2007年-画像収録

シュウメイギク

シュウメイギク 秋明菊                  わが家にて     2007.11.5

 

これは、菊という名を持っているけれども、菊の仲間でないことは、花をよくみるとわかります。キク科の花は、例えばヒマワリのように、筒状花(つつじょうか)または、管状花(かんじょうか)といわれる小さな花が中央部に密生し、その周囲を舌状花(ぜつじょうか)といわれる花が取り巻いているもの、タンポポのように舌状花だけで構成されている花もありますが、いずれにしても多数の小さい花が密集して全体としてひとつの花となっているのです。

 このシュウメイギクは、そのようになっていないのが、この写真を見てもすぐにわかります。

シュウメイギクは中国が原産で、古い時代に日本に入ってきたとのこと、この花の英語名は、ジャパニーズ・アネモネ(Japanese Anemone)と言われるのは、これをイギリスに1844年に紹介したロバート・フォーチューンが、中国の上海でこの花を見付け、そのときにはこの花は日本から来たと言われていたとも、最初にヨーロッパ人が発見したのが日本であったからだとも言われています。そしてこの花は、英名のとおり、アネモネに近い仲間で、キンポウゲ科に属する花です。もともとのシュウメイギクは、紅紫色ですが、写真のように白色のものもあり、これは陽光を受けてその純白の花が心に語りかけてくるようです。私たちはこのような汚れないものを持っていないためにいっそうこのような白い花に惹かれるのです。

 主イエスがご自分の最期が近づいたとき、弟子たちを伴って高い山に上って祈られたがそのとき、イエスの服は「真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。」(マルコ93)と、特にその白さが強調されています。

 また、次の詩もまた、人間のうちなる汚れをどうにかして清め、真っ白な状態にして欲しいという切実な願いが込められています。

「…わたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。」(詩編 51:9

 私たちは、このような純白の花に接するとき、この詩の作者とともに、この花のように清め、白くしてください、という願いを新たにしつつ見るのです。 (文、写真ともT.YOSHIMURA

ネジバナ (モジズリ )   山形県にて          2007.7.19

 

  これは今年の夏に、北海道からの帰りに山形を通ったときに、静かに広がっている草地で見かけたものです。 ネジバナは、こうした草原のような所にはよく見かける植物です。緑一色の草地に、このようにピンク色の花をらせん状に咲かせている姿は、ふとそれを見付けた人に造化の不思議さを思わせるとともに、このように、自然の中に彩りを添える神のお心が伝わってきます。

 野生のラン科の花は、私たちの身近にはなかなか見られなくなっています。

 シランは、よく庭に植えられていますが、野生のものは私はずっと以前に、一度だけ県内の大きな川(那賀川)の上流で見かけたことがあるだけです。 春に里山で見かけるシュンラン、山地の林に生えるエビネ、フウランなども、最近では見かけることも難しくなっています。 さらにアツモリソウやサギソウなどは、特別に保護しないと見られない状態です。

 そのような中にあって、ラン科でありながら 身近な草地、しかも思いがけない空き地などにも群生が見られるこのネジバナは、不思議なたくましさを持っていて、滅びずに 人間の生活に近いところで育って美しい花を咲かせています。  これは、意外なところに育って咲くかと思えば、そのうちに見られなくなり、忘れたころに予想してないようなところに見付けたりすることがあります。

ネジバナ

この花は、ねじれて咲くゆえに、ネジバナという名があります。しかし、ねじれていながら、その姿はどこか真っ直ぐに神に向かっています。

 人間はだれでも罪深いものであり、心がねじけているような状態であるのに、それでも、心を神に向けるだけで、罪赦され、真っ直ぐなものと見て下さり(義とされ)、神から見捨てられることなく、主からの恵みを受け続けることができるようにして下さるのは驚くべきことです。(文、写真ともT.YOSHIMURA

オニシモツケ

オニシモツケ   北海道 瀬棚にて       2007.7.14

  (瀬棚とは、奥尻島の対岸にある地域) 

 

