思い出を終わります。有り難うございました。 これが召天記念日当日の私の話でした。 生を享けてより今日までの歩みを顧みます時、感謝は溢れるばかりです。旅路の終わりまで、信じ仰いで歩みたく願っています。 「神を愛する者たち、 つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」 (ローマ書八) |
神の創造された、 雲や木々、 野草や水に特別の関心をもって描いております。今年も神の恵みや皆さんの祈りに支えられて生かされてきました。 これからも許されるかぎり、 自然描写をしてゆきたく願っており、何らかの形で用いられたら幸甚です。 (画家) |
生後四ヶ月の乳児を担当する事になった。「ヒヨコ組」 には、 その名の通り、 上向きで呼吸しているかどうかの記録 (五分ごとに) する必要があった。 そして六ヶ月後、その子は腹這いの姿勢でドアを開けるようになる。保育室から外へ遊びに行こうとする。 確かに成長している。毎日ミルクを飲ませてくれる人を全面的に信頼している。お腹が空くと遠慮なく泣き訴える。 そこにはいつもありのまま訴える姿がある。一見、 毎日同じ事の繰り返しのように見える。しかし成長している。 乳児は寝たままで微笑む、抱かれたままで微笑む、 歩き始めると、 笑顔を周りの人に贈っている。毎日幼子をみていると、たくさんの笑顔に出会う。そしてその笑顔が続くようにと願う。 今日一日、暖かい笑顔。 いつでも抱き寄せる手。 柔らかい心で仕事ができますようにと祈らされる。 「はっきり言っておく。 子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 (マルコの福音書十・) (保育士) |
天におられる私たちの父なる神様、 この地上の人々が真の神をあがめるようになりますように。 この世界を神がその愛と真実をもって御支配して下さいますように。 それが私たちの生活の場で、 また世界の暗闇にある多くの人たちのところに神の御手が臨みますように。 私たち地上に生きる者の毎日の食物を与えて下さい。 世界には何億の人々が日々の食物もなく飢えているのです。 そして飽きるほどの食物を持っている人たちには、その心の貧困のなかに神の国の食物、 霊の食物をも与えて下さい。 人はパンだけでは人間として生きられないのです。 神様からのいのちのパンを下さらなかったら霊的には生きられないのです。 私たちを、 神の国と神の義をまず第一に求めようとする生活から引き離そうとする、あらゆる悪から守って下さい。 この世で本当によいもの、 清いもの、 目に見えない世界をも支配しているのは、聖書に記されている唯一の神です。 その神に私たちのいっさいの讃美や感謝が捧げられますように。 |
今回の文集は、キリストを信じている者はその証しの一端を、あるいは職場での経験や感じたこと考えたことなど、そしてまだ十分に信じるに至っていない人も、その現在の気持ちを、さらに近況報告など、いろいろの人たちが現在心にあることを集めたものとなっています。 また、 文を投稿している人は、 徳島聖書キリスト集会の人だけでなく、大阪狭山集会員や、 神戸・夢野集会、あるいは東京や香川県の集会に参加している人など、かつて私たちの集会に参加していた人や、 四国集会などでつながりのある人たちも含まれています。 それによって、 この文集を読む人たちに少しでも、キリストの証しとなり、 また相互の主にある交流のために用いられますようにと願っています。 なお、 全体の校正はE.Y、 パソコン原稿についてはK.K、 T.Yなどが担当しました。 (T. Y) |
野の花 第十三号 二〇〇〇年一月二十日 発行 発行所 〒七七三-〇〇一五 小松島市中田町字西山九十一の十四 徳島聖書キリスト集会 電話 〇八八五三 (二) 三〇一七 |