この野草は、北海道での滞在中、車で移動中に折々に山沿いの地で見られたものです。つぼみは赤みがかった色ですが、花は白色。小さな花をたくさんつけます。高さは、1m2mにもなり、葉も大きく、野生のものは本州では中部以北の深山、北海道とあります。北海道では低い山地にも時々見られたものです。人通りもほとんどないところで、このように静かに咲いている様は、心引かれるものがあります。

 シモツケという名前のついている植物は、ほかにシモツケソウ、樹木にも、シモツケやホザキシモツケなどいろいろあります。この写真の植物はシモツケのなかまの内で大きいので、「オニ」というのが前に付いています。これらに付けられているシモツケとは、その木が、下野(しもつけ)の国、すなわち栃木県で最初に発見されたからと言われます。これらは皆よく似た花の咲き方をしていて、小さな花がたくさん集まって全体としてまた新たな美しさを生み出しています。

 チューリップやスイセンなど、花も大きく一本だけ花瓶にさしてあっても、それ自体で美しさを持っていますが、このシモツケのなかまや、集まり方はちがってはいても、キク科の花やアジサイのように小さい花が集まって全体として花としての美しさを表しているのもあります。

 人間も似たところがあって、一人だけでもとても歴史に大きい働きをして目立つ場合もありますが、キリスト者が二人三人あるいはもっと多くとも、そうした人々の集まりが全体としてうるわしい花となるように、というのが、神のご意志だと言えます。エクレシア(キリストを信じる人の集まりで、「教会」、「集会」と訳される。)がキリストのからだである、という聖書の言葉はそのことを暗示しています。  (写真、文ともに T.YOSHIMURA

ヤマユリ   2007.7.18         岩手県にて

 

 ユリには美しいものが多くあります。そしてまた歴史的にみても、ユリは古い時代からとくにキリスト教絵画にもよく描かれてきましたし、現在も好んでさまざまのユリが用いられています。 園芸店には、カサブランカといった大きなユリもあります。この有名なユリはここに見るヤマユリやカノコユリなどからつくられたもので、いずれも日本がその原産地です。
 ヤマユリは、近畿地方以北から東北地方にかけて野生が見られるとのことですが、私が学生時代によく歩いた近畿の山でも見たことがなかったもので、以前に高知の牧野植物園で植栽されたのは見ていたのですが、野生のヤマユリは今回初めて見ることができたものです。
  今年、7月中旬に岩手から宮城に至る山沿いの道路を車で走っているとき、このヤマユリが時折咲いているのがみられてその豊かな美しさが心に残りました。 このヤマユリは、花びらがユリの仲間では最も大きく、白い花びらの中央に薄い黄色のすじが入り、赤みががった斑点が模様のようについています。

ヤマユリ

世界で最も美しいユリとして、このヤマユリ、カノコユリ、そしてテッポウユリがあげられることがあります。カノコユリ(鹿の子百合)は、四国・九州の崖に稀に自生 するとされ、私はもう25年ほど前に、県南部の海岸の崖で自生しているのを見付けたことがあり、その美しいユリが海からの風を受けて咲いている光景を忘れることができません。
 テッポウユリは、現在では、キリスト教において最も重要な「復活」の象徴として、広く用いられています。テッポウユリが知られていないときには、ヨーロッパでは、白いユリであるマドンナリリーが用いられ、レオナルド・ダ・ヴィンチや、ボッティチェルリなどの受胎告知の絵には、天使の左手に白いユリを持った姿が描かれていますが、これがマドンナリリーです。しかし、近年では、このユリに代わって、テッポウユリが多く用いられるようになったといいます。
 テッポウユリの原産地は、奄美、琉球列島であり、世界でとくに美しいとされる三つのユリが、この広い世界において、すべて日本が原産地であることは、とても意外なことです。
 これらのユリのような気品のある美しさと、白いユリに象徴される清らかさと、死に打ち勝つ復活信仰が、日本においても、今後さらに広まっていくようにと願われます。(写真、文ともに T.YOSHIMURA